井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 週刊誌ネタで高市総理を追及している野党の面々、特に中道や立憲民主党や共産党の野党の人たちに歳費を税金から支払うことをとてももったいないと思うのは私だけでしょうか?

 

 福岡には昔「楢崎弥之助」という日本社会党の「国会の爆弾男」と異名を持つ名物議員がいました。

 

 テレビしかない時代、楢崎議員がリクルート事件やロッキード問題等で総理や政府を追及する姿は悪い政府を糾弾する正義の味方のようでかっこよく見えました。

 

 実際はマッチポンプで、自分で火をつけてうまいところで落としどころを見つけていたということを後で聞いてがっかりしたのですが、ネットの無い時代、新聞やテレビで描かれた彼の反権力への姿勢はかっこの良いものでした。

 

 そういう議員でしたから、ネタ(情報)がいろんなところから持ち込まれてくるのです。そして自分でも調べて、それを基に総理や政府を追及していたので、攻撃を受ける側も戦々恐々としていたのではないでしょうか。

 

 そしてとどめまで刺さずにちゃんと落としどころを作って国民の関心が無くなるころには、きちんと手打ちをしていたようです。

 

 でも、今の野党議員は週刊誌ネタで国会の質疑応答という貴重な時間を浪費させています。

 

 安倍元総理の時代の「モリカケ桜」の時代と全く同じ構図です。

 

 でも、高市総理がちょっと違うのは、友達がいないと批判されるほど人づきあいが悪かったおかげで、そういうスキャンダルがないのです。また、数年前まで総理になる可能性が無かったので、マスコミや野党も情報収集を怠っていたようです。

 

 だから、週刊文春という芸能ネタには定評がある週刊誌が書きつらった材料を基に高市総理を糾弾してもことごとく返り討ちに会うだけなのですが、それがわかっているのに高市総理の評判を少しでも下げようと精いっぱいの努力をしています。

 

 でも、国民はもうそんなバカじゃないのです。

 

 マスコミの影響力よりもネットの影響力の方が強いのです。

 

 また今回のイラン戦争の影響を最小限に食い止める政策実行力を国民は高く評価しています。

 

 もし、石破内閣が続いていたとしたらと考えてみてください。背筋が凍る思いをしませんか?

 

 イラン戦争が起こってからの高市政権の動きを見ればどれだけ高市政権が祖国のために尽くしてきたかがわかります。

 

 ・ホルムズ海峡を経ない原油の調達先を模索し、すぐに輸入を始めた。

 ・原油の国家備蓄をすぐさま決定し、実行した。

 ・イラン政府と話し合いを持ち、ホルムズ海峡通過を促進した。

 ・ホルムズ海峡ではなく、バブ・エル・マンデブ海峡からの航路での輸入を果たした。

 

 これらのことは、イラン戦争が起こってから始めたのではなく、ホルムズ海峡の危機が起こったらどうするという危機感を先に持ち、それに対する対策を考えていたことが明快にわかります。

 

 つまり高市政権は事が起こってからどうするというのではなく、この事態を事前に予想し、そしてその対策をきちんと準備し、すぐにまたはすでに実行していたということです。

 

 これは指導者である高市総理が国家安全保障を日ごろから真剣に考えていた証左であると言えるでしょう。

 

 これは私の想像ですが、官僚のアイディアではなく総理又は総理の側近によるアイディアだと思います。そしてそれを速やかに各省庁に伝達し、必要な措置を取らせたのだと思います。

 

 ここまで鮮やかな手腕を見せつけられたら、祖国のことを真剣に考えている官僚の多くが本腰を入れて動くでしょう。これが本当の「政治主導」だと思います。

 

 だから、反日勢力であるマスコミやポンコツ野党がしょうもない手で高市政権を揺さぶってもビクともしないのです。

 

 週刊誌ネタで高市政権を揺さぶろうとするならば、自分の首を洗って待っていなければなりません。

 

 そうそうあの赤沢大臣も記者会見で、ナフサ問題をきっちりと反論していました。石破政権の時に「マイル赤沢」と呼ばれていたのが嘘のようです。

 

 原油を精製すれば、ガソリン、軽油、重油、ナフサらが一定の割合で生産されます。ナフサが足りなくなる時は、ガソリンも軽油も足りなくなるはずなのに、ナフサだけが足りなくなるということは、原油精製の常識から考えてもあるはずがないということをきっぱりと主張しています。

 

 赤沢大臣と言い、小泉大臣といい適材適所、覚醒させる人事の手法は、総理になってしたいことが人事だと言っていた岸田文雄とは段違いで、自分の政権を延命させるだけの人事か、祖国のために粉骨砕身働かせるかの違いを高市総理は見せつけていますね。

 

 CHINAはベネズエラそしてイランと主要な原油輸出国からの輸入を止められ、エネルギー危機が起こっています。 

 

 でも、マスコミはこのことを全く言いませんし、反高市陣営は、CHINAの軍門に下れというようなことばかり言っています。

 

