井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 先ほどフェイスブックを見ていると美輪明宏の『ヨイトマケの歌』の誕生秘話が載っていたのでシェアすると、数人の方から「美輪明宏はこんな人ですよ」と彼の左巻き的な思想をまとめたサイトをご紹介くださった。

 

 こういう情報提供はとても有難く、私もただのおじさんですから、知らないことはたくさんあるからです。

 

 でも、美輪明宏は思想的には左巻きですが、どうしても嫌いになれません。この人はバイセクシャルとして戦後のまだ保守的考え方が強い時代にカミングアウトして皆から化け物扱いを受けながらもそれに耐えて堂々と生きたという背景があるからです。

 

 そしてその才能と魅力を認めた人々がいたからこそ長年にわたって芸能界で生き延びてきた人です。

 

 私はこの人の強さと、そしてこの人の活躍する舞台を作った日本の寛容さに注目しています。

 

 昨年LGBT理解増進法の成立を巡って様々な議論がなされましたが、ここで私やその仲間が展開した理論の一つに、日本には差別は存在しない、皆思いやりで対応できるというものがありました。

 

 その証拠の一つがこの美輪明宏の存在です。この人をテレビで見た時、当時まだ子供だった私は強烈な違和感を抱き、何か異端のものを見るように見ていました。当時のテレビの歌番組は歌だけではなくその容姿を競い合ったものですから。

 

 ひときわ目立つ異才にびっくりしました。男だろうか?女だろうか?と頭は混乱しましたが、その何とも言えない魅力に惹かれていきました。そして男でも女でも関係ないと思うようになったのです。そういう区別ではなく、すごい人かどうかが大事であるということが。

 

 それでも世間はまだ色者扱いでしたが、着実にファンを取り込んでいっているようでした。

 

 私はファンでも何でもありません。でも、この人の異才は認めていたし、そのような存在がいてもいいと思っていました。

 

 ここは皆さんが納得していただけるところだと思います。

 

 しかし、キリスト教やイスラム教の「こうあらねばならない」という一神教の世界では、ああいう存在は許容されるものではなく、忌み嫌われる存在なのです。

 

 そこが世界と日本との大きな違いなのです。日本の社会だけしか知らないと当然のごとくそれが当たり前になりますが、世界の常識では大きく違うところがたくさんあるのです。それを左巻きたちは世界の常識からみて遅れているからと言ってLGBT法が必要だと主張していましたが、世界の常識と日本の常識が違うのが面白いし、そこの価値を見出すことをしないのです。

 

 日本全国津々浦々、ご当地に行かないと食べることのできないおいしいものがたくさんあります。もし全国のすべてのレストランがマクドナルドだけだったら誰も旅行にはいかなくなりますよね。

 

 左巻きたちはそういう世界を作ろうとしているのです。服も男女が同じ、食べ物も栄養素を重視して味など二の次、思想も画一化したものでそれ以外を認めない世界です。

 

 そこに人間本来の喜びはないと思っています。貧富の差、家族の有無、質の高い友人の数、天職についているなど千差万別が当たり前の社会が楽しいと思いませんか? 私はそう思っています。

 

 それは異質のものを忌避するのではなく、受け入れ楽しむことをすることが本当の寛容な社会であり、それこそが包括的な社会というものではないでしょうか。

 

 だから私の集まりに全く思想の違った人を入れることもあるのですが、私たちが良くてもその人が居心地が悪いようです。でも、おいでと誘います。もちろんその人が一定以上の常識人だというのが前提です。

 

 でも、その人たちの集まりに私などは入ることさえできません。排除されます。

 

 寛容な社会はすべてを受け入れるのですが、そこから出ていきたければどうぞという世界です。来る者は拒まず、去る者は追わずの社会ですね。

 

 それをあっち側の人だからと排除すれば私たちも同じ側の人になってしまうのです。

 

 だから思想と心情を分けて考えています。

 

 中村哲さんという医師でありながらアフガニスタンに用水路を作って緑化をした方がいます。この人も憲法9条擁護派の一人でした。思想的には相容れぬ人ですが、一度講演を聞いてこの人の大きな魅力を感じ取ることができました。丸腰で危険なところにずかずかと分け入っていくのです。中村先生は思想と行動を一にしておられたのです。

 

 本物の偉人だと思いました。だから尊敬するのです。到底私のような凡人にはなしえないことをされた方だからです。

 

 しかし2019年に凶弾に倒れてなくなりました。多くの人が悲しみその死を悼みました。でも中村先生は本望だったと思います。自分の意志を貫かれたのですから。だから私はこの方を尊敬しています。でも、思想は全く違いますが。

 

