最近のマスコミの旧統一教会と自民党叩きのキャンペーンは目に余るものがあります。
かといって、旧統一教会の人の弱みに付け込んだ高額献金事件は許すことのできない事件ですが、ここを法律で取り締まることは信教の自由に反します。
なんでも政府が規制をかけることが出来るのなら日本は自由主義社会の一員と言えなくなるでしょう。
私は嫌です。
ただその自由を確保するためには自分で自分の行動や判断に責任を持つことが必要となります。
いわば「自業自得」です。
多くの人が自由や権利を声高に叫びますが、責任や義務もそれに伴っていることを忘れてやしませんか?
怪しげな宗教団体に高額の献金をすることをその人は選んだのです。ちょっと冷静になって考えたり、教養のある人に相談すればなんてことないはずなのに、いつの間にか全財産を献金しているのです。
私の身近でも、明らかに怪しげな人に現金で3000万近くを貸し、借用書も貰っていない人がいました。言葉巧みにだまされたのでしょうが、一言でも事前に相談してもらえればなんてことなかったのです。
高額のお金は貸した後では借りたものの方が強いのです。また借用書無し、現金手渡しではどうしようもありません。
後になって冷静に話をすれば「なぜあの時お金を出したんだろう」と自分でもすぐわかることですが、その最中は全く冷静な判断が出来なかったようです。
似非宗教団体が多額の献金を募るときに、人の不幸に付け込みます。
「あなたが今不幸なのはご先祖様の悪行があなたに来ているからで、そのためには先祖の悪行を清めなければならない」と言ってお金をせしめたり、「ご先祖様が怒っているからそれを鎮めるために特別な祈祷をせねばならない」と不安をあおるという手口です。
そこにはいくつかの共通した手口があります。
・まずは姓名判断や手相などで相手を信用させる。その時の鑑定料は1000円程度のとっつきやすい金額。
・その中でさらに悪いことがあると、ご先祖様の悪行やご先祖様が怒っているからそれが起きていると説得力のある話をする。
・決断に時間をかけさせない。おどす!
・一度そこにお金を払うと自己正当化をするために「あれは必要だったんだ」と思い込むようにして、さらにお金をつぎ込ませる。
いろんな人から相談を受けるのですが、だいたいこんなものですね。
絶好調の人が姓名判断や手相を見てもらうことはないですし、そうであったらそこを徹底的にほめることでしょう。人間得てしていろんな悩みを抱えているものです。
それが自分自身のものならばある程度理解し、納得もできるのですが、子供の問題であったり、病気の問題であったりするとそこには「わらをもすがる気持ち」が働きますね。
そこに付け込むのです。
不幸な人は顔や雰囲気で私でもわかります。また顔色や表情や話し方でその人自身が病気か、家族の問題なのか容易に推察できるものです。
私は生命保険の営業の先生でしたから、そういう相手の表情は何を意味するのかなどを良く教えていました。
人間からは常にオーラ(気)・雰囲気が出ており、元気な人、悩んでいる人、病気の人などすぐに見分けがつくものです。それをお金に変えるだけのこと。私も心が邪悪ならばその道に入っていたことでしょう。
でも、私はご先祖様やいろんな神様に護られているので決して悪の道へは行きかかってもすぐに引き戻されてきました。あの時に戻っていてよかったと思うことが何度もあります。
だから今は少しでも周りに恩返しをするつもりで毎日を生きています。
不思議なものでそういう生き方をしていると邪悪な心の持ち主や人を妬んだり恨んでいる人や、私を踏み台にしようとしている人がすぐにわかってしまうのです。そしてそのような人たちとは付き合いを断つことにしています。
これも宗像大社の神の島である沖ノ島に5回も受け入れていただいたことから始まっているのです。
ここであれ?と思われた方が多いと思いますが、私は霊感を否定する側ではなく、肯定する側なのです。
神様を大切にし、神と共に生きる生き方を実践しようとしているだけです。
面白いことに、自分がギラギラしていた時は相手のことが全く見えず、おいしい話に踊らされて相当お金を無駄に使いました。私も凡人なのです。だから騙されて大きな借金を背負わされたり、心当たりのないことで人から誤解を受けたりしていました。
ところが自分自身を省みて、人のために、社会のために、祖国のために自分が何ができるかを考え始めたところ、徐々に自分の中からギラギラしたものが減り始め、するとそれに同じだけ相手がよく見えるようになってきました。
これと同じような経験をしたことがある人はたくさんおられるでしょう。
今も私には身分不相応なプロジェクトを手掛けていますが、自分の栄耀栄華のためにしようとは全く思っておらず、素晴らしい祖国を子や孫たちにどうやったら残せるかという思いで日々活動しているので、いろんな人と出会ったり、いろんな人が私を押し上げてくれたりしています。
