皇太子・李重俊の反乱① | 歴史で旅する

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皇太子になって間もない頃、李重俊は義兄・武崇訓とよく過ごしていました。

 

でも、最近は、一緒に過ごす時間が少ない。

それどころか、どこかよそよそしい。

 

李重俊は武崇訓の行動を不審に思っていました。

 

また、李重俊は、

「姉・安楽公主が皇太女になろうとしている」

という噂を耳にしました。

 

李重俊は韋皇后が産んだ子どもではありません。

 

「韋皇后は自分が産んだ安楽公主の味方をするに違いない。

このままでは、自分の身が危ない」

 

そう考えた李重俊は、羽林大将軍・李多祚に相談しました。

 

李多祚は、張柬之と共に、武則天に譲位を迫った人物です。

 

 

 

周囲に操られて政務を行う中宗を見ていた李多祚は、

「武則天に譲位を迫ったことは間違いだったんじゃないか」

と考えていたところでした。

 

李重俊と李多祚は一緒にクーデターを計画しました。

 

李多祚は部下にクーデターについて話し、参加するように説得しました。

そして、李重俊の命を守るために、

唐の第二代皇帝・太宗の三男・李恪の長子・李仁を皇太子に推薦しました。

 

武則天は李氏一族を処刑したり、左遷したりしてけん制していました。

李仁もその一人で、嶺南に左遷されましたが、

嶺南の産品や宦官を献上して、武則天のご機嫌をとって生き残りました。

 

李多祚から話をもちかけられた李仁は、

「李氏宗室の生き残りとして、武氏を排除したい」

と、クーデターに参加することにしました。

 

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