 もう私が何を言おうとしているのか十分にお分かりになったと思います。

 

 人は行動がすべてなのです、何をしようとしているのかではなく、何を成し遂げたのかでその人の評価が決まるし、いまだ成し遂げていないけど日々そのために惜しみない努力をしている人は思想は関係ないのです。

 

 最後に長くなりますが、ヨイトマケノ歌をご紹介します。

 

 >>>引用開始

 

 

「ヨイトマケの唄」

美輪さんは、

ある日手違いで炭鉱町で唄うことになります。

顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、安い賃金の中からチケットを買って、聴きに来てくれたことに感動すると同時に、

キラキラの衣裳を着た自分自身が 恥ずかしく思い、

「炭鉱で汗を流す労働者を励ます歌を作ろう!」そう考えたそうです。

曲の発想は、

美輪明宏さんの小学生時代の記憶。

小学生の低学年の頃、

父兄会で 着飾った服を着ている 母親の中に、

野良着にモンペ姿、頭に手ぬぐいをかぶって1人遅れてきた母親がいました 。

背が小さくて痩せて顔が黒く足が不自由な女性でした。

その母親は、学校で一番出来の悪い男の子の母親でした。

鼻を垂らしている息子を見た母親は、鼻を自分の口ですすって、窓からペッとはきます。

それを見た他の母子が、

汚いものを見るような目で見ていた中、

感性の豊かな少年時代の美輪明宏さんは、深い母性を感じ、

それ以降、出来が悪く、いじめられていた男の子をかばい、友達になります。

そんなある日、美輪さんと男の子は、一緒に帰っていた時に、

男の子のお母さんが足を引きずりながら、土方(どかた)の仕事をしている現場に遭遇します。

足の不自由だった母親がよろける度に、

「やめちまえ!」

「ろくでなし!」

「みんな迷惑なんだよ!」

等の声が浴びせられるも、

母親は、

「すいません! すいません!」

と謝っていました。

しかし、息子の姿を見かけると

胸を張って、

大丈夫!心配すんじゃないよ!という顔をしていて、

美輪さんは、そんな友達の母親の気遣いに感激。

実は、友達は、学校でいじめられている事を母親に言い付けようと思っていたんです。

しかし、母親のその姿を見て学校に引き返します。

美輪さんは、「お母さんに言わないでいいの? 」と聞くと、

長崎弁で友達は、

「母ちゃんに心配させとうなかけん」

と言って学校に戻っていったそうです。

しかし、いじめられている事はやがて母親が知る事になります。

母親は、こう言ったといいます。

「喧嘩が強いから偉いんじゃなかとよ。

金持ちだから偉いんじゃなかとよ。

勉強が出来なくても、貧乏でも、関係なかと。

一番偉かとはね、

正直で、

お天道様の前に胸を張って、

誰にも指さされないように一生懸命働いて、

正直に生きる。

それが偉かとよ。

だからお前は偉かと。」

この母親の言葉に 美輪さんは感涙 。

この母子のエピソードが脳裏に焼き付いていて、

『ヨイトマケの唄』の着想になりました。

そして、もう1人 、着想のきっかけとなった人がいます。

それが、両親をロシア兵に目の前で殺された少年 。

その少年は、1人で引き揚げ、廃品回収業をやっている祖父に育てられます。

その少年が中学の時に、祖父が亡くなり、

祖父の遺体をリアカーに積んで、1人で焼き場に持っていて、この先 どうしよう… と途方に暮れていた時、

ふと、殺された父親は技術者である事を思い出し、

「自分も父親のようなエンジニアになろう」と思い、

苦労の末大学に行きます。

美輪さんが知り合った時、

彼は大学生で、銀座で進駐軍の物を屋台で売っていましたが、露天の縄張りでいじめられていました。

美輪さんは、いじめていた人を説得し、大学生を救います。

当時美輪さんは、

シャンソン喫茶『銀巴里』で唄っていた頃で、

大学生は、助けてくれたお礼に、オーデコロンを持って銀巴里に来店し、

美輪さんに、ロシア兵に両親を殺された話、祖父の話、エンジニアになりたい夢を語ります。

美輪さんは、それにいたく感激。

2人はしばらく交流しますが、やがて疎遠となります。

長らく会わずにいたある日、

日本橋の三越を歩いている美輪さんに、

「おい丸さん(当時の芸名丸山から)」と、話し掛ける男と出会います。

ふと見ると、その時の大学生で、ここの現場で働いていると言います。

美輪さんは、「エンジニアになるんじゃなかったの?」と聞くと、

彼は、「エンジニアになるには、釘一本でも、ネジ一本でも、知っとかないと立派なエンジニアには なれないんだよ。だから現場監督からやるんだ~。」と言ったそうです。

美輪さんは、彼の言葉に感動します。

