千葉県八千代市のあまりにも愚かな決断 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 毎年恒例の「日本の心を歌う集い」というイベントの後援を市民からの申し出で八千代市教育委員会が取りやめたというニュースが流れてきました。

 

 ネット上でその教育委員会に電凸した方がおられ、それを読むと文句を言ってきた人はたったの二人だったそうです。

 

 それも。「海ゆかば」を聞いて戦時中を思い出してつらい思いをしたからだそうですが、「海うかば」はいつから軍歌になったのでしょう?

 

>>>ウキィペディアより引用

陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)

葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの聞けば貴み

 

【現代語訳】 

 

葦の生い茂る稔り豊かなこの国土を、天より降って統治された 天照大神からの神様たる天皇の祖先が 代々日の神の後継ぎとして 治めて来られた 御代御代、隅々まで支配なされる 四方の国々においては 山も川も大きく豊かであるので 貢ぎ物の宝は 数えきれず言い尽くすこともできない そうではあるが 今上天皇(大王)が、人びとに呼びかけになられ、善いご事業(大仏の建立)を始められ、「黄金が十分にあれば良いが」と思し召され 御心を悩ましておられた折、東の国の、陸奥の小田という所の山に 黄金があると奏上があったので 御心のお曇りもお晴れになり 天地の神々もこぞって良しとされ 皇祖神の御霊もお助け下さり 遠い神代にあったと同じことを 朕の御代にも顕して下さったのであるから 我が治国は栄えるであろうと 神の御心のままに思し召されて 多くの臣下の者らは付き従わせるがままに また老人も女子供もそれぞれの願いが満ち足りるように 物をお恵みになられ 位をお上げになったので これはまた何とも尊いことであると拝し いよいよ益々晴れやかな思いに満たされる 我ら大伴氏は 遠い祖先の神 その名は 大久米主という 誉れを身に仕えしてきた役柄 「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」と誓って、ますらおの汚れないその名を、遥かな過去より今現在にまで伝えて来た、そのような祖先の末裔であるぞ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものである と言い継いできた 誓言を持つ職掌の氏族であるぞ 梓弓を手に掲げ持ち、剣太刀を腰に佩いて、朝の守りにも夕の守りにも、大君の御門の守りには、我らをおいて他に人は無いと さらに誓いも新たに 心はますます奮い立つ 大君の 栄えある詔を拝聴すれば たいそう尊くありがたい

 こういう機会もないと、なかなか第二国歌と呼ばれるこの歌を聞くこともないと思うので、ここに書きます。
 
 
 どんな歌なのかを知りたい方は上記のURLでお聞きください。
 
 日本の文化はハレ(特別な日)とケ(日常)とに分けられますが、ハレの時には「君が代」を、そしてケの時には「海うかば」を使うことが多々ありました。特に戦時中は明るいニュースは「軍艦マーチ」とともに、そして暗いニュース等にはこの「海ゆかば」が使われたことが多々ありました。
 
 だからこの「海ゆかば」を軍歌としてとらえて苦情を言ったのでしょうが、私は次の点がとても疑問に思っています。
 
 まず、市や教育委員会に苦情を言うということ。
 
 自分の主張が正しく相手が間違っているという相手を受け入れない感情を持っている人ではないでしょうか。そしてその人たちがよく多用する言葉に「日本の社会には多様性がない」といい、自分たちが受け入れてもらえない時は批判し、相手を批判するときは「いかがなものか」と他の文化を完全否定する人たち。
 
 こういう人たちが存在してはならないと私は言いません。なぜなら日本の文化は懐が深く、このような人も大勢おられることを理解していますから。
 
 しかし、「日本の心を歌う集い」というイベントでこの歌を聴くのが楽しみな人もいることをなぜ理解しないのでしょうか。
 
 「海ゆかば」が軍歌かどうかは、ちょっと調べればすぐにわかるはず。軍歌ではありません。1300年前の万葉集からの長歌です。それに西洋音楽をつけて演奏した、いわば和洋折衷の日本の文化です。
 
 これくらいはネット社会ですから、すぐにわかるでしょう。でも、そう思わない人は、歌をイデオロギーで見ているために、何でもケチをつけ、文化の多様性などを全く無視している存在の人ですね。
 
 たった二人の「市民」から苦情が来たからと言って、大勢の人が楽しみにしている公演に水を差してもいいのでしょうか?
 
 国民からの支持率0%の野党が、「国民の負託にこたえて」とか、「民意が」などと本末転倒なことを言い募り、さらに一年以上もやっているモリカケ問題で何の進展もなかったら、逆ギレした立憲民主党の副代表がいましたが、大多数の国民の民意など無視して、自分たちおよびその支持者たちだけの思惑で延々と不毛な時間を浪費させています。
 
 まだ先の大戦で日本が悪いことをしたという亡霊に取りつかれている方々のようです。
 
 もし、あの戦争を日本がしなかったら、今頃世界地図はどうなっているのでしょうか?国連の加盟国は何か国くらいになっていたのでしょうか?
 
 そもそもなぜ日本はあんな戦争をしなければならなかったのかを考えたことがあるのでしょうか?
 
 領土を獲得する植民地主義は、そこにある資源の争奪でした。そして少しでも国力を強化してその獲得した資源を先進国が独占してさらに覇権をとろうとしていました。
 
 もし、あの時に大陸と半島が日本のように一丸となって欧米列強をはねつけるだけの国家体制を持っていたら、日本は大陸に進出する必要性があったのでしょうか?
 
 また石油を止められなかったらインドネシアの油田を確保する必要があったでしょうか?
 
 資源の争奪、いわばエネルギー争奪の戦いだったわけです。
 
 あの時と日本は何も変わっていません。エネルギーを海外に依存しており、もし止められたら半年も持たない綱渡りのような状態が続いています。
 
 それを打破できるのが原子力の活用なのです。
 
 いろいろ弊害もありますが、太陽光発電もその装置の設置によって自然破壊をするという弊害もあります。すべてが一長一短であり、どれがその中で一番いいのかという観点から日本のエネルギーを見ていく必要があると思っています。
 
 明日になりましたが、奈良林直先生の講演会を電気ビル共創館で15時から会費2000円で行います。
 
 原子力発電に賛成反対関係なく、専門家の話を聞いて、自分も質問して理解を深めていただこうという趣旨です。
 
 世の中一方が悪く一方が絶対に正しいということはありません。ただどれだけ多くのメリットがあるかどうかを判断することが政治となってきます。そのためにも、きちんとした知識を知って、先の大戦の過ちを繰り返さないようにすべきではないでしょうか。
 
 日本がたくさんの血を流したおかげで、アジア諸国は独立しその後経済発展をしています。これだけ見ても一概に日本が悪かったということはできないでしょう。でも、その陰にたくさんの国民の涙も流されています。それを当時としては最高の栄誉でたたえたのが、この「海ゆかば」という歌なのです。それが安直な仕分けで「軍歌」だからといって後援を取りやめるような八千代市教育委員会のレベルってどんなのでしょうか。