 これでロシアの原油が禁輸措置が緩和されてパイプラインで欧州各国を潤すことになれば、ますますCHINAはエネルギー不足に落ちいるのです。

 

 以前から囁かれていたCHINA帝国の終焉がもうすぐ来ると思っております。

 

 人間って一度贅沢をするとよほどの覚悟がない限り、元の生活には戻れません。

 

 今までのCHINA大陸での革命は、人民が食えなくなったために起こっていましたが、今後は自分たちの今まで生活を確保するために革命が起こるかもしれません。

 

 そんな中、日本は高市政権でよかったのです。

 

 国旗損壊罪も皇室典範の改正、さらに原子力発電の新増設も高市政権の神速で達成されようとしています。

 

 このままスパイ防止法の完成と悲願の憲法改正まで行くことでしょう。

 

 それがあちらの勢力の人たちにはすごい危機感となり、マスコミや野党を使って攻撃をしていますが、イメージ操作だけで揺らぐような政権ではありません。

 

 日本共産党は辺野古抗議船転覆事件を発端にいろんなことが暴露されてずたずたになってきています。

 

 れいわ新選組? その存在感が全く見えなくなったと思いませんか?

 

 中道改革連合? なんだそれ?という存在となり、参院の立憲民主党と公明党もバラバラです。

 

 国民民主党はやはり榛葉幹事長の存在が大きく、日本維新の会も藤田共同代表の存在感が増しています。

 

 参政党は立ち位置がいまいちわからないようになってきましたし、そうなってくれば、自民党の中の大掃除ができるようになっていると思います。

 

 麻生御大の目の黒いうちに自民党から反日勢力を追い出してもらえば一番いいのですが、その急先鋒に茂木氏を活用すれば、人がどう思おうが全く気にせずに大掃除をしてくれる存在だと思います。

 

 稀代の売国奴政治家と言われた河野洋平氏が亡くなられました。死者を冒とくするつもりは全くありませんが、高市政権によって日本が浄化されようとしている最中の象徴的な出来事のように思えてなりません。

 

 私にとってはガッツ石松さんの死去の方が心を痛めております。

 

 

 今まで何度も台湾に皆を引き連れて行っていますが、台湾では感じなかった不快な思いを今回の旅ではしました。

 

 もちろん、円安とお酒の値段が極端に高いということは先にも述べましたが、マレーシアは総じて親日なのですが、インド人のお店に行くと狡猾なところが散見され、ちょっと不快に思えました。

 

 お酒は基本的に予備費から支払うのですが、あまりにも高いためにウィスキーやワインは飲む人が個人的に注文するようにしました。最初に聞いた値段と請求額が大きく違っていたので、ちょっともめたのです。

 

 日本人はこういう交渉を穏便に済ませたいからあまり言わないと思われているのかわかりませんが、ワイン一本250リンギット(10000円)と言われたので注文したところ、請求書には350リンギット(約14000円)と書かれていたのです。

 

 結局相手は言い分を撤回せず、つまり謝らず25%の割引で落ち着いたようですが、後味の悪いものになりました。こんなの初めてです。

 

 一回の会食の酒代が15万円を超えていました。どんだけ飲むねんと思いましたが後の祭りでした。次からは予備費を倍にせねば。

 

 思想的にはシンガポールに入ってからが酷かったですね。

 

 シンガポールとマレーシアの物価が半端なく違って高いので、ジョホールバルというマレーシア最南端の街で宿泊し、翌朝10時緒国際列車に乗ってシンガポールに渡りました。

 

 この列車は、世界最短の国際列車で乗車時間5分、途中駅なしという代物でした。電車は普通の電車ですが、国が違うので税関が両側に存在していました。

 この三本の太い管がシンガポール島へ給水するための管です。シンガポール要塞は水の手を切られたために陥落したと言っても過言ではありません。

 

 もちろん、その前にプリンスオブウェールズとレパルスの戦艦を失ったために、海からの支援が受けられなくなったのも大きな要因です。

 

 

 何の変哲もないプラットフォームですが、シンガポールに入ったところの駅です。この中に、入管があります。

 

 

 ガイドからしつこく脅されたのは、電子タバコの吸引機を持ち込むと密輸になり罰金30万以上が課されるということでした。

 

 煙草に厳しいとは聞いていたので、タバコが悪いのか?と何度も聞くとやっと電子タバコの吸引機で麻薬を吸うことができるからだそうです。

 

 持っている人がいたので、どうしようかと聞かれました、その顛末は有料メルマガで。

 

 今回のシンガポールへの旅で行く前から門田隆将氏とアレクサンドラ病院事件について検証しようと言っていたので、そこに行きました。

 

 ここは日本軍がシンガポール陥落直後に起こった病院での殺傷事件のことで、入院患者やスタッフ約200名が犠牲になったと言われる場所です。

 

 

 この写真は、門田先生が事前に調べた病院にあった碑文です。ごめん、縦に出来ない。

 