美輪さんは、後に、ついにエンジニアになった彼をお祝いをしようと、

彼とその友達を自宅に招き、

赤飯を炊いて「おめでとう!」と 言ってあげると、

彼は急に泣き出しました。

美輪は、「どうしたの? 」と聞くと、

「今まで生まれてこの方、

自分の為に赤飯を炊いて祝ってくれた人なんか1人もいなかった。」

美輪さんも、そんな彼に泣きながら、

「お父さんもお母さんも、

おじいちゃんも、

天国で、どんなにあなたの事を喜んでいるか。」

と言って、慰め励まします。

この時の彼の嬉しそうな顔も美輪さんの脳裏に焼き付いていて、

『ヨイトマケの唄』を作る時、

この小学生の時の友達とその母親。

さらに、

天涯孤独の中エンジニアになった男性。

この3人のエピソードがオーバーラップして生まれたと語りました。

さらに美輪さんは 、

あのお母さんは、「手ぬぐいを持っているのに何故口で鼻をすすったのか?」

後に、その母親に聞いたそうです。

すると母親は、

「手ぬぐいは商売道具。

手ぬぐいを使ったら、他の姉さん方に失礼だ。」

と言ったそうです。

共に土方で働いている、先輩の女性を気遣う気持ちに、感慨無量になったそうです。

このエピソードを元に『ヨイトマケの唄』が誕生しました。

※「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある岩を縄で滑車に吊るした槌を、数人掛かりで引張り上げて落とす時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。

YouTube 「ヨイトマケの唄」美輪明宏

https://youtu.be/8NK9jtPyQdk

 

 >>>引用終わり

 

 

 フェイスブックを見ていると有名人たちが投資のノウハウを無料で教えますとかいう広告があり、池上彰や森永卓郎や前澤氏、この人が出てきた時すぐおかしいと思うのが普通だと思うのですが、その広告をなぜか信じて多額のお金を詐取されたと怒っている人たちが裁判所にメタ社を訴えました。

 

 そのことを朝のテレビでやっていたのですが、この広告を「嘘」「偽物」として見抜けないような人が、つまり洞察力に欠けているような人が投資に成功するはずがないじゃないかと思ったのは私だけではないと思います。

 

 前澤氏のお金を配るという広告が垂れ流されていた時も、これを信じてクリックしたという話は聞きましたが、前澤氏という存在を知らない中高年はほとんど動かなかったようです。でも、若い人でその被害にあった人はいるようですが、もともとそんなにお金を持っていない人が多かったのではないでしょうか。

 

 投資術というのはきっとあると思います。またそれによって巨万の富を築いた人もいることでしょう。でも、名言によると;「人の行く 裏に道あり 花の山」というのがあるように、ほかの人が気づかないところに巨利を得る機会があるということです。

 

 それを万人に広めて何を求めているのかを理解もできない人、つまり洞察力に欠けている人がベテランでも失敗する投資でうまくいくわけがないでしょう。

 

 それをその広告を載せているメタを相手取って裁判を起こすなど、下衆の極みだと私は思っています。

 

 大谷選手の元通訳の水原一平も、自分が称賛の対象ではないのにも関わらず周りからちやほやされて勘違いしたのでしょう、ギャンブル依存症になっていますが、これはいつでもどこでスマホがあればできるギャンブルだから歯止めがきかなかったからだと思います。

 

 競馬でも競輪でもパチンコでも、その場に足を運ばなければならない場合、その時間と資金を作り出さねばなりません。夜中に競馬をしたいと思っていても夜中には競馬をやっていません。パチンコ屋も福岡は10時には閉店します。

 

 でも、スマホではいつでもどこでもできるという利点があり、それが多くの人を不幸にする欠点でもあります。

 

 カジノ法案の是非を巡って論争している時に、「日本には多くのギャンブル依存症の人がいます」と蓮舫が安倍総理に問いただしたときの動画を見ていると、カジノが日本にないのにどうしてギャンブル依存症の人がたくさんいるからよくないと論理になるのか理解できませんでした。

 

 カジノもパチンコ屋も足をそこに運ばないと遊戯ができません。でも、カジノは成立しても日本には数か所だけ、パチンコ屋は日本中至る所にあります。とても利便性があります。だから行こうと思えば行くことのできるハードルはカジノより低いのです。

 

 そしてそこはすでにギャンブルが合法的できる抜け道でもあります。

 

 それを上回るのがスマホで出来るギャンブルであり、上記の詐欺まがいの広告で一攫千金を狙わせる本当の詐欺です。

 

