なんでもクレームを言う人へそろそろ本気で対処しよう。 | 井上政典のブログ

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 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 大阪の救急隊員がコンビニで飲み物を買って車内で飲んでいたのが気に入らない人がいたらしく、市にクレームがあったそうです。

 

 これを聞いて愕然としました。こんなに現代の日本人の社会的常識が欠落していたのかと。救急隊員だって喉が渇くし、栄養も補給しなければなりません。特に神経を張り詰めた救急患者を搬送した後などほっとする時間があってもいいはずです。

 

 以前も消防団員が休憩の合間に消防車でうどん屋さんに行ってクレームが来ていましたが、このクレーマーたちは消防団員や救急隊員のことをどう思っているのでしょう。きっとこの人と同じ精神構造を持った人が災害救助で命を懸けて救助に当たっていた自衛隊員に向かって自分たちだけが温かい飯を食ってと文句を言ったもんだから、その後冷たい食事や人が見ていないところでの食事しかできなくなってしまったのです。

 

 ただ一つの救いは、市の対応が毅然としていたこと。言葉は丁寧だったのですが、救急隊員も水分の補給が必要だときっぱりと言っていたこと。そしてネットでのクレーマーに対する抗議が多かったことがちょっとうれしく思いました。

 

 やはり日本人は捨てたものじゃない。

 

 東北大震災の前、マレーシアでのコンベンションに参加した時、香港の女性から「日本はかつての凄さが消え失せている、いったいどうしたの?」と聞かれて、「がむしゃらにもうけを追及することを良しとしなくなったんだ」と応えると怪訝そうな顔をしていたことを鮮明に覚えています。

 

 国際社会からも日本の成長が止まり、韓国の急成長が取り上げられていたころのことです。

 

 日本は終わったと誰しもが思っていました。

 

 ところが東北大震災で見せた日本人の凄さが世界の人々に衝撃を与えました。自分の被災して財産をなくしているのに、周りの人々に気を使うやさしさ、もう精神的にも肉体的にもボロボロなのに、整然と列を作って救援物資を自分たちが必要な最小分だけを貰う謙虚さなどなど。

 

 日本人の底力を内外に示したのです。

 

 震災後数日してやっと再開した老夫婦が人目もはばからずに抱き合い、そして旦那さんが奥さんを愛おしそうに肩に手を回して去っていく後姿が印象的でした。

 

 また、聞いた話ですが、震災の数日後、バラバラだった5人家族がやっと再開出来たら急にお腹が減ってきた。でも、着の身着のままで逃げてきたので、ポケットに入っていたのは300円だけでした。すると道端でリンゴが売っていたそうです。

 

 そこには1個100円と書いてあったそうです。

 

 家族は5人、それでもないよりましとそのリンゴを300円出して買おうとしたそうです。

 

 売っている人も被災者です。5人家族なのに3個のリンゴを買おうとしたのをみて、「はい1個100円だよ。1個目100円、2個で200円、3個で300円、そして続けて4個目を渡して300円、5個目を渡して300円と支払ったお金は300円なのに、そのリンゴ売りの人は300円で5個のリンゴをその家族に渡したそうです。

 

 売る人も被災者、買う人も被災者。相見互いだと思ったのでしょう。

 

 もし相手の立場が自分だったらと常に思って、相手の立場に立って行動するのが日本人です。子供を含む5人家族がやっと再開したというのはその場の雰囲気ですぐにわかるはずです。そして300円しかお金がないのもすぐにわかるはずです。そんな時に日本人なら駆け引きなどしないからです。

 

 そしてあるお金で買えるものを手に入れようとするのも東北人の誇りだと思います。

 

 売る方も、その事情が分かるから、相手のプライドを傷つけないように4個目も300円、5個目も300円と言って渡したのだと思います。

 

 この話を初めて聞いた時、そしてこうやって書いている時も胸が熱く、涙が出そうになっています。

 

 救急隊員は時給いくらだからと言って働いているのでしょうか? 

 

 月に何日勤務すれば給料がいくらで、何年働けば退職金がいくらで年金をもらえるいい仕事だと思って働いているのでしょうか?