 それを読むと日本軍がこのイギリス軍病院を取り囲んだ後に病院側から発砲があり、それを契機に日本軍が突入し、傷病兵、看護兵など一日目約50名、二日目約150名を殺害したと書いてあります。

 

 この碑文を見つけようと歩き回り、いろんな人に聞いて回りましたが、6年ほど前に撤去され、「病院側から発砲を契機に」という部分をなくして新しいものに代えられていたのがわかりました。

 

 このもともとの碑文もNational Heritage Board 国家遺産局が作成したものです。

 

 その後に訪問したNational Monumentという2013年に作られた日本軍の襲来によって犠牲になった市民を追悼する記念碑が骨壺を真ん中に据えてという禍々しいデザインでありましたが、次の写真です。

 

 

 

 ここも縦に撮ったので横向きですみません。

 

 実際は大きな塔なのですが、気分が悪かったので写真を撮っていませんでした。友人の撮った写真を添付します。

 

 この塔は中華系の商工会議所の出資で作られました。

 

 見て欲しいのは下部の誰が建てたかということで、以前アレキサンドラ病院に存在していた碑文と同じ国家遺産局が作成したものです。

 

 マークは年代の関係でちょっと違っていますが、両方ともシンガポール政府の監修によるものです。

 

 

 シンガポールは人口約600万人、そのうち4割強が外国人 そして国民の三分の二が中華系なのです。

 

 その中華系の人たちの中から、自分たちに非があるような部分は撤去したとしか思えません。普段は日本に対し、歴史修正主義者だとか言っていますが、自分たちに都合が悪いことはしれっと撤去するのです。

 

 このことを中華系のおじさんガイドと口論になりました。

 

 私「病院側から発砲したとちゃんと書いてあるものをどうして撤去したのか?」と聞くと、

 

 ガイド「そもその銃を発砲したのか、誰が発砲したのが定かではない」というのです。

 

 「そしてもし病院側から発砲してもそれで200人も殺すことはないだろう」というのです。しかしここはイギリス軍病院、医者も患者も看護師もみな軍人です。緊張感が高まるのは当然のことだと思います。

 

 

 リー・シェンロン(2004~2024)という偉大な政治家リー・クワンユー大統領(1959~1990)の息子の時代にこんなことがウキペディアに書いてありました;

 

>>>引用開始

 

 小泉純一郎の靖国神社参拝を、「地域で日本の占領を経験した国に悪い記憶を思い起こさせる」と批判し、「戦犯をあがめる対象にすべきではない」と語っている。2014年には米ワシントンでの講演で、「日本と近隣諸国は第二次世界大戦から脱却しない限り日中韓の関係は損なわれるばかりだ」と主張。

 

 この背景として、日本が従軍慰安婦や侵略の歴史に対して曖昧な立場であることを指摘したうえで、自律的に検証報告する必要性を強調した。同時に、中国、韓国に対して「日本に繰り返し謝罪を求める姿勢は辞めるべきだ」と、戦後70年を迎えるにあたり、より建設的な関係修復を望む旨を話している。

 

 >>>引用終わり

 

 父親のリー・クワンユー大統領の時代は、恩讐のかなたに日本と経済協力のもとともに発展するという演説をしたりしていますが、背景に四分の三を占める中華系国民に対して配慮があったと容易に想像できます。

 

 >>>引用開始

 

 第二次世界大戦後のリーは、過去の占領期の記憶を直視しつつも、日本との協力関係を重視し、未来志向的な関係構築を訴えた。彼は、日本が「歴史の1ページをめくり、隣国との平和のためにその可能性を果たす」と述べ、アジアにおける日本の建設的役割を評価している。

 

 >>>引用終わり

 

 という反面、

 

 >>>引用開始

 

 第二次世界大戦に関する対日歴史認識についてリーは、日本軍がイギリスに勝ち、白人神話を打ち砕いたと評価する一方で、日本軍の占領政策は過酷で非人道的だったとし、占領されていた三年半、日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、イギリスの保護下のほうがよかったと思うようになり、日本人に幻滅したと日本軍の占領政策を批判している。

 

 >>>引用終わり

 

 明らかに矛盾が垣間見れますね。

 

 当時から高度な自治組織を持ち特権を持っていた中華系住民は、日本軍の統治に反抗した歴史があるのです。

 

 朝鮮でも一番反発したのが特権階級の両班でした。

 

 逆に一般民衆は特権階級からの圧政に苦しんでいたので解放を喜んでいましたが、数十年も経つと再び経済力を持つ特権階級が支配を強めて自分たちの都合のいいように変えてきていると思っております。

 

 物価高、反日思想、そして特に見るところのない観光地としてシンガポールは二度と行きたくない場所ですね。今回は一緒に行った仲間がよかったので、良しとしますが、普通の観光ならぶち切れていることでしょう。

 

 しかしこういうところにもCHINAの工作の手は及んでいます。

 

 マラッカ海峡の付け根の部分です。今から日本政府もちゃんと対処していかないと大変なことになると思います。

 

 

 日本の教育はいびつです。それは歴史と地理を分けて教えるからです。

 