 くどくど書いてきましたが、私の結論は、する人の自己責任だということです。だから自分が得になるか、損になるかを冷静に考えてお金を使わないととんでもないことになるのですが、これを政府が規制しろとか、広告を載せた企業が問題があるとかいうのは、お門違いもはなはだしいと思います。

 

 それをやった人の責任であり、その人がいくら損をしようが私たちは関係ないのです。

 

 これは、一時マスコミをにぎわせた宗教法人に多額の献金をしていた人たちと同じことだと思います。

 

 だました宗教法人が悪いのは当たり前ですが、騙されて多額の献金をした人たちも悪いのです。自分のできる範囲での献金をすればいいだけのこと。

 

 献金のことを別な言葉では「喜捨」と言います。喜んで捨てるのです。信じている神様のために喜んで自分の財産を捨てるのです。それが多すぎたどうかは、他人が決めることではないのです。

 

 つまり自己責任。これに尽きると思います。

 

 フェイスブックはとても便利な道具です。学生時代の友人と偶然フェイスブックで再開できたりすることも多々あります。でも、使い方を間違えるととんでもないことになります。

 

 車もそうですね、とても便利ですが、運転を誤ると他人や自分の命を奪うようになります。なら車をすべて廃止しますか?車会社を訴えますか?

 

 自分の心を磨き、して良いことと悪いことをちゃんと見極めることができるようにしなければなりません。それを教えるのが家庭教育であり、道徳の時間ですが、それを両方否定するのが左巻きたちですね。

 

 私の友人がフィリッピンで豚への投資を始めたそうです。お金を振り込むとかわいい子ブタたちの写真が送られてきて、これだけ大きくなりましたよと毎月送られてきたそうです。そしてもっと豚を飼わないかとつまり追加投資を持ち掛けられたそうですが、それは断ったそうです。

 

 一年ほどたって十分に出荷できるように丸々大きくなった写真が送られてきて、それではそれを市場に売ろうとしたら、次の写真が「病気で亡くなってしまいました」というお知らせでした。

 

 毎月ちゃんとフォローされていたので、どんどん期待が膨らんでいた矢先の出来事でした。もし友人にお金の余裕があれば、もっと子豚を飼って投資を増やしていたことでしょう。でも、結局はみな死んでしまうのですがね。

 

 これを聞いた人たちはみな大笑いしましたが、でも、その中にこれと同様の詐欺にあいそうになった例を知っています。

 

 私もギャンブルは好きです。忙しいといけないのですが、会社員の時は仲間とマージャンをしたりしていました。今でもたまにパチスロをしたりするときもあります。のめり込んでいかないように今は自制していますが、のめり込んだ時期もかつてはありました。だから、冷静になった今はこういう詐欺事件のことはよく見えるのです。

 

 すべてが自分の蒔いた種の問題です。良い種をまき、大切に育てれば多くの収穫に恵まれます。でも、悪い種をまけば悪い結果しか生まれません。すべては自分の「スケベ心」が原因なのです。

 

 暇なときは、近くの神社のごみ拾いでもしましょう。自分の心もきれいになりますよ。

 

 

 民間団体の人口戦略会議が発表した消滅可能自治体が744もあることに今更びっくりした人はいないでしょう。

 

 いる?

 

 少子化が叫ばれてもう数十年たちます。私が小学校の頃は一学年10組くらいありました。中学校は13組くらいあったことを覚えています。それも60人くらいの定員です。

 

 今学級の生徒の数は35人くらいですか。とても少ないのですが、孫の行っている小学校は一学年3クラスしかありません。

 

 もう早くから少子化は叫ばれ、ちょっと見たらすぐにその実態が見えていました。

 

 その時に、政権はいったい何をしてきたのでしょう? 誰も何も言わなかったのです。

 

 なぜ?

 

 それは票にならないから。

 

 老人対策や医療問題や福祉問題を前面に出さないと議員が当選できないからです。

 

 つまり政府も議員もそしてそれを選ぶ国民にもみんなに責任があると思います。

 

 岸田総理は昨年の所信表明演説で異次元の少子化対策をすると打ち出しました。

 

 しかし、結局何もせずに、少子化対策とは全く無縁で生産性の上がらないLGBT理解増進法を無理やり通して自民党の支持率を低下させ、もう自発的に解散も打てないくらいにみじめな総理大臣に成り下がっています。

 

 自治体別にみると、少子化対策を積極的に取り組んできたところは相対的に人口は増えています。また産業が盛んで働き口がたくさんあるところは人口が増えています。

 

 逆に何も取り組んでいないところ、また働き口がないために市や町から人々が流出し、さらに税収が減るために何も手が打てないところは、さらに人口減少に追い打ちが掛かっています。

 

 

 

 
 744の自治体のリストをご覧ください。皆さんの出身地や住所も入っていると思います。
 
 福岡市は九州の他の自治体から人口が流入しているために数少ない人口が増えている市です。福岡市だけでなくその周辺の市町村も人口が増えており、九州の一極集中になってきています。
 
 日本の一極集中は東京ですね。
 
 どうして東京や福岡市などに人口が集まってくるのでしょうか?
 
