ダウンタウンの笑ってはいけないの批判について批判する。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 年末の恒例のダウンタウンのわらってはいけないの番組の中でのいくつかのコーナーが批判を浴びています。でも、それは批判をするほどのものでしょうか。その批判に違和感を持ちました。

 

 まずはダウンタウンの浜田氏の黒塗りメーク。黒人差別を連想させるというような批判でしたが、皆さんはそれを見て不快感や黒人差別を感じましたか?私は長丁場の番組の一部しか見ていないので、年明けにネットで見ましたが、別に騒ぐほどのものではないと思いました。

 

 なぜなら、私には黒人に対する差別の意識が全くないからです。

 

 普通に黒人の友人もいましたし、褐色の肌の女性と学生時代に付き合ったこともあります。日本人が顔を黒く塗ったからと言って黒人差別になるなんて思いもよりませんでした。

 

 それならば往年のシャネルズは黒人差別だったのでしょうか?東宝のモスラシリーズの原住民はみんな日本人の役者が黒塗りをしていました。これらもすべて黒人差別だったのでしょうか?

 

 日本人は他の民族に対して人種差別という概念を持ちません。興味はもちますが、人種が違うというだけで差別をするようなことありません。

 

 ただ、衛生観念はとても高いので、不潔な人たちに対しては民族を問わず日本人間でも排除の対象になることはありました。

 

 戦前でも、同じ日本人となった朝鮮民族でも不潔な人たちや嘘を言う人たちは排除され蔑まれました。それを差別と言えば差別ですが、それは人種差別ではなく、生活習慣特に衛生観念の大きな違いによる区別でした。

 

 朝鮮出身者でも優秀な人は他の日本人を差し置いて出世しましたし、その出世した人を朝鮮人のくせにというような人がいたら、言った人をみんなが軽蔑するような社会でした。

 

 よく朝鮮出身者が私たちは差別されたと言っていますが、調べてみるとほとんどのケースで嘘を言ったりごまかしがばれたりして処罰されたことを差別だと言っていたようです。朝鮮民族でも優秀な人は帝国陸軍の将官にまでなっていますし、朴正煕大統領は優秀だったために満州国軍から日本帝国陸軍士官学校への編入が認められ、卒業時に優秀だったため恩賜の短剣を天皇陛下からたまわったほどです。これのどこに差別があったのでしょう?

 

 友人の呉善花先生によると韓国人は魚が新鮮かどうかも見分けがつかないと言います。だから強烈なスパイスで臭いを消し、混ぜ混ぜして食すのだと言われてびっくりした覚えがあります。

 

 これも文化の差ですが、日本人が明治維新後いち早く欧米列強に認められるのは、高い教育水準や道徳規範だけではなく、欧州よりも優れた衛生概念があったからだと言われています。

 

 それが他のアジアの国々にはありませんでした。だから伝染病が蔓延し、平均寿命も短かったのです。

 

 日本のコメディアンが笑いを取るために顔を黒く塗ったからと言って何がおかしいのでしょう?

 

 似合いもしないのに髪を金髪にしている人もいますし、一世を風靡したガングロギャルは差別の意識を持っていたのか甚だ疑問です。

 

 また、ベッキーに対してタイキックを見舞ったと女性蔑視とか差別とか騒いでいますが、今までさんざんベッキーの不倫を騒ぎ立て精神的にバッシングしていたのは一体誰でしょうか。

 

 不倫は良くないと思いますが、芸能人の不倫の謝る相手は相手の家庭であり、世間ではないと思っています。

 

 政治家は違いますよ、公人であり社会の規範となるべき立場にいる人たちですから。

 

 政治家も芸能人も有名であるから同じといつから位置づけたのでしょうか?

 

 そのまんま東も芸人の時に騒動を起こしたから後に謹慎して政治家になりましたが、もし政治家の時にあのような騒動を起こしたら芸人としても復帰できなかったでしょう。世間はそんなに甘いものではありません。

 

 ベッキーが番組の中でキックを受けることにより、いい子ちゃんキャラからの脱皮を手助けしたのかもしれません。

 

 一発のキックで禊を終わらせたかったのも知れません。その真意は不明ですが、私はあれでベッキーはバラエティタレントとしてまた復活できると思います。

 

 口では女性差別だとか言いながら、芸能人の不倫騒ぎを延々と好況の電波で垂れ流し、法的な制裁(慰謝料等)と社会的な制裁をうけさせたのですから、そろそろベッキーが今までのようにとはいかなくてもまた活躍の場を与えてもいいのではないかと思っています。

 

 そのいい転換起点になったと私は理解しており、女性虐待とか差別とか全く思いもしませんでした。

 

 差別する心があるから、差別というのかもしれません。

 

 差別が存在すると言い続けなければ困る人がいるのかもしれません。

 

 所詮お笑い番組です。フィクションであり、そこには現場での合意があります。もし、ベッキー側がタイキックされることにNGを出していたら、あれは成立しなかったはずです。

 

 それならば延々とワイドショーで流した不倫騒動の方がよっぽどたちが悪いものだと思います。

 

 前川元文科省の事務次官の出会い系バーへの出入りの方がよっぽど非難されるべき問題ですし、山尾志桜里の不倫問題の方が糾弾されるべきものだと思います。

 

 以前も書きましたが、何かケチをつけて問題を大きくし、それによってなにがしかの利益を得るという構図があるように思えてなりません。クレーマーが多くなってきたのは日本人の民度が低くなってきているのと、あまりにも無責任な発言がまかり通り世の中になってきたからではないでしょうか。

 

 以前指摘したウーマンラッシュアワーの村本の漫才のネタはそれはそれなりに風刺として通用しましたが、朝生での発言は無知と利敵行為をさらけ出しています。でも、まだ彼は自分の顔をさらけ出して批判をもろに浴びています。

 

 私が許せないのは、自分の顔も名前も出さずして、自分が気に入らないということでクレームをつける人や、ある意図があって騒ぎたてる人です。

 

 今回のダウンタウンの番組も初めの頃はよく見ていました。笑い転げていましたが、最近はその笑いが虚しく感じていたので見ていませんでした。民放の番組は見たくなければ見なければいいだけの話です。嫌な番組だったら、そのスポンサーの商品を買わないようにしたらいいだけの話です。もしそれが多くの人がそう思ったら、番組は続きませんし、スポンサーも続けられないでしょう。

 

 民放とNHKと同じように批判するのもお門違いと言えるでしょう。

 

 私は今でも次長課長の河本やホリエモンが出てきたらチャンネルを変えますし、また最近はウーマンラッシュアワーの村本が出てきたら変えます。人に言う必要はないのですが、自分のルールとして決めて、実践すればいいだけの話です。

 

 アメリカにおける黒人差別の問題をどこまで知って批判しているのでしょうか。それならばチベットやウイグルでCHINAによって行われている蛮行の方がよっぽど極悪非道であり、そちらをもっと批判すべきだと思います。

 

 取るに足らないお笑い番組を批判して何がいいのでしょうか。私には理解できませんし、理解したくもありません。