 そして地理も国別に教えることが多く、マレーシアとインドネシアの境を正確にご存じの方は少ないと思います。

 

 マレーシアの西側に位置するマラッカ海峡は全長約900キロメートル、幅は約70キロメートルで、世界一船舶の通行量が多いところで知られています。

 

 ぜひマラッカ海峡と検索をしてみてください。そしてその地理を確かめてください。それはびっくりしますから。

 

 マラッカ海峡の東側のシンガポール海峡になると幅が極端に狭くなり、さらにその一部のフィリップ水路になると約2.8キロしかなく、文字通り瓶の首(ボトルネック)になっています。

 

 つまりここを制圧されると日本への物資は完全に入ってこなくなります。今話題のホルムズ海峡の一番狭いところが、33キロですから、その10分の一にも満たない場所がこのマラッカ海峡の出口となるわけです。

 

 そこの視察が今回の目的の一つでした。

 

 マレーシアの首都クアラルンプールで一泊してそこの日本人墓地にお参りに行きました。異国の地で命を落とした「からゆき」さんのお墓もあり、第25軍の慰霊碑もある場所で、高市総理も先日ここにお参りに来られた場所です。

 

 堂内の壁を見ると歴代の日本の首相もお参りに来られており、安倍さんはもちろんのこと、あの石破茂の写真もありました。

 

 どうしてここにはお参りに来るのに、靖国神社には行かないのか不思議でなりませんね。

 

 そして旅の目的のもう一つの目的はマレーの虎と言われた山下奉文中将率いる第25軍がコタバル上陸の後、55日間でマレー半島を南下してイギリスの難攻不落と言われたシンガポール要塞を陥落させたという戦跡を巡ることです。

 

 そのためにあえてバスで約400キロを二日かけて南下しました。

 

 えっ、バスで400キロも?それも一般道を?とびっくりされるかもしれませんが、そのバスの中が面白いのです。

 

 なんせ、門田隆将氏や杉田水脈氏や長尾たかし氏や西川京子氏や平野雨龍氏やその他保守の論客と歴史にとても興味を持っている愛国者の集まりです。バスの中が講演会場と同じなのです。

 

 ガイドさんの説明よりも私たちがしゃべる時間の方が圧倒的に多く、第25軍の進軍や戦術などを語り合い、それぞれの思いを篤く語った車内でした。

 

 F機関と呼ばれる藤原岩市による情報機関がその勝利に多大に貢献したのです。

 

 それは、インド国民軍を創設させイギリス軍の中核を担っていたインド兵の調略に成功したからです。

 

 マレー戦線は連合国側が約14万人、攻める日本側が3万5千人でした。数の上からは圧倒的に日本軍が不利でしたが、連合国軍の半分を占める英印軍が約半数いました。

 

 インドは数世紀に渡ってイギリスの植民地であり、インド人は英印軍としてこの戦闘に参加していたのです。F機関の働きによりインド軍将兵の多くを日本側に調略させることにより14万人の連合国の将兵に疑心暗鬼を生み出し、戦意を喪失させたことが勝因です。

 

 これは日露戦争の際に福島安正・明石元二郎という情報将校の情報により、ロシア軍に組み込まれている旧ポーランド軍将兵の調略に成功した例を踏襲しています。

 

 軍隊は連隊を基礎にそれぞれの陣地を守ることにより前線を構築しています。その際に大切なのは自分の持ち場を守ること。

 

 側面や背後に敵が回られると全滅するからです。

 

 つまりラグビーでスクラムを組んでいる状態と同じです。そのスクラムは厳しい練習を共に耐えてきたチームメートへの信頼から成り立っていますが、その一人が抜けてしまうと敵の圧力に耐えられなくなってしまいます。

 

 右横にいるはずの友軍がいつの間にか消えてしまっていたら、残された将兵は混乱します。そして我先へと逃げ出してしまうのです。

 

 それが日露戦争の際にポーランド軍への呼びかけで起こったのです。ポーランドはロシアに占領され、国家が消滅していました。そしてポーランド軍将兵は日露戦争の最前線へと送られていたのです。

 

 そんな時投降したポーランド軍兵士から「俺たちの敵は日本軍ではなく、祖国を占領している帝政ロシアではないのか」と話を持ち掛けさせ、そして次々に投降するように説得したのです。

 

 その中にはポーランド系ユダヤ人もいました。彼らはロシアから迫害を受けていた人たちでした。

 

 つまり帝政ロシア軍内に飲み込んだ国々の将兵も存在し、帝政ロシアのために命を捧げようとする人が少なかったのです。

 

 方や日本軍はこの戦争に負けたらアジアはすべて欧米列強の植民地になると危機感を持って一丸となって戦っていたのです。

 

 遼陽会戦で敵将クロパトキン軍を敗走させたのも、この作戦のおかげでした。

 

 それと同じことをマレー半島でも行ったのです。

 

 インド軍将兵に向かって今こそ長年インドを支配下に置くイギリスに反旗を翻すチャンスであるとチャンドラ・ボーズのインド国民軍への投降を呼びかけ、多くのインド軍将兵がイギリスを寝返ったのです。