 それは仕事があるからですね。だから人が寄ってくる、家族で来るので子供の教育機関が必要となり、公立だけでなく私立の学校も増えてきます。さらに高等教育機関も充実し、そこに入るためにまた人が集まってくるのです。
 
 また別の例では熊本の菊陽町には台湾のTSMCの関連会社JASMができ、大卒の初任給がなんと28万円と注目され、それにより他の企業も初任給を高く上げざるを得なくなっています。求人難で、人口もどんどん増えてきています。
 
 こうやってどうしたら人口が増え、どうしたら人口が減るのかをちゃんと知れば次の手が打てるはずです。
 
 もちろん、その自治体がどのような立地条件にあるのかによって変わってくるので、一概には言えません。でもそれぞれの特徴を考えればいろんな工夫ができるでしょう。
 
 大都市への通勤圏内の中小都市では、子育てがしやすい環境や住居等の対策をとれば、マイホームを求めて人が集まってくるでしょう。しかし、近くに働き口がなく、離島というハンディを背負っているところは、いくらそんな対策をしても、収入を得る手段がないと人は寄ってきません。そこには雇用を生み出す産業が必要なのです。
 
 と言いながら「人手不足」という言葉が町には横行しています。
 
 人口減少を不作為で止めなかった政権、そして今は人手不足だと騒ぎ立てるマスコミ、だから大量の移民が必要だという論理になるのでしょうが、それは祖国を壊すことになるので、絶対に阻止すべきなのです。
 
 人口が増えている自治体を調べるとほとんどが他からの流入です。それを国際的視野でやろうとしているのが国家観のない官僚たちですが、実際の地域ではそれが社会問題になるのです。
 
 乗り合いタクシー? ウーバータクシーにしていきたいのでしょうか?
 
 他国の例を見ると、タクシードライバーが移民の手っ取り早い職業になります。車さえあれば長時間労働でも低賃金でも働けるからです。でも、私たちの命をそんな日本語もできない外国人に預けていいのでしょうか?いくつかの都市で実験的に自動車二種免許を日本語以外でも受験できるようになっているそうです。
 
 別に人種差別するわけではないですが、日本語も通じないタクシーにわざわざお金を払って乗りたくないですね。
 
 コンビニには多くの外国人が働いています。「どこの国の人?」って聞いて、ネパールとか言われると「ナマステ」っていうようにしています。するとニコッと笑ってくれ、「がんばれよ」と言って帰るのですが、日本の若者はどこに行ったの?
 
 ときどき私と同年代の人が入っていることがあるのですが、しばらくすると姿を消します。プライドや健康が許さないのでしょうかね。
 
 首長さんや地方の議員さんたちは自分の票のことなど考えずに、つまり建設業界の言うことばかり聞かないで、地道に子育てがしやすい環境を作るようにしたらどうでしょう。東京都のある区では子育てがしやすい環境を作って前回は不名誉なリストに入っていましたが、今は脱却しているというニュースも流れていますよね。
 
 ただ地方の町や村は自分のところとか、その周辺に産業を誘致しないと人口減少には歯止めがかかりません。だから広域の企業誘致プロジェクトなどをいくつかの町村で作って企業を誘致しやすいようにせねば成らないと思います。
 
 それぞれの町が自治体が自分のところに見合った少子化対策を知恵を出し合ってすることのコンテストをやって、優秀賞にはその費用を全額国が面倒を見るなどの競争をさせてもいいのではないでしょうか。
 
 また国も子供の数に応じて累進減税をするなど、できるだけ高所得者の家庭で子供の数が増えるようにすれば、子供の貧困問題も解決できますよね。
 
 また扶養手当の復活をすることにより、結婚している家庭と結婚していない人の税金を変えるべきだとも思っています。子供をたくさん産んだところは子供の数で、そして子供がいない家庭や独身者は税金で国に貢献しているという考え方です。
 
 アイディアは無限に出てきますが、今はやりのポリコレなどの左翼的考えを排除することが先決になるでしょう。
 
 そうしないと日本国は没落し、孫や子供の時代に誇りある日本は残せないのです。
 
 私はいろんな活動をしていますが、すべては孫たちの世代に誇りある日本を残したがためにやっているのです。
 
 政治だけのせいにしないで、もっとそれぞれが自分たちの故郷に対して声をあげましょう。

 

