台湾の新総統就任式に行ってきました。その4 | 井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 三日目の高雄にある紅毛保安堂での大宴会の後、もうくたくたで高雄漢来大飯店という5つ星のホテルにチェックインしました。団体旅行は貸し切りバスが移動を助けてくれるのでとても助かります。

 

 個人旅行で行くと、主な費用だけが強調されて安いように思えますが、このような移動の費用やちゃんと迎えに来てくれることを考えたら、団体旅行の方が便利です。

 

 ただ全く知らない人と一緒だと気も使うのですが、テーマを決めてそれに集った人の集団なら楽しいですよ。

 

 私は40人を定員にしています。なぜなら台湾の観光バスは補助席がないので、それ以上乗せられませんし、バス代を算出するときに宰相の値段になるからです。

 

 ガイドさんがバスの中でマッサージがしたい人という案内をしてくれましたので、真っ先に手を上げました。もう背中がパンパン、足も引きずるようにして歩いていたからです。

 

 部屋に入り、シャワーを浴びているとすぐにピンポンがなり、おばさんが来ました。ちょっと待ってねと言って、急いでパンツをはき、Tシャツを着て、マッサージ師を迎え入れました。値段は1000元 つまり約5000円です。

 

 三日目の夜になるとさすがに疲れがたまっています。それが背中に来るのです。そこをもみほぐしてもらうと最初は激痛から、だんだん痛気持ちよくなって、そして張りが取れていくのがわかります。

 

 部屋にも無料のミネラルウォーターがあるのですが、寝る前にヨーグルトを飲む習慣があるので、隣のコンビニに買いに行きました。歩いているとだんだん元気が戻ってきて、そういえばアネゴがみんなと飲みたいと言っていたなと思い出しました。

 

 アネゴは二日間、団から外れてレセプションや晩さん会に参加していたので、今回の度では皆さんとしゃべる機会があまりなかったのです。そこで電話を入れると出来上がった声でホテル内のバーにいるとのこと、早く来いとの命令を受けました。

 

 西川のアネゴの命令には私は「はい」と「Yes」しか答えがないので、エレベーターにのりその階に行くとエレベーターホールにまで聞こえる大きな声、瀟洒な五つ星のホテルのバーにはそぐいません。結構広いバーでしたが、すぐにアネゴたちの所在がわかりました。

 

 そこには15人くらいが車座になってしゃべっているのです。そこでコーラをもらって座りましたが、かれこれ一時間以上ここでしゃべっていたそうです。まわりには誰もお客がいなくて、きっとうるさい日本人だと思われたのでしょう(笑)

 

 そうやって三日目の夜も平和に過ぎていきました。

 

 四日目は、スケジュールの関係で7時半出発です。でも、台湾の五つ星ホテルの朝食はとても楽しみです。結局6時に起きて6時半にレストランに行くとすでに数人の仲間が列に並んでいました。6時半開場なのです。

 

 高雄は臺灣最南端の都市で270万ほどの人口を抱える第三の都市で、気候は熱帯。暑いはずです。

 

 だから台北とは違った食材があるので、料理も違います。また頼清徳さんの出身母体の民進党も南が本拠地であり、台湾の北と南では風土も住んでいる人の人間性も大違いなのです。

 

 これを表現するなら台北は東京のようなもの、高雄や台南は福岡のようなところだと思ってもらっていいと思います。台湾の人々は皆いい人ばかりですが、やはり南の方が素朴で温かさがちょっと違うのではないでしょうか。

 

 次に行くときはまた高雄を外せなくなりました。

 

 豪勢な朝食をとり、一路 潮音寺を作り護ってくれている鍾さんのお店に行きました。すると従業員も10人ほど出社しており、明るい笑顔で出迎えてくれました。 門田隆将先生の著書(慟哭の海峡、今回は尖閣1945もありました)も飾ってあり、門田先生が「皆さん、このお店でものを買うということは、潮音寺に寄進をするのと同じですから、よろしくお願いします」と言われるものだから、皆いっぱい買い込み、40人できっと売り上げは100万を超えたと思います。

 

 その後、台湾の空軍の資料館に行きました。8年前ここに来た時に、フライングタイガースのP-40カーチスキティホークが展示されていたので、見に来たのですが、まず開いておらず、連絡を取っても係がいません。「ガイドさんに確認したのか」と聞いたところ、ちゃんと予約を入れたと言われました。そこで20分ほどロスをしたのです。

 

 結局空けてもらったのですが、8年前に展示されていたP-40のあった場所には巨大な空間だけがあり、ほとんど何もありません。聞くと7年前に近くの空宮教育資料館の方へ移したとのこと。チェックしてみるとそこの展示物は興味のあるものばかりでした。

 

 皆さんに、私のミスだと謝りましたが、「大谷でもたまには三振するからね」と自分で言って自分で慰めていました。

 

 そして次に向かったのが興和平和記念館で、ここは台湾人でありながら帝国軍人として戦った方々の英霊や戦後を生き抜いた人々の異例のための資料館がありました。その生き残りの方(結構なお年です)と日本人で戦後史を研究しておられる方が通訳として待っていただいていました。

 

 しかし、前のところで大幅に時間をロスしたので、ここで費やす時間がわずかしかなく、大変失礼なことをしました。

 

 それでも熱心に皆説明を聞いていました。台湾出身の日本兵は、戦後大陸から入ってきた国民党から白い目で見られ、それでも最前線で共産党軍とたたかい、捕虜になると元日本兵だったということを徹底的に隠し、朝鮮戦争がはじまると共産党軍の兵士として戦わされるなど過酷な状況下で生き抜いてこられましたが、軍人恩給などの社会保障が国民党政権下では一切なく、それに抗議して焼身自殺をされてから、やっと関心を持たれるようになったそうなのです。

 

 次回の訪問時には再訪することを固く誓い、そこを後にしました。

 

 東京組は新幹線で台北まで戻り、そこから飛行機に乗らねばならないのです。

 

最後の昼食をしましたが、その時にまたトラブルが発覚しました。

 

私の明治生命時代の先輩のSさんが、ホテルの金庫にパスポートと財布を入れたままだったのです。幸い同じ高雄にいて、先ほどのお土産物屋さんの店員さんがとりに行ってくれて新幹線の駅まで届けてくれて事なきを得たのです。

 

 こう見るとなんか今度の度のトラブルメーカーは頭文字がSの人が多かったような気がします。もちろん、MさんやNさんもいましたが。。。。

 

 高雄空港から福岡空港に戻りましたが、入出国の手続きが自動化されてとても早くなりました。変なものさえ持っていなければすぐに出国、入国ができます。ただし、手荷物の受け渡しのところには探知犬がうろうろしていたので、変な気は起こさないように。

 

 こうして三泊四日の感動の連続の旅が終わりました。素晴らしい仲間と普段は経験のできない体験をし、多くの臺灣の方々と魂の交流をし、そしてお腹いっぱいに食べました。また近い将来に行きたいと思っております。

 

 それほどの魅力があるのが台湾です。ぜひ皆さんも機会があれば、ご一緒しましょう。