なんで石破が次期総理にふさわしい人? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 マスコミの世論調査をすると押しなべて石破茂氏がトップか上位に名が挙がってきます。

 

 しかし、私の周りには石破氏を推す人など誰一人いません。

 

 もしここの読者で石破氏をぜひ次期総理にしたいと思っているという人がいたら教えてください。

 

 その貴重なご意見をぜひ承りたい。

 

 石破氏は長年政治家をしていますが、どんな実績があるのでしょう? 私は寡聞にして知りません。ぜひ教えてほしいものです。

 

 私の評価は、「大事な時に逃げ出す卑怯者」です。

 

 1993年宮沢内閣への内閣不信任決議が提出された時に、石破氏は自民党員ながら賛成票を投じ、自民党が下野することに加担しました。宮沢総理への不信任可決で戦後続いた自民党の55年体制に幕が下ろされ、細川連立内閣が実現します。

 

 まあ、この時はある程度の覚悟をもっていたのかなとも思います。二大政党制を待望していた節があるからです。

 

 しかし極めつけは2009年に再び下野した自民党の総裁選挙に国民の人気も高いとされ、与謝野馨氏も推しましたが、出馬をせずに谷垣氏の支持に回ります。そして党の政調会長という三役ポストをもらうのです。

 

 この時は、麻生内閣が倒れ、民主党政権になった時で、自民党への支持は地に落ち、もう自民党は立ち上がれないのではとされていた時でした。その時に火中の栗を拾ったのが谷垣禎一氏であり、氏の奮闘で第二次安倍政権への道筋をつけるのです。

 

 その功に安倍さんは報いて政敵と言っていい谷垣氏を自民党の幹事長に起用するのです。もし自転車の事故で大けがをしなかったら今頃総理大臣を継いでいたかもしれません。

 

 2009年の時から、石破氏は人望がなく、仲間だった議員たちの多くが落選したために、20人の推薦人を集めるめどが立たなかったともいわれていますが、この時もテレビで積極的に出演し、知名度を上げていた時でした。

 

 自民党が下野した時、自民党の金庫の中身を見てさっさと逃げ出した男が「舛添要一」で、この人もいざと言うときに役に立たないスタンドプレーだけをする軽い人でした。

 

 石破氏はその後総裁選に出馬しますが、党員投票で一位になったこともありますが、国会議員票で負け、第二次阿部政権が発足します。

 

 その後も石破グループを作ったりしますが、安倍政権に文句ばかりを言い、何も実績を残せなかったので、メンバーが一人減り、二人減りしてとうとうグループを解散することになりました。

 

 田母神閣下いわく、石破茂という人は、遠くから見たらよく見えるが近くで見るとろくでもない人物と評されていました。

 

 自民党の総裁選は、推薦人が20人必要です。ここに名を連ねるということは、担いだ候補者が敗れた場合、数年間冷や飯を食う覚悟が必要です。反主流派になるのですから、主流派からは冷たい待遇を受けるのを覚悟するほど、一心同体で総裁選を戦い抜く覚悟がいるのです。

 

 でも、石破氏は周りから自分の命運をかけて戦う大将ではないとすでにみなされており、自民党内でもマスコミの世論調査の結果に99%以上の人が首をかしげているそうです。

 

 にもかかわらず、毎回上位に登場します。でも、私の周りにはだれも石破氏を推す人は存在しません。

 

 私の考え方は少数派なのでしょうか?

 

 毎日新聞は、石破氏が一位で、その次に上川陽子外務大臣、そして第三位に高市早苗大臣だとしていますが、ここでも上川外相を次の総理に推す人も誰もいないのです。

 

 というか、上川氏が法相だった時オウム事件の死刑囚の死刑執行を勇気をもってサインした時くらいです。それ以外の実績を過分ながら知りません。

 

 ただ高市さんを3位にあの毎日新聞が挙げているのはもっと高市さんを推すマグマがたまってきているのでそれが無視できなくなりつつあると考えています。

 

 石破氏は決して我が国の総理大臣にはなれません。なぜならば義を欠く人は信頼されないからです。

 

 また地方創成相の時、一番テコ入れの必要な自分の鳥取県に何をしたのか?それもよくわかりません。過疎の典型のような鳥取県を再生させてこその大臣の手腕と言えるはずですよね。

 

 義のない政治家は岸田総理で終わりにしましょう。