 19日から産経新聞の矢板明夫台北支局長が160人もの台湾の方々を連れて安倍元総理のお墓参りに来てくれました。一行は太宰府天満宮や萩の松下村塾、門司のレトロ地区など山口県と北部九州を回られてきて、昨日は我が福岡市の筥崎宮境内にある明石元二郎顕彰碑にお参りいただき、筥崎宮で正式参拝をしていただきました。

 

 台湾の元外務大臣をされた陳唐山先生や多くの日本を愛する、そして安倍晋三氏を敬愛する台湾の方々をお迎えするので、私の友人たちと福岡県郷友連盟の有志によってご奉仕いたしました。

 

 顕彰碑は外境内に建立されており、そこから本殿までは約800メートルあり、二か所による作戦実行となりました。

 

 ただ高速道路で大事故があったために、当初の10時着の予定が10時半過ぎとなり、トイレに行くは、ゆっくりと移動するはで一時はどうなることかと思いましたが、やはり台湾の方々そしてその中でも特に親日色の強い方々なので、到着後はすべて順調に推移しました。

 

 30名、60名、60名と三班に分け、矢板明夫氏の通訳により、まずは福岡県郷友連盟の児嶋幹司会長が歓迎のあいさつをし、私が顕彰碑の説明をさせていただきました。通訳を入れてお話しするのは、自分が通訳をすることもあるのでできるだけ単文でキーワードを必ず入れて簡潔にお話しさせていただきました。

 

 明石元二郎閣下の顕彰碑は主碑と二つの副碑からなり、向かって左側の副碑は2019年に行った明石元二郎没後100年の慰霊祭に寄せられた李登輝閣下からのメッセージを彫り込んであります。右側は明石元二郎の説明文が書いてありますが、「この文章は私が書きました。」というと拍手が起きました。

 

 そして最後は福岡県郷友連盟の岡田敏江副会長による君が代の斉唱です。岡田先生はシャンソンの歌手であり、その美声で台湾の方々の心を鷲掴みにしてくれました。

 

 あとで台湾の方々から「感動した」とか「素晴らしい」という称賛の声をいただきました。

 

 そしてすぐに本殿にバスで移動し、正式参拝をしていただきました。

 

 私は三班目の解説が終わった後に合流したのですが、神職の言葉を通訳してもらいながらの正式参拝で、宮司さんもご挨拶をしていただき、ここでも盛り上がりました。

 

 そして田村宮司がこのお宮の1101年前からの代々の宮司家の方であることを言うと、「おうー」と感嘆の声が上がっていました。やはり台湾の方々は歴史や伝統にとても重きを置かれていることがわかります。

 

 全部のオペレーションが終わったのが12時半、どっと疲れましたが、交通事故による時間の遅れ以外はすべてがいろんな方々のご協力によりとても順調に推移しました。

 

 こうやって日本の文化をきちんと伝えていくことがさらに深い絆を台湾の人々と伝えることになります。

 

 そして夜はその160名の方々のうち、私の友人の朱さんの仲間10人を囲んでの大宴会で、結局総勢70名ほどが集まり、台湾の陳銘俊総領事も来ていただき、さらに常連である九州経済の重鎮である松尾新吾元九電会長やお仏壇のはせがわの長谷川裕一元会長なども来ていただき、月曜日ですが、大いに盛り上がりました。

 

 来月は門田隆将氏や山口敬之氏らとともに、また台湾に行きますので、そこでまた多くの方とお会いできるようです。というのも高雄にある紅毛保安堂では、私たち一行40人を歓迎すべく大宴会を準備しているとのこと。

 

 そこには台湾全土から約300名の方々が集って私たちと大宴会をするようになっているそうです。

 

 こうやって台湾と日本は正式な国交はありませんが、民間人同士はこんなにも強い絆で結ばれているのです。

 

 そうそう紅毛保安堂は日本の軍艦の乗組員が祭ってあるところですが、もう一つは日本ではまだない安倍晋三元総理の銅像が建立されているところです。これも亡くなった安倍さんのお引き合わせかと思っています。

 

 だから安倍さんの銅像の前で日台の愛国者たちが集って楽しく酒を酌み交わすということはとても意義あるものだと思うのです。

 

 そういうことを予定しているにもかかわらず、日本ではいまだにキックバックや政治資金のことをとやかく言っていますが、そんな些細なことよりも日本国にとって重要なことがたくさんあるのです。日本を取り巻く環境はどんどん変化しているのです。