 

 するとイギリス兵やオーストラリア兵も一緒に戦っているはずのインド軍部隊がいないので、不安となり少数の日本軍部隊が押し寄せてくると潰走し始め、戦線が崩れていくのです。

 

 山下司令官は後続を待つな、とにかく前進せよと二万台の自転車を使ってマレー半島の舗装もしていない道を進軍させるのです。

 

 自転車部隊のことを当時は「銀輪部隊」と呼びましたが、自転車の積む武器弾薬食料は決して十分とは言えず、相手が腰を据えて応戦していたら破れていたかもしれません。

 

 でも、疾風迅雷、気迫で敵に迫りイギリス軍をシンガポール要塞へと追い詰めるのです。

 

 これがのちにアメリカ軍には通用せず、軽装備の突撃で多大な損害を被るのですが、多国籍軍には有効な手段でした。

 

 マラッカ市へ到着し、ホテルに行くとそこはイギリス統治下時代に作られたマジェスティックホテルでした。調度品やホテルの内装は見事にイギリス調にまとめられており、とても雰囲気のしゃれたところでした。

 

 部屋に入ると足つきのバスタブが置いてあり、部屋も広くとても快適でしたが、配管が悪いのか、隣の部屋の人が風呂に水を入れ始めると「ゴー」という音が聞こえてきてびっくりしました。

 

 壁も薄く、隣の人の話し声が聞こえていました。ある人はユーチューブの音声が聞こえてきたので、耳を澄ませていると私の「マッスル時事放談」を隣の人が聞いていたという漫談のような話もありました。

 

 朝ごはんがこれまたすごいんです。植民地のイギリス貴族になったような雰囲気のレストランで、コンチネンタル風の朝ごはんをいただきます。ちょっとこれだけでは物足りないので、パンケーキも追加しました。

 

 後の二つのホテルの豪華バイキングも良かったのですが、落ち着いた雰囲気での朝食は壁の薄さを帳消しにするほどの良さでした。

 

 街を散策していて気づいたのです。

 

 ここは東洋と西洋が混ざり合った場所であると。

 

 香港はCHINAの中にイギリスがありましたが、ここはマレーとインドとCHINAとイギリスやポルトガルなどの西洋が溶け込んでいる街なのです。

 

 いたるところにありとあらゆる人種が存在していました。マレーシア自体が同居人国家だと思っていたのですが、これほどまでにいろんな人種の人たちが普通に暮らしているところを見たことがありません。

 

 表現に困りますが、その人種間の壁が存在しないかのように普通に暮らしているのです。

 

 同じ価値観を持つ日本人にとってこの感覚はとても不思議で新鮮な感覚です。かといって憧れるものでもありません。

 

 逆に多くの外国人が日本に来て日本の良さに惹かれるのがわかるような気がします。

 

 私たちは価値観がほとんど同じなのです。もちろん色んな違いはありますが、その違いの差はここマレーシアに比べて圧倒的に小さいのです。

 

 それはご皇室という悠久不滅の存在が日本の中心点、定点Aになっており、そこから私たちが定点Bとして生きているのです。

 

 定点Aが明確だからこそ、定点Bの位置、および役割が明確になっているのです。

 

 左巻きが愛子天皇を切望したり、女性宮家の創設を願っているのもこのもっとも日本らしさであるご皇室を無き者にするためだということがわかります。

 

 もちろん女性皇族がご結婚後も皇籍を持ち続けられてもいいと思うのですが、その配偶者、そして子供は決して皇族とはならないことを明記し、ご結婚の際にはきちんとその旨を宣言するようにしなければならないと思っています。

 

 小室圭氏の子供が天皇になってもいいのでしょうか?もしそれが実現すればご皇室の権威は地に落ち、国民の支持を失うことが明々白々ですね。

 

 マレーシアを旅行してつくづく思うのです。近代的なビルが立ち並ぶクアラルンプールの一部と農村との格差がこれ程大きいとは日本にばかりいたら到底想像もできなかったでしょう。

 

 そしてご皇室の重要性をここではっきりと確信していました。2600年以上にわたって受け継がれてきた男系天皇を現代の私たちが崩すようなことがあってはご先祖様に申し訳ないと思うのです。

 

 ホテルが西洋的なものだから、お客様も欧米の人が多く、スイスやオランダやイギリスなど主に奥州の方々とよくお話をしました。アメリカ人は私は見かけませんでした。

 

 そして狭い海峡を一日当たり大型船だけでも40隻弱往来する海峡です。

 

 ここがホルムズ海峡のようになることがあったら日本の存立危機事態に間違いなくなります。

 

 平和憲法を守れと国会前で騒ぐ左巻きの人たちよ。ぜひこの海峡を見に来てほしいものです。

 

 もしここが止められばどんなことが起きるのか容易に想像がつくことでしょう。

 

 続く

 

 

 5月30日から昨日の朝まで、総勢43人でマレーシアからシンガポールまでバスで移動しながらの旅をしてきました。

 

