なんとひどい高橋源一郎の現代語全訳の教育勅語 | 井上政典のブログ

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 作家の高橋源一郎氏が教育勅語を現代語の全訳をどう思うかと知人が質問をしてきました。

 

 そこでじっくりと読んでみたのですが、なんとひどい!でも、じっくり読むことによって左巻きの人たちの思考回路がわかるような気がしてきました。

 

 というのも、わざとかどうか、この人はご皇室と私たちをに分離しており、支配者と被支配者に分けているのです。

 

 「おおみたから(大御宝)」とは、天皇陛下は百姓(文字通りすべての姓(かばね)」を宝とし天皇の赤子として考え大切にするということです。

 

 「おおみこころ(大御心)」とは、国民が天皇陛下のこころを敬って大切にするということ。

 

 ということは、上からも下からもお互いをいたわり合いつくし合うということであり、これを「君臣一如」と言います。

 

 どちらが偉いかということではなく、それぞれの分を弁えることから始まります。

 

 会社の社長が社員より偉いといって靴で頭をたたいたり、毎日怒鳴り散らしていては部下はたまったものではなく、会社もほどなくつぶれてしまうでしょう。他の国の王朝がそうやって栄華盛衰を繰り返してきました。

 

 しかし、日本は2678年の長きにわたってご皇室が存続しつづけているのは、思いやりの心がお互いにあるから続いて来たものと考えます。このように天皇陛下と国民の関係性は親と子、そしてどちらも同じものなのです。

 

 よく左巻きの人たちは、「天皇家」とか「天皇制」という言葉を使います。その意味を知ってか知らでかはわかりませんが、ご皇室には名字がありません。すなわち井上家とか安倍家という家とは同列ではなくその上に位置するものです。それをいかにも同列に配したい、皇室が他の国の王室と同じように権力によってその地位を保っていると見せようとしているのです。

 

 私たちは言論自由、職業選択の自由がありますが、天皇陛下には自由は存在しません。つまり「私」というのものをお持ちでないのが天皇陛下という存在なのです。

 

 それを秦の始皇帝や暴君ネロのように思わせたいのが左巻きの扇動者であり、それは実態と大きく違うのです。

 

 今上陛下が皇太子の時代に同じ学年の子供たちと一緒に疎開をされていました。ろくに食べるもののなくて皇太子殿下は他の子供たちと同じようにお痩せになっていきます。

 

 それを見かねた側近が特別な料理をお出しするのですが、皇太子付きの武官がそれを制止します。

 

 その武官も皇太子殿下のお体を見て不憫に思っているのです。しかし、いずれ万民の上に立たれるお方が万民の苦しみを知らずして何が天皇陛下かと諭すのです。

 

 人間の肉体を持つ皇太子殿下は、食べ物を見てよだれが出てきます。育ち盛りです、食べたくてしようがありません。しかし、きっぱりと食べるのをおやめになるのです。自分だけがいい思いをするのは良くないと我慢をされるのです。

 

 この皇太子付きの武官も少しでも精のつくものを食べさせてあげたいのです。しかし名君になってほしいと思う気持ちから心を鬼にして進言し、皇太子殿下もそれを素直に従われました。

 

 これがCHINAやローマ帝国の皇帝や朝鮮王朝の王様と比較してみてください。

 

 全く違うでしょう。それが日本のご皇室なのです。

 

 バチカンやブルボン王朝の宮殿とご皇室の御所を比べてみてください。どれだけ質素か。しかし、そこにはチリ一つ落ちておらず、いつもきれいに磨かれています。

 

 それは豪華さを競うのではなく、清廉潔白さを旨とする日本人の生き方をご皇室自らお示しになっているのです。

 

 それが日本の天皇陛下なのです。

 

 それをご理解いただいて次の高橋源一郎氏の訳文を読んでみてください。

 

 >>>引用開始

 

■高橋源一郎「現代語全訳」

 『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。


 そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。
 

 きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。
 

 そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。
 さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。
 というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。

 

 それが正義であり「人としての正しい道」なんです。
 

 そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。
 

 いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中のどこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。
 

 そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。

 

以上!明治二十三年十月三十日天皇

 

>>>引用終わり

 

 いかがでしたか、いかに空虚で扇動的な文章に訳したかがわかったでしょう。

 

 天皇陛下と私たちは別ものではありません。日本の地で生活をしていれば薄くともご皇室の血が私たちの体には流れているのです。

 

 だから、震災に遭われた被災者の方々が慰問に来られた天皇陛下のお姿に接し、有難いと涙を流すのです。

 

 その人たちが日ごろからご皇室を尊崇されているかどうかはわかりませんが、お姿に接した方が口々に時には声を詰まらせて有難いといわれるのです。

 

 それは日ごろから天皇陛下は国民のために一心に祈っておられるからであります。それが一番苦しい思いをされている方々にはひしひしと伝わってくるといいます。

 

 それがご皇室と国民の関係性です。

 

 この高橋源一郎氏の訳文は酷いと私は思います。それはご皇室と私たちを対立軸に置いているからです。それが左巻きの考え方であり、それの違和感に気づかい人と議論しても永遠にその溝は埋まらないような気がします。