教育勅語をきちんと読もう! | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 文科大臣の柴山氏が教育勅語を肯定する発言をしたら、案の定、左巻き政党の社民党の又一幹事長はじめ、そちら系の人たちがワンワンと騒いでいます。ネットでも賛否両論かと思いきや、賛成の方が多いように思えるのは私だけでしょうか。

 

 反対している人たちは、きちんとこの教育勅語を読んだことがあるのでしょうか?

 

 ネットで反対している人たちの多くは、パブロフの犬のように条件反射で「教育勅語=軍国主義」と脳内で変換して反対を言っているようにしか見えません。

 

 いい機会です。きちんと教育勅語を読んでみましょう。

 

 http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm

 

 ここのサイトが一番まじめできちんとしているように思います。

 

 原文は;

 

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ

 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス

 朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

 

 句読点がないので読みにくいと思い、改行しています。

 

 でもちょっと何を言っているのかわかりませんね。

 

 先ほどのサイトの現代文訳を載せます。じっくり声に出して読んでみてください。

 

 「私が思うには、わが皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。わが国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国の優れたところであり、教育の根源もまたそこにあります。

 

 あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気をもって公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけでなく、あなた方の祖先が残したよい風習を褒め称えることでもあります。

 

 このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民とともにこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。

 

 明治23年10月30日

 天皇の署名と玉璽」

 

 いかがでしょうか?どこがおかしいというのかよくわかりません。

 

 多分ひっかっているのは;

 1.第一段落 「全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは」 

 

 2.第二段落 「もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気をもって公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい」

 

 この二点でしょうか。

 

 一番目は、わが国がいいことをしてきたということを否定したいのでしょう。日本が悪い国でなければ中韓の国自体が成り立ちませんから。

 

 二番目は、皇室を廃止したい人たちから見れば、在ってはならない文章でしょう。

 

 そこでこの二点については私は次のように思います。

 

 日本はその長い歴史の間、戦乱に明け暮れた時代は他の国々に比べて圧倒的に短く、平安な時代をどの国よりも長く過ごしてきました。

 

 お疑いになる人は、方眼紙にアメリカなりイギリスなり、CHINAなりの歴史を書いて、戦争をした年を赤く塗っていけば一目瞭然です。もし、わかれば人口の推移を書いていけば、その戦争がどれほどその社会に影響を与えたのかよくわかると思います。

 

 また戦争をしていない年を青で塗ってみてください。アメリカなど建国して250年に満たないのですが、戦争をしていない年などほとんどありません。イギリスやフランスやドイツもその歴史は戦争と共にあるといっても過言ではありませんし、ロシアに至ってはどれだけ周辺諸国に迷惑をかけてきたのでしょう。現在のCHINAも同じです。

 

 有史以来、日本が対外的な戦争をしたのは明治以前は2回だけ。660年に属国の百済が滅亡し、そこから救援を頼まれて出兵したのと、秀吉による文禄・慶長の役くらいです。

 

 明治に入り、欧米の植民地主義の影響で日清・日露、第一世界大戦・シベリア出兵・満州事変・日華事変・大東亜戦争と立て続けに続きます。欧米列強の膨張主義に組み込まれていったのです。

 

 だれもが戦争をしたくありません。秀吉の時代も大勢の大名が朝鮮出兵に反対していました。それを代表して意見を言った寵臣千利休は秀吉からまさかの切腹を仰せつかり、その後は誰も言い出せませんでした。

 

 徳川時代には他国と関わると戦争をしなければならなくなると、準鎖国政策をとります。これは平安時代の遣唐使廃止から準鎖国をして国風文化が醸成されていった経過と似ています。この二つだけで六百年も戦争をしていない期間があります。

 

 明治は外圧により外から無理やり扉を開けられてしまい、世界の渦の中に巻き込まれてしまいました。

 

 アマゾンの奥地の部族が外界の文明と接触したらほとんどが滅びてしまったのと同じですが、日本は滅びずに変化して世界に対抗してきました。

 

 アマゾンの奥地の部落の人々は文明に接してよかったのでしょうか。ちょっと便利な暮らしが幸福と言えるでしょうか。

 

 お金は足りないと困りますが、たくさんあるからと言って幸せとは限りません。いったん人間の欲の歯止めが利かなくなったらとことん行くのが人間の業でしょうか。

 

 話を元に戻します。日本の歴史は悲劇の連続なのでしょうか。何も誇るものがなく、外国からもうらやましがられないのでしょうか。

 

 そんなことはありません。明治22年欧米の研究者がどうしても見つけきれなかった破傷風菌を発見したのは北里柴三郎博士であり、今では普通になっている血清療法を発見したのも北里博士であります。

 

 先日ノーベル生理学賞を貰った本庶先生は、その賞金を京都大学に寄付されるそうです。お金や個人の名誉のために研究をし続けたのではなく、困っている人を助けたい、わからないことを解明したい、という純粋な気持ちで地味な研究を続けれ来られたらこそ、神様がご褒美をくださったと思います。

 

オプジーボというお薬によって大勢の人が末期がんから生還されてます。iPS細胞を発見した山中教授もそうですし、ほとんどノーベル賞受賞者が教育勅語の世々に渡って立派な行いをしてきたからこそ、世界で認められているのではないでしょうか。

 

 お隣の国では、韓国版ノーベル賞をこさえて自国の学者に授与しています。CHINAでも孔子平和賞というのがあるようですが、受賞すると受賞者が困惑するそうです。

 

 二つ目の「永遠に続く皇室の運命を助けてあげるようにしてください」というくだりが我慢ならないのでしょうね。

 

 ご皇室の存在は私たちにとって権威の根源を表します。ここに権威の根源が長年にわたって存在してきたからこそ、日本は営々と豊かで民度の高い国民性を培ってこられたのです。

 

 またそれは社会の中心であり、万人がそれを認めることにより、それぞれの社会での位置がきちんと定まり、安定するのです。

 

 この安定感こそ日本文化の良さの一つではありませんか。総理大臣がころころ変わっても日本はびくともしません。天皇陛下がおわすからです。

 

 アメリカはそれがないから莫大なコストを払って大統領という国家元首を四年ごとに選出せねばなりません。

 

 日本は職業選択の自由があり、本人の努力ひとつで天皇陛下以外には何でもなれます。きっと近い将来能力と人望があれば女性の総理大臣も誕生することでしょう。女性の天皇も存在した国ですから。

 

 閣僚に女性が一人しかいないと文句をつける人がいますが、男性女性とこだわる方が性差別をしているのではないでしょうか。

 

 一度、性差別をなくそうという女性の会に通訳で出席したのですが、その後懇親会は女性だけでと差別を受けました。外国人の講師が「この人たちは差別している。私は性差別をなくそうと講演したのに、主催者がそれをしていておかしい」と言われて、私も初めておかしいと気付きました。あとでわかったのですが、とても左巻きの団体で、私の歴史観が受け入れられなかったそうです。

 

 そういう差別する人が、差別問題をとうとうと語ります。矛盾していますよね。

 

 2678年という長い歴史を持つわが国は他所のどの国と比べようが遜色のない国家だと思います。うちが一番いいといっているのではなく、他の国をうらやむことなど一つもないということです。

 

 私は日本人として誇りを持っています。この教育勅語もそのことを言っていると思います。

 

 これが教育の根底にあるのとないのでは大きく違うと思います。

 

 個々を主張するのではなく、公のことも頭に入れて行動する。これができればいわゆるモンスター○○は無くなると思います。

 

 こんな素晴らしい教育勅語を否定する人たちの脳みそを見てみたいですね。きっとカチンカチンに固まっているのでしょうね。