 約400キロの道のりですが、85年前は先人たちが主に自転車で敵と戦いながら南下したコースを巡りました。

 

 そしてもう一つの目的は、日本の生命線である二つの大きな海峡、つまりホルムズ海峡とマラッカ海峡の一つを実際自分の目で見てみようということで企画しました。

 

 主な参加者は門田隆将氏、杉田水脈氏、長尾たかし氏、西川京子氏(団長)そしてディリーウィルの山根くんや平野雨龍ちゃんをはじめ、総勢43人でした。本来は45名だったのですが、一人がご主人さんの手術で、もう一人がぎっくり腰のために泣く泣く断念しました。

 

 この会の名称は博多井上組 隆政会と名付けました。 隆は門田隆将氏の「隆」、政は井上政典の「政」です。

 

 あの忙しい門田隆将氏が私の企画する旅行には参加してくれています。その第一弾が2023年3月の金門島でした。その後、高雄の紅毛港保安堂や総統就任式やベトナムやそして今回のマレーシアと都合5回目を数えます。

 

 もちろん、すべての旅行に皆勤の方もいますし、複数回参加されてきた方もおられ、もう皆旧友の集まりのようになっています。

 

 最高齢は85歳、そして最年少は平野雨龍ちゃんの32歳となんとその差53歳。

 

 参加者は、北は仙台から東京、鎌倉、名古屋、大阪、神戸、大分、熊本から結集し、飛行機も羽田組、セントレア組、関空組そして福岡組と4か所から出発し、奇跡的にバンコクでほぼ同じ時間に集合でき、そこからマレーシアに入ることができました。

 

 今回は、イラン戦争の影響によるホルムズ海峡の封鎖という問題が起きたばかりで、航空機代が高騰するのを予見し、3月中に申し込みを完了させ、発券していたので航空機チケットにはあまり大きな影響が出ないようにしました。

 

 しかし、ぐずぐずしていたら、プラス20万は旅費が増えていました。ぎりぎりの決断で、そして参加者の皆さんの協力により、あまり影響がなかったことが不幸中の幸いでした。

 

 しかし、円安のためともう一つはイスラム教国のためにお酒代がべらぼうに高く、普通は予備費を1万円取っているので、台湾ではだいたいそれで賄えるのですが、三日目で枯渇し、私の企画する旅で初めて3000円の追加徴収をしたほどです。

 

 普段は一日目よりも最終日の方が酒量が減るので、酒代は安くなるのですが、熱帯特有の暑さのためと酒飲みが多かったせいか、まったく酒量が落ちるどころか増えてしまい、そのために予備費がパンクしたのです。

 

 ちなみにビール一本が1500円から2500円ほどしました。

 

 二次会も会費制なのですが、一人いくらではなく持っているリンギットをすべて拠出して支払うという無謀な旅行でした。でも、皆さんが嫌な顔を一つもせずにいっぱい持っている人はたくさん拠出し、持っていない人はそれなりに出して事なきを得ました。

 

 そんな中、うきうきで飛行機に搭乗した平野雨龍ちゃんがバンコクに着いたとたんに深刻な顔をして私に近づいてきました。

 

 恩人がバイクの事故で心肺停止状態になったとの連絡が入っていたのです。「急遽日本に帰る」と慌てふためいて言い出しましたが、帰る便はなく、あっても凄い高い搭乗券代になるのです。

 

 周りの人にも知らせ、皆で温かく見守りました。ずっと落ち込んでいて、初めて会う人は話しかけることもできませんでしたが、以前から知っている人たちは、彼女を気遣って優しく声をかけていました。

 

 杉田水脈さんなどはバスの中、ずっと泣いている彼女の背中をさすってあげていました。

 

 そして三日目のマラッカ市の市場の中で平野雨龍ちゃんが西川京子先生と杉田水脈さんにムームーのようなワンピースを指して、「おそろいで買って着ましょう」と言い、西川先生たちもそれに同意し、ノースリーブの服を三人が買っていました。

 

 80代、50代、30代のトリオの誕生です。その服を着て4日目の二次会で華やかに踊ってくれました。

 

 横でその一部始終を見ていた私は、西川京子先生や杉田水脈さんのやさしさに胸を打たれました。

 

 その服はわざわざ先生たちが買うような服ではなかったのです。涼しげな服でしたが、縫製もちゃちで、買って帰っても部屋着にしかならないような代物でした。

 

 普段の西川京子先生なら、「こんな安物要らないわよ」というのが目に見えていましたが、何も文句を言わずに買おうとしたのです。

 

 雨龍ちゃんの一緒に着ましょうという呼びかけに答えてくれたのです。そのころから恩人の死を必死で乗り越えようとしている雨龍ちゃんがそこにいたのです。それを無言で応援するかのように同じような服を西川京子御大と杉田水脈姉さんが買ったのです。

 

 その優しさ、思いやりの深さに思わず「俺が払う」と言おうとしましたが、妻の顔が頭をよぎり、黙って見守るだけでした。

 

