日韓併合は誤りだったのでしょうか? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 歴史問題として韓国がよくいっているのに日韓併合は大韓帝国は望んでいなかったというのがあります。

 

 そういう時には私は次のような質問をするようにしています;

 

 1.当時の国際情勢を鑑み、日本が朝鮮半島を統治しなかったらどうなっていたのでしょう?

 

  すると、近代史をよくご存知の方は黙って下を向かれます。

 

 でも、教科書レベルや反日活動家レベルの知識しか持たない人は、朝鮮人だけでちゃんとやっていけたと答えます。

 

 その差は何でしょう?

 

 当時の正確な国際状況の認識の欠如です。

 

 当時の国際情勢は「力あるものが正義」でした。そして国際社会とは白人の国家間でのものでした。だからタイ国はイギリスとフランスの緩衝地帯として植民地にせず、独立国のまましておいたのです。

 

 中東諸国の国境線を見てください。まっすぐな直線ですよね。これは誰が引いたのでしょうか?

 

 すべて欧州の白人たちです。

 

 アジアで毅然たる独立国と言えば日本しかなかったのが19世紀のアジアでした。

 

 CHINAはというと「眠れる獅子」と呼ばれた清帝国ですが、日清戦争で小国日本に敗れ、眠れる獅子は決して起きないことが欧米列強に見透かされてしまいました。

 

 こういう戦争の時は、各国は観戦武官を派遣し、将兵の士気の高さや使用している装備そして作戦などをつぶさに見て、それを本国へ送り、参謀たちが検討会をして自軍の参考にするのです。

 

 日露戦争時に秋山真之参謀が米西戦争でのサンチャゴ・デ・キューバ海戦で行われた港湾口を自国の船を自沈させて塞ぐという閉塞作戦を参考に、旅順港閉塞作戦を立案しました。これも観戦武官の秋山真之が戦闘及び戦闘後の調査を丹念に行ったのがきっかけです。

 

 日清戦争時、日本軍が使用している小銃と清国兵が使用している小銃の射程が違うので、清国軍の射程外から日本軍は組織的に攻撃をすると清国兵は逃げ出していました。その様子を各国の駐在武官も見ていたのです。

 

 日本軍の戦死者は1132人ですが、病死が11,894人となっており、一年余り続いた戦争でいかに戦死者が少なく、ビタミン不足で脚気となりそれでなくなった将兵が戦死者の10倍いたという事実でそれが証明できると思います。

 

 そしてこの日清戦争時の李氏朝鮮は清国の属国として事大主義(長い物には巻かれろ)で自国の防衛や自国民へのいたわりなどが一切ない両班という貴族階級の無策のせいでした。だから朝鮮半島の庶民は生活苦にあえぎ、満足な教育も受けられず、ほとんどが奴隷(奴婢)のような生活で、世界の最貧国だったのです。

 

 最近の韓国の時代劇はその庶民の生活苦を良く描くようになっています。それが宮廷への不満が募っていく様子もけっこうまじめに描かれています。

 

 そして「緑豆の花」という日清戦争のきっかけとなった東学党の乱を描いた歴史ドラマを見れば、だいぶディフォルメされていますが、その様子がよくわかりますよ。ドラマとしてもおもしろいからお薦めです。でも、ヒロインはブスだけど・・・。

 

 日本国の安全保障のために朝鮮半島が清国やロシアから侵略されないような体制を作るのが戦略目的でした。しかし、朝鮮人による改革はことごとく失敗します。

 

 それは亡国の兆しがあるのに、足の引っ張り合い、面子の問題等々今の立憲民主党のような状態で、朝鮮の為政者たちが国民から愛想をつかされた結果、大韓帝国の議会で議決されて日朝合邦(日韓併合)が実現したのです。

 

 それは日本が武力を背景に朝鮮半島から略奪するためではありませんでした。

 

 なぜなら台湾と違い朝鮮半島には1910年の併合以来、1945年の放棄までずっと日本国民の税金が投入され、朝鮮半島へインフラを構築していったのです。

 

 文字は貴族階級である両班のものとされ、せっかく世宗大王が開発したハングル文字も充分に普及しておらず、日韓併合後に漢字とハングル文字で識字率を上げて行ったのです。

 

 このころの様子を知りたいときは、朴正煕元大統領の生涯を見て行けばよくわかります。

 

 没落した両班の出身でしたが、日韓併合後朝鮮総督府は朝鮮国民に「義務教育」を内地と同じように実施しました。

 

 日本では子供が学校に行くのは当たり前ですが、当時の朝鮮では子供は大事な労働力だから学校に行かせない親が多くいたのです。だから親に対して子供に教育を受けさせることを義務化(強制)したのです。

 

 朴正煕も親が総督府を畏れて学校に行かせると、とても優秀だったから満州軍の軍官学校(士官学校)に行かせるように教師が手配をし、戦後陸軍少将の時に仲間ともに軍事クーデターを実施して、韓国の実権を握り、1965年日韓の国交回復をして日本から得た独立お祝い金でインフラを整備し、漢江の奇跡と呼ばれる経済発展を成し遂げるのです。

 

 ただ、韓国の国是は李承晩が作った「反日」であり、「昼間は反日、夜は親日」の時代が長く続きました。しかし娘の朴槿恵元大統領の時代には反日教育を受けて育ったために、「昼も夜も反日」にならないと社会的に生きていくことが出来なくなっていました。

 

 そういう中、表面しか知りませんが、尹大統領は危険を顧みずよくやっていると思います。

 

 ただ岸田政権が無条件ですべて受け入れようとしているのがとても嫌です。

 

 レーダー照射問題、ホワイト国への復帰等々、せっかくの外交カードがあるのに使わずにアメリカの言うなりになっています。これでは戦後の韓国への土下座外交の是正や反日教育の中止、世界各国に作った慰安婦像の撤去などを少しずつでいいから改善する大きなチャンスだと思うのです。

 

 ただ、レーダー照射問題の謝罪とホワイト国復帰はもっと慎重にすべきだと思います。

 

 日本の外交姿勢が問われますから。

 

 でも、尹大統領の時に正常化しないともう二度とチャンスはないと思います。

 

 だれ、「そんなのせんでもよか」と思っているのは、あっ、俺か(笑)