 

 政治不信になりそうになりながらも、だからこそその対案として高市早苗さんを総理しようとする活動を行っております。今の自民党の政治にはもうこりごりだと思っている方、ぜひ最後の切り札が高市早苗さんだと思ってください。

 

 そしてみんなで高市さんを盛り上げて日和見な自民党の議員たちを高市さん側に就かせましょう。それが政治を変える一番の近道だし、一番の順当な方法であると思っております。

 

 5月11日に大分のレンブラントホテルで14時から高市さんと門田隆将のダブル講演会を行います。司会は私です。

 

 また翌日には高知市の高知県民文化ホールで同じく14時からダブル講演会を実施します。司会もここでも私が行います。

 

 たくさんの方に来てほしい、そして暑い熱気を東京に向けて送りたい、そう地方から変えていかないと政治を変えることはできないのです。これは革命ではありません、日本国民のための政治に戻すだけの作業なのです。でも、それは歪んだ今となってはとても大変な作業です。

 

 一人では決してできません。でも愛国者が力を合わせれば必ずできると思っております。

 

 ぜひ皆さん力をお貸しください。

 

 

 佐賀県玄海町での高レベル放射性廃棄物処分場を巡る文献調査を受け入れるかどうかの審議が行われていますが、反対派が脇山町長に反対と申し入れたそうです。

 

 その反対派は総勢なんと10人。

 

 長崎県対馬市でも同じですが、反対派の声は大きいのですが、その実数は少数でした。でも、今回も同じですが、マスコミは声は大きいけれども数の少ない反対派の意見ばかりを前面に出します。

 

 その反面、推進派の意見はほとんどマスコミには取り上げないのです。

 

 数十人の反対派集会は取り上げても100人超の賛成派集会は取り上げないのです。

 

 これは沖縄県の基地反対運動でも同じ構図ですね。

 

 ネット記事を読んでおられる人たちは、すでに気づいておられる方が多いのですが、新聞とテレビしか見ていない人たちは全くその仕組みがわからず、世論はそういうものだと思い込まされているのが現実です。

 

 そして反対派の多くが年寄り、という私も67歳で立派な前期高齢者です。不思議なことに白髪頭の方が多くて、禿が少ないのが左巻きによくみられます。もちろん、反対派でも禿はいますし、賛成派でも白髪頭はいますが、その割合のことを言っています。

 

 以前毎日新聞の講演会に行ったときに、ほとんど知らない人ばかりで白髪頭の人が多かったと記憶しています。福岡での開催される講演会に行くと数十人は知った顔に出会うものですが、400人ほどいたのに、知り合いにあったのは二・三人だけだったのでとても驚いたのでよく覚えています。講師は丹羽元中国大使でした。

 

 白髪と禿がイデオロギーに関連するという因果関係があるのでしょうか?ご存じの方はぜひ教えてください。

 

 高レベル放射性廃棄物処分場の話に戻します。

 

 国は法律で「文献調査」「概要調査」「精密調査」の三段階を設けています。そのうち「文献調査」は、津波や地震の過去の記録や平野部が埋立地ではなかったのかとか、処分場ができた場合にその自治体にどういう経済的効果が生まれるのかというような勉強会などをNUMO(原子力環境整備機構)を通じて開催できるようになっています。

 

 そして最大20億円の交付金が支払われます。

 

 この場合は自治体の長が受け入れを表明すればいいのですが、つぎの「概要調査」に行くためには、県知事の許可が必要となります。

 

 だから町長が受け入れを決定しても「文献調査」までであり、次のステップには県知事の許可がないと進めないのです。

 

 また文献調査の結果、自信や津波の危険性が大きいと不適地ということで、住民がどんなに望んでも建設予定地にはなりません。

 

 つまり、「文献調査」はいわば「交際開始」のようなもので、親密な交際から婚約そして結婚にいたるまでにはいろんな障害やステップを踏まなければなりません。

 

 しかし、反対派は「文献調査」の受け入れまでも反対しています。

 

 少数の意見によって、国民や住民が知る権利や選ぶ権利を奪っているのです。

 

 さらに三つのステップを完了するためには約20年かかります。反対派の多くの70代の人は20年後には生きていない可能性が多いのです。私も前期高齢者です、念のため。

 

 しかし、今これをやっておくと、10代や20代の若者が20年後にその地域をどうするのかを選択できるのです。

 

 さらに推進するか、やめるかを今の若者が大人になったときに、真剣に考え、話し合って自分たちで自分たちの町や村や島の将来を選択することができるのです。

 

 でも、「文献調査」も受け入れなければ、若者の選択肢は何もありません。

 