 深い悲しみから必死に這い上がろうとする雨龍ちゃんと政治家の先輩たちが無言で励ます姿を見たのです。

 

 左巻きのマスコミや動画では激しい表情や言動が注目されている人たちですが、実際は人の悲しみを我がごとのように感じ取る感性と自然に相手の悲しみに寄り添うことのできる素敵な人たちであることを再認識してますます好きになりました。

 

 旅行とは非日常的なイベントですが、その中でも見せる人間性にやはりこの人たちと一緒に旅ができてよかったと思った瞬間でした。

 

 旅は続きます。

 

 

 

  私は今回の辺野古抗議船転覆事件を起こしたヘリ基地反対協議会の人たちの「ヘイワ教育」にはある偏った思想が根底に流れていると思っております。

 

 だから「平和教育」と「ヘイワ教育」には大きく違いがありますし、文科省の判断は偏った思想による生徒への押し付けだということで、教育基本法に違反しているという判断を支持します。

 

 今日は、どうしてそう思うのかということを考えてみたいと思います。

 

 

 ※1平和っていう文字の意味を調べると次のように出てきました;

 

 平和とは、戦争や争いがなく、社会や人間関係が安定している状態を指す言葉です。
 仲の良さではなく、争いが起こらないように保たれている状態を意味します。

 

 ※2平和憲法って文字の意味を調べると次のように出てきました;

 

 帝国主義国家であった大日本帝国が引き起こした数々の武力行使(日本では一般に「戦争」と呼ばれる)により、国内外で多大な被害を生み出した歴史的背景に鑑みると、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにするー日本国憲法前文1段落

 

 ※3平和とPEACEの違いはというと;

  • 平和
    国家間や社会的な争いがない状態を指すことが多く、国際政治や平和運動の文脈でよく使われます。漢字の「和」には、調和やまとまりという意味があります。 
  • peace
    社会的な平和だけでなく、個人の「心の平穏(精神的な安らぎ)」や「静けさ」といった、よりパーソナルな意味合いでも頻繁に使われるのが特徴です。
 
 これらを総合的に見てみると、やはり日本のそれも左巻きの使う「ヘイワ」って、普通の日本人が使う「平和」と概念に違いがあるのではないかと思います。皆さんはどうお考えですか?
 
 日本語で「私たちの間には平和がある」とは言いませんね。なぜなら、平和って国家間で使う言葉だからです。
 
 もちろん、牧歌的な草原でそよ風に吹かれながら、「平和な気分だ」ということはたまにあるかもしれませんが、普通は「心が落ち着く、癒される」という方が多くないですか?
 
 なぜこんなことを書くのかというと、同じ言葉でも人によってその意味が微妙に時には大きく違ってくるということを言いたいのです。
 
 左巻きが使う「ヘイワ」という文字の概念には、「先の戦争は日本の帝国主義が引き起こしたものである」という※2の意味が色濃く入っています。
 
 それは日本の戦後教育での自虐史観によるものであると私は思っています。
 
 なぜそんなことを言うかというと、東南アジアに旅行に行けばすぐにわかります。私が行ったことのある国々は、台湾10回以上、ベトナム2回、マレーシア1回そして明日から二回目、タイ1回、あと韓国は済州島、CHINAは香港ですが、いつ、どこの国に行ってもとても親日です。
 
 もし左巻きが言うように先の大戦で「帝国主義国家であった大日本帝国が引き起こした数々の武力行使(日本では一般に「戦争」と呼ばれる)により、国内外で多大な被害を生み出した歴史的背景」があるならば、それらの国々はどうして親日なのでしょうか?
 
 実際、日教組の教育で反日だと教え込まれた人たちが現地に行ったときに、あまりにも親日的な対応で目覚めたという話をよく聞きます。
 
 これは韓国でも同じで、韓国内で反日教育を受けた人たちが来日して、日本に対する見方が180度変わったとか、米国へ留学して歴史を学んだら、今まで教えられてきたものと全然違ったという話はよく聞きますね。
 
 つまり、私たちの常識の前提となる歴史観が違うのです。
 
 戦争ですから、当然憎しみや悲しみが伴います。
 
 例えばフィリピンは米軍の反撃による地上戦があり、戦後アメリカによる統治を経験しているので親日と反日が半々だと聞いていますが、インドネシアでは独立することができたのは日本のおかげだと親日だと聞いています。
 
 当然個人の経験でも左右されることでしょう。
 
 私は学生時代にアメリカ人の先生たちにとてもお世話になったので、アメリカ人に対して基本的に良い印象を持っています。
 
 台湾の人たちにはいつ行っても大歓迎されるので、とても好印象を持っています。
 
 その土壌のもとに国際関係の延長線があるのです。
 
 しかし、今回の辺野古抗議船転覆事件を起こしたヘリ基地反対協議会の人たちは、反米・反日思想が根底にあり、その発想を基に「ヘイワ教育」なるものを展開していたことが問題だと思っています。
 
