「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に夢なき者に成功なし。」 吉田松陰
という言葉がフェイスブックで紹介されていました。吉田松陰先生は大好きなので、注目しましたが、すぐに違和感を覚えました。
あれ? 松陰先生が「夢」という言葉を使うか?という違和感です。
この「夢」というところを「志」というように置き換えれば、何の問題もないのですが、「夢」と書いてあることにはどうしても納得できません。
ネットで調べても吉田松陰と書いてあるものが多かったのですが、私は自分の直感を信じました。
その次の行動は、松陰神社の上田名誉宮司にお電話をするという行動でした。萩にある松下村塾に建立されている松陰神社の上田名誉宮司は20年ほど前から知己をいただき、何度か松陰神社にお客様をお連れして、松下村塾内でお話をお聞きしているのです。
前回行ったのは武漢コロナ前でしたのでもう5年ぶりにお声をお聞きしました。お元気そうで何よりでした。
で、この「夢無きの者に理想なし」、って言葉は松陰先生の言葉ですか?とおききすると、すぐに「違います、これが松陰先生の言葉として世間に出回っているので、綿密に調査したけれども、松陰先生は「夢」という言葉をお使いにならないということを確認しております。」というお答えでした。
「夢」という言葉が日本人に頻繁に使われ始めたのは戦後です。
英語のDream の訳として寝てみる「夢」が使われていましたが、英語のDream にはもう一つのものがあり、それは実現するもの、だから日本語では「志」という二つ目の大きな意味があるのです。
英語の語彙(ごい)というのはとても少なく、反面日本語はいろんな言葉の種類があります。このDreamという言葉も二つの意味を持っているということを知ってか知らいでか、わざと一方だけを教えて、日本語本来の「夢」の意味と混同させています。
Dream は come true するものですが、夢は目覚めたら消える儚い(はかない)ものなのです。
だから「夢」という文字は「慶事」では使うことができません。
よくテレビドラマで「夢を持て」という陳腐なセリフがありますが、「夢」って絶対に成就しないものなのです。
それならば、「志を持て」というべきなのです。実現しない夢を追い続けて、疲れ果てさせることが目的でしょうか。
クラーク博士の「Boys, be anbitious」という言葉は「少年よ、大志を抱け」と訳されていますが、これこそが若い人だけでなく、日本人が今、胸に抱かなければならないものではないでしょうか?
日本人が夢をいくら追いかけても、決して実現せず、その努力は泡のように消えてしまいます。そうやって努力をしても無駄だと思わせたい人たちがこの「夢」という言葉を意図的に日本人に使うように戦後していったとしか思えません。
そして努力し続けて疲弊してあきらめた人たちが山本太郎のような詐欺師に騙されるのです。
そうやって日本人の前向きな精神を後ろ向きにし、人の成功を自分のことのように喜ぶおおらかさを取り除き、人の粗探しばかりをして、また一人の人をマスコミが寄ってたかって叩き、それを傍観者たちが黙ってみているというさもしい世の中になりつつあるのです。
安倍派の裏金? 安倍さんは7年間総理の間は派閥を離れていました。パーティ券も自分では売らず、ノルマ分は自分の懐から出していました。でもマスコミは繰り返し、安倍さんが主導で悪いことをしたように視聴者に刷り込んでいます。
安倍さんは総理大臣として傑出した人物でした。もちろん欠点や失敗はありました。原子力政策などとても消極的だったのは、私も批判してきました。しかし、外交政策や祖国を当たり前の国にするという面から言えばとても大きな働きをされた方です。
何らかの特権を持っていた人はそれをはく奪されたので嫌だったのかもしれませんが、日本国民に大義を抱かせるような政策をした数少ない日本の総理大臣だったと私は評価しています。
しかし、マスコミは容赦なく「安倍派」という言葉を何度も使い、日本にとって有益な議員たちを失脚させようとしています。西村康稔議員や萩生田議員、世耕議員など日本にとって必要な議員です。それをこんな軽犯罪で失脚させようとするのが許せません。
政治家に清潔さを求めてはなりません。少々あくどいことをやっても主張を通すことのできる人でなければ、海千山千の外国との付き合いはできないのです。
ロッキード事件やリクルート事件の後、三木武夫氏や海部俊樹氏が総理大臣に選出されました。
両方ともクリーンな政治家と言われた人ですが、何もできませんでした。海部総理に至っては、組閣も蚊帳の外に置かれ、金丸・竹下(旧田中派)が決めていました。
クリーンだということだけで総理になった人でした。だから自民党内の影響力は全くなく、みこしの上に乗せられて担がれただけでした。
これが弱小派閥の悲哀なのです。
こういう歴史を知っていれば、派閥を解散することがすべての解決にはならないことがわかります。
今回の派閥の解散は、一つは岸田総理の延命工作であり、もう一つは派閥の再編成といっても過言ではないでしょう。
青年が青雲の志を胸に政治を目指そうとしても、パーティなどでお金が集めることができないと人も集まらず、党内での力も持てません。自分がしたい政治ができないのです。
一度落選しても捲土重来を図って浪人中に派閥がなければ、誰も面倒を見てもらえなくなります。
そうなれば二世、三世議員のように地盤・看板・鞄を持った人しか、政治家になれなくなります。
いまヒステリックにマスコミが誘導しているのは、そういう社会を作ろうとしているのですよ。
100%完全無欠な人など存在しません。でも、その人がどれだけの政治力を発揮して日本国に貢献できるかが大きく問われる内外の状況だと思います。
自民党からは台湾シンパの有力議員が減らされそうとしています。そして親中議員が勢力を伸ばしている自民党が今後習近平と対等に対峙できるのかとても不安です。
どれだけ努力しても目が覚めると消えてしまう夢を追いかけまわすのをやめて、確固たる志を持ってこの国難にあたることのできる政治家を応援せねばなりません。