プロ意識に欠ける沢田研二、もう引退を! | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 沢田研二、ジュリーは私の若いころからとてつもない大スターでした。

 

 その人気たるやかつてのキムタクをはるかに凌駕するものでした。

 

 「時の過行くままに」など私の大好きな歌もあり、ソロ転向後の活躍もまた見事でした。

 

 しかし、時の流れは恐ろしいもの。絶世の美男子と言われたジュリーも一見カーネルサンダースかと思わせる風貌に変身し、山本太郎を応援するように見た目も心も醜く成り果て、もう私の中では沢田研二は過去の遺物と化していました。

 

 そしたら今回の騒動です。もっと早く書きたかったのですが、優先順位の低さと私自身の忙しさでやっと今書けています。

 

 結論は、プロであるならば一人のお客様であっても熱演すべきだということです。

 

 どんな言い訳をしようが一人一人のファンはいろんな思いをもって会場まで足を運んでいただいているという思いで魂を込めたステージをするべきだと思っています。それがかつては日本中の女性を虜にした大スターであっても、往年の名声に頼るのではなく、今の実力で勝負をしてほしいと思っています。

 

 今回の事件は沢田研二が自分の人気がまだあるのかをファンに試しているように思えてなりません。つまり駄々をこねていると思っております。芸能界は注目を浴びてなんぼの世界。それによって残りの公演が満席になれば、この損失は十分にカバーができると小賢しく判断しているものだと思います。

 

 それがあの会見にも見え隠れしているので、激しい嫌悪感が襲ってきました。皆さんはいかがですか。

 

 私の青春時代にはあの一世を風靡した天地真理という大スターがいました。しかし、この人も時とともに劣化が激しく、あの時の清純でキラキラしていたころのイメージを壊しまくっています。もうテレビに出ないでほしいと何度も思いました。自分の青春時代のあこがれや思い出が現在の彼女の姿を見ているとどんどんぶち壊されているからです。

 

 一度ああいう大スターを経験するとその時の自分の姿が忘れられないのでしょう。

 

 なんでもわがままがいえた大スター時代と今と同じようにすることの滑稽さは全盛時代を知っているものとして止めてほしいと思うだけです。

 

 それでもジュリーには根強いファンの方がおられて「ジュリーだから許せる」と思われている方もいると思います。

 

 でも日本は偉くなればなるほど、「実るほど首を垂れる稲穂かな」という格言があるように頭を低くすることが美徳とされてきました。

 

 数ある評論家でも一番まともだと思う木村太郎氏は「ジュリーは自分で自分の幕を引いた」という旨の発言をされていました。

 

 言い得て妙です。

 

 だからこそ応援するのか。だからこそ終わりなのかはファンの方が決めればいいことです。

 

 また政治色の強い発言を芸能人がするということは自分の魅力、存在価値を見誤っているとしか思えません。自分が政治家に転身するのなら全く問題ありませんが、歌を聞きに来たファンの前で延々の政治の話をし、ファンから歌を聞かせてという声に対して、「うるさい、ちょっと聞け」といったという発言などが数年前からありました。

 

 もう芸能人としても終わっているのだと思います。

 

 私はもうジュリーは過去の人という分類に入っていますので、とやかく言うことはないのですが、こういうプロ意識に欠けた人が後進の見本にだけはなってほしくないですね。