私たちは長い間、自虐史観を押し付けられ、いつの間にかそれが定着してきました。
とくに戦後すぐ食糧難と貧困でお腹を空かせて少年時代を過ごしてきた世代と、学校の教科書を正確無比に記憶できる人たちの間で顕著にみることができますね。
私のように先生の言うことを疑ってかかるひねくれた人間にはおかしなことがいっぱいありました。
その一つに「どうして日本は戦争をしたのか?」という問いに明確な答えをくれる先生はいませんでした。
「軍部が暴走して戦争に走った」というようなことを言っていましたが、「どうして軍部が暴走したのか?」と聞くと、「軍というのものはそういうものだ」としか答えてくれませんでした。
だから自分で本を読み、冒頭の答えを探し始めたのです。
でも、どの本にもどうして日本が戦争を始めたのか、明確に答えが載っていません。
だからさらに本を読んだのです。それも時代をさかのぼりながら。
すると1840年に始まった「アヘン戦争」というところに行きつきました。
これは、イギリスが清帝国で禁制のアヘンを持ち込んだために、清帝国内でアヘンが蔓延し、その被害が宮廷まで及んだために、皇帝が林則徐を欣差大臣に任命し、対応に当たらせ、厳しく取り締まりをします。当然ですね。
しかし、それにより被害を被ったアヘン商人たちがイギリス公使に詰め寄り、イギリスの国会がその報復に軍を派遣することを決定し、イギリスと清国の間で戦争が起きるのです。
びっくりしません?もともと悪いのはどっちでしょう?
清国内の法律を破り、禁制品のアヘンを持ち込んでいたイギリスの商人たちの横暴さ、そしてそれを邦人保護のために出動するイギリス軍。
当然のごとく、七つの海を制していたイギリス海軍が勝利します。
そして南京条約が締結され、領土を割譲させられ、そのうちの一つが香港でした。
つまりこのころは、すでに国際政治には正義というものは存在せず、力の強いものが正義の時代に入っていたのです。
それでその時代の地図を見てみると、なんとアジアの諸国は欧米列強の植民地になっているのです。そして欧米列強の魔の手が伸びてき始めたのが、日本だったのですが、先人たちの英知と勇気でそれをはねのけて明治維新が起こったのです。
ここまでくると、明治維新はアメリカのペリーが浦賀に唐突にやってきたというのもまやかしに思えてきました。調べるとペリー提督の来日は一年以上前からわかっていたことであり、アジアの植民地化に乗り遅れたアメリカが日本で足掛かりを作ろうとしていたのです。
それが証拠に1898年、フィリピンからスペインを追い出し、その後釜に座っています。
だからもし徳川慶喜公が徹底抗戦をして、日本を内戦状態に追いやっていたら、日本は経済的にイギリスかフランスに屈服せざるを得なかったでしょう。だから私は徳川慶喜公は日本のために英断をしたと評価しています。
日清戦争は、朝鮮半島の独立を巡って清国と争いますが、あのまま放置していたら朝鮮半島はロシア帝国の掌中に落ちていたでしょう。それほど李氏朝鮮は国力がなく、政治も乱れていたのです。ロシアの南下政策を押しとどめたのは、この日清戦争とその後の日露戦争でした。
日露戦争は国際社会では誰も日本の勝利を予測した人はいませんでした。しかし、陸軍大学で教鞭をとったドイツ陸軍のメッケル少佐だけは児玉源太郎が総参謀長に就いたと聞いて日本の勝利を予言したと言われていますね。
陸では、児玉源太郎大将や乃木希典の第3軍が、海では東郷平八郎大将率いる連合艦隊が、そして欧州では明石元二郎大佐が反帝政ロシア勢力をまとめ上げ、反乱工作の成果を上げ、ロシアを締め付け、ついに講和に持ち込みました。
そして日本の独立は確保しましたが、アジア諸国は植民地のままでした。
もし、大東亜戦争が起きていなければ、国連は今の半分以下の加盟国となり、オリンピックの参加国も半分以下だったはずです。そしてモロッコ出身の選手がフランスの代表として、インドネシア出身の選手がオランダから、フィリピン出身の選手がアメリカ代表としてオリンピックに参加していたことでしょう。
日教組はこの事実を教えたくないために、明治維新とアジアや欧米列強の関係をうやむやにし、日清・日露戦争の勝利後、軍部が台頭して戦争に突き進んだと教えてきたのです。
日本はアジアで戦いましたが、英米と戦っています。決してアジアの人たちと戦っていたのではないのです。
その証拠に東南アジアに行くと、とても親日です。日本人とわかると好意的な笑顔を見せてくれます。私はベトナム・タイ・マレーシア・台湾に行ったことがありますが、どの国も日本人と言うと、親切にしてくれます。もし、アジアの人々と戦っていれば皆反日になっているはずです。
朝鮮半島の国など、日本軍と一緒に戦ったにもかかわらず反日ですし、大陸の現政権の軍隊など日本軍と戦わずして逃げまどっていたにもかかわらず、反日です。
以前CHINA国内から化学兵器の砲弾が見つかりました。それをCHINAは日本軍が放棄したものだから、日本が賠償すべきだと主張し、あほな外務省は、その通りにお金を出しました。
しかし、戦後に関東軍はあまりにも見事に武装解除し、すべての武器をソ連に渡し、そのソ連は共産党軍に渡したのです。それでやっと共産党軍はゲリラから正規軍になったのです。それを使えずに捨てたのは人民解放軍です。
人民解放軍の航空隊の初期のころ、日本帝国陸軍航空隊が指導・訓練しています。
こんなことは、ちょっと本を探せばいっぱい出てきます。でも、日教組をはじめとする左巻きは、日本軍のすばらしさを全く教えるどころか、悪いところを捏造してまで貶めています。
戦争中のことですから、今の価値観だとひどいことでも、当時としては当たり前のことが多々あります。それを今の常識で見せてきたのが左巻きの連中ですね。
英霊たちは死ぬ間際に「靖国で会おう」と誓って散華されました。祖国のために尊い命を捧げられた英霊の方々に靖国神社で哀悼の誠をささげるのが何がいけないのでしょうか。
そしてそれを堂々と閣僚になっても続けておられるのが高市早苗さんです。
それを四の五の言ってやらない政治家を信用できません。勉強不足か、完全な左巻きか、それとも人間の命を大切に思っていない冷血動物だと思います。
まずは、自分でどうしてあの戦争を日本は戦わなければならなかったのかを調べましょう。それをしていくうちに、自然に英霊の方々への感謝の気持ちが生まれるはずです。