 そして彼らの背景にあるのが、国家転覆を狙う共産主義であり、それを後押しするCHINAの存在があると思っております。
 
 次の説明は、左巻きの人たちにいくら言っても聞く耳を持ってくれないものですが、「今後日本が戦争になるときは、日本から仕掛けるものではなく、日本が戦争を仕掛けられることの可能性の方が高い」ということです。
 
 だから私たちは、いつ仕掛けられても大丈夫なように憲法9条を改正し、普通の国になり、日本を守ってくれる自衛隊に法律の手かせ足かせを外し、国民を守る最後の砦として誇りをもって戦ってもらいたいと思っております。
 
 さらに、日進月歩で進化する武器に対して対抗できるように防衛装備品を拡充するためにも、防衛産業の保護をするべきであり、そのためには殺傷能力を伴う防衛装備品の輸出により生産量を増やし、単価を下げる努力もするべきだと思っております。
 
 そしてCHINAが思い描くシナリオを邪魔し、日本国の国民と領土・領海・領空を守るために南西諸島を守り抜く必要があると言っていますが、左巻きたちは全くこれと真逆ことを主張していますね。
 
 最近よく話題になる共産党との山添拓議員や社民党の福島瑞穂議員、立憲民主党の左派の議員たちは、ヘリ基地反対協議会の趣旨に賛同し、辺野古でも抗議船に同乗し、会場からの反対運動を物心両面で支援しています。
 
 その左巻きたちの後ろ盾がマスコミであり、そのマスコミは毎日新聞や朝日新聞でわかるように、資金や提携がずぶずぶの関係で、決してCHINAの不利になることは書きませんね。当然テレビもスポンサーの中にCHINAからの影響を受けているところがあったり、下手にCHINAを批判すると特定の視聴者からの抗議が組織的に行われるので、嫌気を指して腫れ物を扱うようにしか、報じません。
 
 重要なのは、この構図が今回の辺野古抗議船転覆事件によって明るみに出てきたことです。
 
 とうとうマスコミも事件から二か月も経ってやっと重い腰を上げ始めました。
 
 それもこれも総理大臣が高市総理になっていることが肝だと思います。
 
 この事件がもし石破政権下で起きていたらを想像したらすぐにわかると思います。
 
 もちろん、自公連立のままですから、国交省は公明党のままで、その所管内の海保が今のようにこんなに活躍することはありませんでした。
 
 そして文科省も自虐史観にまみれた石破茂であれば、迅速かつ正当な調査などできずに、きっと未だに同志社国際高校に調査さえ入っていなかったことでしょう。
 
 そして何より辺野古の地元の方々が以前からおかしい、助けてくれと主張していましたが、マスコミはもちろん、ネットもさほど大きく取り上げませんでした。それは国民の関心が全くなかったからです。
 
 しかし今回は、同志社国際高校の研修旅行(修学旅行)中での事件であり、前途有望な女子高生が亡くなったというショッキングな事件であり、それを隠蔽しようとしてきた左巻きに対抗するように、遺族の方々が手記を公表され、それに賛同、共感をした国民世論が産経新聞以外報道しないマスコミの姿勢の異常さに気づいたからです。
 
 沖縄在住の愛国者が10年以上も前から警鐘を鳴らしていましたが、呼応するのはわずかでした。
 
 でも、今回の辺野古抗議船転覆事件をきっかけに、今までドロドロと溜まっていた膿が一気に外に出たのです。
 
 彼らはいまだに「ヘイワ学習」を続けなければならないと主張していますが、この「ヘイワ学習」は、左巻きの穿った見方による一方的な偏向教育であり、それを同志社国際高校が研修旅行の一環として実施するのは間違っているという文科省の判断は正しいと思います。
 
 この文科省も教科書選定において左巻きの職員や指揮者と言われる学者が大勢いるところですが、これも高市政権のもと、ちゃんと祖国のための仕事をしてくれています。驚きと共に、感謝します。
 
 後は、何度も言いますが、沖縄県警です。これは玉城デニー知事が落選・交代しないと実現しません。なんとしても沖縄県民の良識を信じたいと思っております。
 
 ただ現状は玉城デニーは変えたいと思っていても、古謝元太氏の知名度が低いのが難点です。国民民主党も早々と支援を表明しました。でも、沖縄県のマスコミは玉城デニー知事の見方ですから厄介ですね。
 
 そして沖縄県警が動けて、ヘリ基地反対協議会の違法テントなどを撤去できるとか、違法で暴力的な抗議活動を制限できるのならば、全国のしばき隊等の選挙妨害活動も取り締まることができるようになると思っております。
 
 いままで「ヘイワ運動」とか「ヘイワ活動」とか「ヘイワ教育」という美名のもとで傍若無人な活動をしてきた左巻きたちに鉄槌を食らわせなければならないと思います。
 
 抗議活動を禁止せよとは言っていません。法に則った抗議活動なら言論の自由がある日本ですから、どんどんやってほしいと思います。違法な抗議活動は政府にもきちんと取り締まってもらいたいと思います。