でも、私の一番の幸せは孫たちと遊ぶことであり、この子たちと楽しく遊べるだけのお金があれば、他に何も欲しいとは思いません。名誉も地位もいらないのです。
ただ祖国のために自分の能力を生かせる場所があればいいのです。
こんな生き方をしていると誰も私をだまそうとはしなくなりました。
そして神社やお寺に行くと必ずそこには私を待つ何かがあるのです。自分の感覚が研ぎ澄まされていないと気付かない何かが。
それを感じることがまた大きな幸せとなっているのです。
それでもまだ人間らしさは残っており、素敵な女性の前では青年に戻ります。他の人の前では雄弁であっても、その人の前では寡黙なりがちです。お金儲けはしたいですが、そのために汚いことはしません。
生活していくだけのお金があればいいんです。幸いに家も車も家族も持っていますから。
仏教でも「足ることを知る」という教えがあります。他人が持っているものを羨むのではなく、自分が今持っているものを知り、それに感謝することです。
幸せって「感謝の気持ち」を持つことから始まりますよね。
神様から色んな試練を与えられますが、それは自分を磨き、大きくなるためのものとして感謝していけば、いつの間にか解決しています。ちょっと前に悩みに悩んでいたものが時間が経つととてもちっぽけなものになっていくことがよくありますね。
自分に不幸が訪れた時、それを感謝するか、恨むかで次の展開が大いに違ってきます。
もしお悩みをお持ちの方、ぜひそれに感謝してみてください、次の展開が大きく変わってきますよ。
もしお悩みをお持ちの方、それを社会や他人のせいにすることなく、自分のせいとして反省し、改善してみてください。すぐにその効果が出てきますよ。
もしお悩みをお持ちの方、自分の周りに真剣に自分のことを心配してくれている人を見つけましょう。その人たちを裏切っていませんか?その人たちを困らせていませんか? だから自分自身に悩みがあるのです。
これを神社に行って正式参拝し、太鼓の音、鐘の音を聞きながら考えてみてください。魂が洗い流されますよ。
それでもダメなら、お寺に行き、座禅をして自分の悩みに徹底的に向き合ってみてください。きっと一筋の光明が見えてきますよ。
又はあなたが周りで信頼できる人に悩みを聞いてもらうことですね。話せば話すほど心が整理できて、心が軽くなりますよ。
そして何より他の人のために何ができるかを常に考え、どんなに小さなことでもいいから人のためになることをやってみましょう。
それを自分自身と約束するのです。小さな自分との約束が守れるようになったらだんだん自分のことが信じることが出来るようになります。
そう、それが自信というものになります。
こういう自分自身で努力もせず、何かにすがろうとするから多額の現金をだまし取られるのです。
人の弱みに付け込む輩が悪いのですが、そうさせる人も反省せねばならないと思いませんか?
自業自得です。自己責任です。騙される人が悪いのです。
「政府が厳しく規制を」というのには反対です。もっと自分自身が強くなったり、信頼できる人に相談したりすればいいだけのこと。相談できる人がいないという人は、自分の信頼を高めるように自分自身で努力しないといつまでも今のままですよ。
山本太郎が「あなたは悪くない、社会が悪い」というとそれを信じる人が霊感商法に引っかかりやすい人です。
社会は何もしません。
自分で努力もせずに社会や他人を恨んでも何も解決しないのです。
じゃあ政府は?
2018年6月に消費者契約法 4条 3項 6号で霊感商法でだまされた人の救済策があります。
>>>引用開始
第4条 消費者は、事業者が消費者契約の締結について勧誘をするに際し、当該消費者に対して次の各号に掲げる行為をしたことにより当該各号に定める誤認をし、それによって当該消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示をしたときは、これを取り消すことができる。
六号 当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること。
>>>引用終わり
ここまでちゃんと政府(安倍政権)はやっているのです。
マスコミで議員と霊感商法云々と騒ぎ立てる前に、きちんとこのことを皆に教え、そして訴訟を起こさせるのが法治国家の正しい追及の仕方です。
似非宗教団体はこのような霊感商法でお金を巻き上げました。ただ、これは統一教会に限らず、私は創価学会でも同じようなことがあったことを知っていますし、個人レベルの霊能力者がお金を巻き上げたということを数件聞いたことがあります。
これが教団の体質ならば、上記の消費者契約法に基づいて訴訟を起こすべきです。そうやって法律という誰もが納得できる方法で似非宗教団体を追及し、そういう犯罪が出来なくなるように社会ではすべきですし、悩みのある人は信頼できる友人を持てるように生活を改めるべきだと思うのです。