二日目の台南のホテルは、アメニティが充実していました。
今回のツアーのホテルはみな5つ星クラスの各都市で最高ランクのホテルだったのですが、台北のホテルのは歯ブラシも部屋着もありません。台湾に行かれる際はお気を付けください。
二日目の台南台糖長栄酒店にはすべてのアメニティとなんと部屋着までありました。しかしそれに気づいたのはチェックアウト直前。部屋着があると持っていくにもつも減るのになぁ。
またそのホテルにはサウナも完備されていました。しかし、そこには入れるのは9時半まで、お客様を見送りして行ったのが9時34分で入ることができませんでした。ああ、残念。部屋に帰って、おとなしく寝ました。疲れがだんだん溜まってきています。
三日目は8時半出発とゆっくり目。良いホテルは朝食が楽しみです。広い部屋でまずは偵察をしないと後悔するのです。果物も充実、主食もパン、おかゆ、ご飯やワッフルやまんじゅう、飲茶と全部食べ切れないくらいです。
おかずもこれでもかというくらい並んでいます。定番の物から、何これ?と思うものまでいっぱいです。
ホテルの従業員のランクの高い人はほとんど英語が通じますし、たまには日本語が通じる人もいるから安心です。値段もそんなに高くないので、どうせ留まるならランクが上のホテルが広くて、清潔で、セキュリティも充実していますので、安心ですよ。
そうそう、果物も充実していますよ。
朝からしっかり食べるのに、すぐに昼食になりますが、できるだけ被らないようにとレストランを旅行代理店と相談して決めています。パック旅行に参加するのもいいですが、自分で仲の良い仲間を集って組み立てていくのも面白いですよ。
㈱ティアイプロジェクトは手つくりの旅行を相談しながら組んでいけるのでとても便利です。
私たちの旅行の後に山口敬之ツアーも手掛けていました。添乗員の山尾(石川)英子さんも大変です。
三日目は、飛虎将軍廟にお参りしました。ここは台湾の海軍航空隊の所属の杉浦茂峰少尉が昭和19年の臺灣沖航空戦で被弾し、落下傘で脱出しようと思いましたが、眼下に広がるのは台南市街地、このまま墜落したら台湾市民に迷惑が掛かると思い、必死に愛機を操縦し、人の住んでいないところまで飛んでパラシュートで脱出しましたが、米軍機に機銃掃射を受け、戦死したのです。
住民つまりこの頃は、日本国民である台湾の人々を守るために飛行機を操りながらできるだけ遠くへ飛んでいったために、戦死したということで1971年に台南市民が廟を立て、そこにたくさんの寄付が集まり、現在の立派な廟となっています。
朝夕君が代と海ゆかばが流れ、杉浦少尉の好きだった煙草を捧げてくれています。
ここに私たちは献花し、君が代と海ゆかばを声を張り上げて歌い、杉浦茂峰の命に捧げました。そしてお約束の音のならないお金を賽銭箱に入れるように皆にお願いしました。
ちなみにこの杉浦少尉の愛機は零戦32型で、これは太刀洗平和記念館に展示されている零戦と同じものです。
その後、湯徳章記念公園に門田隆将氏の案内で行きました。門田隆将氏の『汝、二つの祖国に殉ず』というノンフィクションを出版しており、その場所での説明もこちらがちゃんと時間管理をしなければならないほど熱いものになります。
私の企画する旅行では、あまりごちゃごちゃと詰め込まないで一つのところにじっくりと感じることをしていますが、40人という大人数で、さらに話が乗ってくるとどうしようもなく続くので、どうしても時間が押してきます。
この記念公園の中で銃殺されたのですが、その時に日本語で「台湾人万歳」と叫び、目隠しも両手を縛る縄もなく、堂々と日本精神を発露しながら旅だったのです。
2001年、台南市は湯徳章が処刑された3月13日を「台南市正義與勇気紀念日(=正義と勇気の記念日)」と制定しています。
頼清徳氏は2010年からこの台南市の市長となり、とても人気を博します。それは弱者に手を差し伸べ、正義を重んじた政治をしたからです。頼清徳氏が台湾の総統になった時に、台南に行くのはとても意味深いと思いましたが、まさに正義と勇気の人であり、今の日本に一番欠けているものではないでしょうか。
そして一行を乗せたバスはさらに南の高雄に向かいそこで昼食、そして一路バシー海峡を望むところに建てられた潮音寺に行きました。これは門田氏の著書の『慟哭の海峡』で出て来るバシー海峡で日本軍の輸送船がアメリカの潜水艦の犠牲となり、約10万人の皇軍将兵が犠牲となったところなのです。
そしてそこには海流の関係で多くのご遺体が流れ着き、地元の人が荼毘に付してくれた場所でもあります。片道2時間以上かかるので、普通のツアーではいかないところですが、私たちは門田隆将氏の講演を車中で聞きながら潮音寺を目指しました。
高雄はもう熱帯です。暑いのですが、潮音寺に着くとなぜか背筋がピンと伸びます。そこを私財を投入し釈迦牟尼如来を祭るお堂を立てくださった鐘さんも一緒に来ていただき、君が代、海ゆかばそしてお寺ですから、般若心経を皆で唱えました。きっと英霊の方にも私たちの歌声と読経が届いたと信じています。
そしてまた二時間以上かけて高雄市内に戻っていったのです。
とうぜん車内ではいろんな人がお話しされるのですが、日本と台湾を行ったり来たりしている門田隆将が台湾問題について取材する男、藤重太氏の台湾人とのお酒飲み方講座などを聞きながら楽しく帰ってきました。
その行先は、紅毛保安堂と言って今度は軍艦神社です。ここもバシー海峡で沈んだヨモギという哨戒艇、英語で言えばフリゲート艦の乗員145柱を祭ってある神社ですが、そこに日本でもない安倍晋三氏の銅像を作って守ってくれている場所です。
去年の10月にも行ったのですが、その後も施設長の張さんが福岡に来たり、大阪に来たりと3度ほどあっているので、今回行くことを伝えたら、夕食は私たちがご馳走しますという申し出があり、お任せしていました。
すると途中位から、数が半端ないほどになっていることをお聞きました。えっ、300人超えた? どこからそんな人が来るの?
台湾全土から申し込みがあったようで、私たちはスペシャルゲストなんだそうです。
18時までに来てくださいということで、バスを飛ばしていくとそこにはすでに多くの人がテーブルについて私たちが来るのを待っていてくれました。
空模様が心配だったのですが、立派なテントが張り巡らされており、そこには中華料理の円卓が、そしてなんとお堂の裏にもテント張り巡らされており、数十人のコックさんが忙しそうに料理を作ってくれていました。
そして私福岡台援隊三代目隊長が乾杯の挨拶を仰せつかり、西川京子団長の後に乾杯をしました。
その時に、やはりここの主役はヨモギの高田艦長と144柱の乗組員ですから、福岡台援隊のメンバーに立っていただき、英霊に向かって敬礼をしました。またそのお宮の右側に立っている安倍さんの銅像に向かっても敬礼を捧げ、英霊に感謝、そしてお越しいただいている300人超の現地の方々に感謝の気持ちを込めて、乾杯しました。
この様子は地元のテレビ局で放映されており、私も当然のごとく写っていました。
いやーこれこそ民間交流です。台湾明石会の朱理事長にもあえて本当にうれしかったし、旧友の連君にも会えてよかったです。
これからも台湾に行くと高雄は絶対に外せないところになりました。