 ラインに対馬の受け入れ問題を議論するプラットフォームがあります。時々覗いているのですが、根本の問題が理解していない人が多く、反対派が多く投稿するときは賛成派はほとんど出てこず、逆に賛成派が多い時は反対派が出てきません。

 

 かみ合わないのです。なぜなら、昔は7万人いた人口が今は2万6千人台になり、その数は毎年減っていっているのです。

 

 そういう中「豊かな自然を残したい、私が好きな番組はぽつんと一軒家」という人がいました。60代以上の方のようです。

 

 思わず突っ込みを入れたくなりました。「あんたはいいだろうが、若者たちはそれでいいと思っているのか?」と。そこを見るときは寝る前の布団の中なので、積極的に議論に参加するつもりはありませんが、みな自分勝手なのです。

 

 対馬の自然を壊したくないと言いながら対馬はどんどん人口が減り、経済が衰退しています。景気のいいところは、韓国人観光客が日本製品をたくさん買って、韓国に戻って転売するのだそうです。

 

 友人はマツモトキヨシに店舗を貸しているそうですが、ここの売り上げは都会の店舗よりも売り上げが多いそうです。

 

 まじめな薬が置いてあるからです。自国の製品を信用しないのは韓国人もCHINA人も一緒のようです。

 

 以前、CHINA人の若者がパソコンを欲しいということで、案内したことがあるのですが、富士通製のパソコンを買おうとして同じ型式でも値段が違うのを見つけました。そしてそのCHINAの若者は高い方を購入するというのです。

 

 同じ富士通のパソコンです。よく見てもスペックは一緒なのです。どうして高い方を選ぶのか?と聞くと、こちらの方は日本で組み立てたと明記されている。安い方はCHINAで組み立てたと書いてあるからだというのです。

 

 3万円ほど高かったのですが、彼らは自国での組み立てたほうを選ばず、同じ会社の全く同じスペックですが、日本で組み立てたほうを選択したのです。

 

 私たち日本人からは理解できませんね。それほど自国の製品を信用していないのです。

 

 それを見た時、私たちはなんと幸せなんだと再確認したのです。

 

 私たちは祖国を、同朋が作ったものを何も疑わずに買い、使い、口に入れますが、彼らはそれができないのです。

 

 お上と庶民が敵対関係にあるのが彼の国で、私たちは「君臣一如」のお国柄の違いです。

 

 だから為政者がしょうもないと交代させようという動きが始まり、選挙という民主主義的な制度を使って政権が交代したり総理大臣を変えることをしてきたのです。私もまさに岸田政権に愛想をつかしているので、高市早苗氏を総理大臣にしようと微力ながら動いているのです。

 

 CHINA人はその選挙さえもできません。韓国人は選挙はありますが、論理よりも感情が先立つものとなっています。

 

 ときどき、フェイスブックのコメント欄にいちゃもんをつけて来る韓国人がいますが、相手を打ち負かすことだけを念頭に書いてきます。こんなところの議論に勝っても負けても大勢には影響ないのに、なぜかマウントを取ろうとしてきます。そういう国民性なのでしょうか?

 

 「文献調査を認めればずるずると建設まで行ってしまう」と反対している姿を見て、もっと国をもっとNUMOを信頼できないのかと思うのです。イデオロギーで年寄り(私も年寄りです)がわあわあと反対している姿は、対馬の反対派の人たちもちょっと引いているのが滑稽です。

 

 ちゃんと調べてもらって適地かどうかを科学的に裏付けをしてもらった後で、実際に受け入れるかどうかを住民が決めたらいいのです。

 

 原子力発電所を受け容れたところもその前に大きな議論が住民の間で起こりました。

 

 今回の玄海町は玄海原子力発電所があり、それによりたくさんの恩恵を被っているのです。だから高レベル放射性廃棄物処分場も受けれて町をもっと発展させようとしておられるのだと思っています。

 

 原子力発電所を受けいれている住人の方の中には、私たちが九州の電力供給を担っているという誇りを持っておられる方も数多くお目にかかりました。

 

 過疎の地域に一大産業を誘致することがどれだけ故郷を発展させることができるかをみんなで議論をすべきなのですが、反対派は半世紀前の間違った知識で反対をするだけです。ではどうしたらいいのですか?と聞いても誰もまともな案を出すこともできません。

 

 マスコミももっと公平に反対派の意見も賛成派の意見も両論併記するようにすべきだと思います。でも、そんなのは無理な話か、やはり私たちがもっと賢くならねばなりません。

 

 そして若い人たちの世代が大人のなったときに選択肢があるようにしてあげることが今の年寄りの役目だと思うのです。