郷土と英霊のための二日間 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 土曜日は博多の灯明ウォッチングに出演する筑前琵琶の寺田蝶美師範のお手伝いで弘法大師空海が唐から帰国してすぐに開山した東長寺へ行きました。

 

 大勢のボランティアの人が東長寺の境内に色のついた紙袋と砂とローソクで灯明を作り、手早く並べていかれます。私も地元の室見川灯明祭りで同じことをしますので、その苦労がよくわかります。

 

 でも、今日は博多蝶美会のお世話がメイン、手伝いたい気持ちを抑えながら、マイクの位置やいすの位置、音響の具合などをチェックして本番に備えます。

 

 18時、夜のとばりが祇園町という繁華街の中にも下りてきて、壁一枚隔てれば大博通りという大通りがあるのですが、自動車の音もあまり気にならなくなります。そして灯明一つ一つに火が入っていくと同時にどんどんあたりが暗くなってきて、灯明のゆらゆら揺れる炎と共に東長寺の本堂の朱色が映えてきます。

 

 18時半から蝶美さんのあいさつと共に平家物語の「♬祇園精舎の鐘の声・・・」が始まるとお客様は足を止め、耳をそばだてて蝶美さんの神懸った声に聞き入ります。

 

 小学校一年のひまりちゃんをはじめ、高校生の二人、そして大学生二人、そして妙齢の女性二人の7人での演奏が始まります。

 

 お寺の境内をろうそくの炎が紙で作った灯明の幻想的な明かりに照らされての演奏は日常を忘れさせる力があります。

 

 今回私は裏方さんで、マイクの再設定やライティングの調整など全く声を発しない珍しい出番ですが、伝統芸能とお寺との調和の会にお手伝いできたことを誇りに思います。

 

 きっとご来場いただいた多くの方々も日本の伝統美そしてそれを守ろうとする人たちの努力の結果を目の当たりにして、日本文化の深淵の一部をご覧になれたのではないかと思っています。外国人の観光客も大勢おられてできるだけ説明をしていたのですが、演奏終了後私のところによって来られ、とても楽しんだと固い握手を交わしました。

 

 私が話しただけで、ドイツ人、ハンガリー人、アメリカ人、フランス人などたまたま観光に福岡に来られていて、今日だけの講演だよと伝えるととても喜んでいました。

 

 6時半、7時半、8時半の三回の演奏を終えて後片付けをして長い一日は終わりました。

 

 翌21日は、福岡県陸軍墓地の慰霊祭が福岡県郷友連盟の主催で行われました。

 

 そこに私が書いた「見よ、特攻隊の大戦果」という題名の戯曲を前日の寺田蝶美師範と俳優の岩城朋子さんの熱演で奉納しました。

 

 自衛隊の幹部の方も含めて150名以上の方々のご参加により、秋晴れの下、とても清々しい中、護国神社の田村宮司が祭主として神事が執り行われました。

 

 今回は私の両親も参加してくれました。94歳になる両親は父が第一戦車師団の一員として満州に、母のすぐ上のお兄さんが、ビルマのラモウの戦いで戦死しています。

 

 土曜日の午前中に買い物に付き合っている時に、翌日の陸軍墓地での慰霊祭のことを話したら、戦死したすぐ上のお兄さんは結婚もしておらず子孫もなく、誰も面倒を見てくれる人がいないと涙ぐんでいました。

 

 「ああ、そうかそれもあるんだ」とふと気づきました。私がなぜか10年以上にわたってこの陸軍墓地の慰霊祭にかかわらせていただいているのはそういう意味もあるんだということを。

 

 福岡県郷友連盟の吉田会長や稲葉さんのお誘いで何気なく関わってきました。初めは英霊の方々に感謝の誠をささげるのは当たり前という感覚で、これまでずっと続けてきました。

 

 しかし、母のその一言で、ああ、だから私はこれを喜んで続けているんだと気づいたのです。

 

 おじさん、一度も会ったこともありませんが、私と同じ血が流れているのです。母の代わりにこれからもおじさん達のおかげで素晴らしい日本に暮らせていますと胸を張って言えるようにします。そして今年もあと数日で6歳になる孫を連れてきました。四年連続です。

 

 この子が一年一年大きく健やかに育つ姿を英霊の方々にも見せたくて連れてきています。

 

 一緒に玉串をお供えするのですが、小さい体を90度になるほど折り曲げ、小さい掌を二回たたいてまた礼をする微笑ましい姿にきっと英霊の方々もお喜びいただいていると思っています。

 

 左巻きの人と話すと、この英霊の方々は「天皇のために死んだ・または殺された」と心無い言葉を言われます。

 

 はたしてそうでしょうか?

 

 私はそうは思いません。英霊の方々は愛する家族を、愛する祖国に命を捧げられたのです。

 

 亡くなる時に、悔しい思いをしても決して恨めしいと思うことはほとんどなかったのではないかと思っています。

 

 自分の命が愛する人々を守るために役に立ったかと思いながら死んでいかれたと思っています。

 

 だから、一年に一度ですが、「そうです、皆様のおかげでこうやって幸せに暮らしています」と報告がしたいのです。そして小さな女の子を連れて「このように新しい命もすくすくとはぐくまれ、皆さんのことを決して忘れていませんよ」と伝えたいのです。

 

 私は戯曲を書いて、蝶美先生と岩城さんに渡すだけです。その役割です。蝶美先生はそれに節を付けて歌われます。岩城さんは言葉に命を吹き込んで語ります。その三つの調和がとれて一つの作品になるのです。

 

 その舞台は福岡県郷友連盟や自衛他の方々がボランティアで労働奉仕をしていただいて作られており、また参列された一人一人がそれぞれの思いを胸にここに集まられます。

 

 皆清らかな魂の持ち主です。だからここに来ると気持ちがいいのです。

 

 決して戦争を賛美するつもりはありません。逆に絶対にしたくありません。

 

 なぜなら子供たちを戦争の惨禍に巻き込みたくないのです。

 

 だから、誰も攻めてこようとさせない充分な備えをしなければならないと思っています。

 

 戦争をしないために、備えをするのです。それは軍備だけではありません。国民の国防意識も必要です。そしてなにより、憲法の改正も必要なのです。なぜならば私たちは民主主義国家の一員だからです。

 

 国家のために、愛する者のために命をささげられた英霊の方々に追悼と感謝の誠を捧げること。ただそれだけでいいんです。

 

 その涼やかな心境になれば、おのずから自分は何をしなければならないかが見えてきます。それがわかっているから左巻きの人たちはこういうところに一切出てこないのです。

 

 日本の文化は感謝の気持ちから始まると言っても過言ではありません。

 

 感謝を忘れた人が新しい世を作ることなどできないと私は思うのです。