 

 いいえそんなことはありません。

 

 彼らは救える命を一つでも救おうと現場で一所懸命になって一秒でも早く、できる限りの応急処置をして延命させようとがんばっているのです。すべての消防隊員の方々は自分の仕事に誇りと使命感を持ち、日夜過酷な勤務条件で神経を張り詰めながら任務を遂行されています。

 

 彼等もまた人間です。ちょっと喉が渇いたり、次の出動に備えて休憩も必要です。それをとやかく言う人は一体何を考えているのでしょう。クレームをつける人は自分の氏名をきちんと明記したうえでクレームをつけるべきだと思います。

 

 全くの無責任な、自分は害の及ばない安全なところにいて、気に入らないことがあると文句を言う人ほど、自分の仕事に誇りと使命感がない人だと思っています。

 

 自分の仕事に誇りと使命感を持っていたら、相手もそうだと考えるのが普通だからです。

 

 自分の仕事に埃と使命感を持っていないから、相手もそうだと考えるのでしょう。

 

 ウーマンラッシュアワーの村本も、あの論客がひしめく朝生に出演し、自分の存在感を示したかったのでしょう。墓穴を掘りました。

 

 もし女性の方で自分の旦那や彼氏が村本のようにすぐに降参して守ってくれない人だったらどうしますか。

 

 最近よく孫と遊ぶのですが、5歳の孫は昔から一緒に遊んでいるのでなんでも怖がらずにジィジが見ているよと言えば挑戦します。細菌一緒に遊ぶようになった二歳の子が新しいものを見るとビビッて怖がり泣き出します。その時にいつも言うのが、「大丈夫、ジィジが絶対に守ってあげるから」と。

 

 5歳の子供はそれを2歳ぐらいの頃から聞いているので、安心して何でも挑戦します。危ないときや人に迷惑を懸けそうなときにはすぐにダメっと言ってやめさせますから、言われるまで安心して何でも挑戦します。

 

 下の子も、あと半年もすればそうなると思います。なぜなら見守られているという安心感が自信を産みやすくするからです。

 

 これは新人をすぐに頭ごなしにしかりつける上司では人が育たず、失敗するとすぐにサポートに入る上司の下の新人の方が人材として成長します。駅伝の青山学院大学の監督がこの方法だそうです。

 

 高校ラグビーの名門校の東福岡高校の監督も厳しい中にも選手たちが自分で自分たちの課題を見つけるように指導されています。自分たちの課題を自分で見つける癖がついた選手は、試合中にすぐに自分たちで修正が可能だそうです。だから強いのです。

 

 あの村本は朝生の出演オファーを断るべきでした。せっかくのチャンスだと思って受け、存在感を出そうとして墓穴を掘ったとみています。その発言内容は10年前なら左巻きの先生たちが堂々とテレビで発言していた内容だったからです。

 

 ところが村本の発言がネットで叩きに叩かれたのは、ネットという誰もが自由に発言できる場ができたことによるものです。

 

 市議会等の地方議会で共産党の議員が力を持ち続けていました。それは議会で市役所の役人を糾弾できたからです。

 

 それは議会内だけという狭い世界で行われ、それを一般の人が知ることはめったにありませんでした。だから共産党の議員たちは問題を見つけては重箱の隅をつつくような質問を繰り返していたのです。ちょうど昨年国会でモリカケ問題が行われていたように。

 

 今までの国会だったら、野党の議員とマスコミがタッグを組んで攻撃して来たら、与党も譲歩せざるを得ませんでした。

 

 ところが昨今はネットという自由に発言できる空間が台頭し、それに同調する人が多ければ多いほど、ネットによって形成される世論が出来上がってきたのです。そこで野党は化けの皮がどんどん剥がれていきました。それに国民も気付き、もう野党やマスコミの妄言に惑わされることが減ったのです。

 

 でも、ここで問題が上記のクレーマーの問題です。誰しも発言できるようになったので、無責任な発言も増えています。それによって健全な活動が阻害され、被害を受けていることも多々生じてきました。

 

 これを阻止するために有効な手段は、堂々と氏名を公表して文句を言うことです。

 

 私もにちゃんねるでは相当悪口を書かれているようですが、まったく気にしません。なぜなら自分の名前も堂々と名乗らない卑怯者ばかりだからです。そんな人の文句なんて一瞥にも値しません。

 

 このブログにもたまに変な投稿がありますが、削除するか、注意をすると二度と来なくなります。

 

 反対意見でも礼節と論理性をもって書かれているのなら掲載します。すると私が書く前に良識のある読者からの反論が出てきます。嬉しい限りです。

 

 市や県や会社や国も自分たちが正しいと思うことは堂々と主張すべきだと思います。ノイジーマジョリティーをのさばらせておく時代は去ったのです。これは民主主義の原則に「少数意見の尊重」だということを小さいときから教え込まれ、洗脳されてきたのです。

 

 民主主義は、大多数の幸福が最初で余裕があれば少数派にも恩恵が行くように努力することだと思います。今は大多数の発言の自由が少数派の大声でかき消されてきたのです。もしそれに文句があるなら、少数派ではなく、多数派になるように努力すべきことです。

 

 ただ思いやりの気持ちを以て接するのは日本国内だけであり、それを開講交渉の場ですることは自殺行為だということをお隣の国が教えてくれています。国内と国外の使い分けをきちんとしながら対処していく年にしたいなと思っております。

 

 最初のクレーマーの人、もし自分の子供が救急隊員で日夜を問わず使命感を持って行動しても同じことを言えますか?