あけましておめでとうございます。年末年始のテレビ(特に村本)に思う。 | 井上政典のブログ

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 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 皆さん、昨年中は多大なるご声援をありがとうございました。今年も初心に帰って祖国のために私のできる精一杯のことをしたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

 年末年始はどうしてもテレビが中心となるのですが、今年の年末のテレビで出色だったのが、浅田真央ちゃんのスケートでした。キロロの生歌と共に、姉浅田舞さんに捧げるスケーティングを披露した番組です。ずっとその番組を見ていたのではなく、偶然つけたらそれが始まるところでした。

 

 演技する真央ちゃんは今まで以上に美しく、優雅で一回り大きく見えました。そして滑り終えて姉妹の写真が映し出されるのを見るその表情は今まで見た中で一番綺麗でした。まるで菩薩様を見ているようで自然に手を合わせるほどでした。年のせいで涙もろくなっているのでしょうが、目から一筋の涙が流れてきました。

 

 昨年一年間、とてもいろんなことがありましたが、良いことも悪いことも含めて私たちは歴史に立ち会っています。この瞬間の出来事が将来の教科書に載るような事件の序章かもしれないのです。そういった見方で毎日の事件を見ていると左巻きたちの空虚な言葉がとても浅く感じるのです。

 

 あれだけ紅白で前宣伝がすごかった安室奈美恵ちゃんの出演シーンもあっけなく終わり、やはり彼女はライブでその空間を一所に体験するタイプの歌手であると思いましたが、皆さんはどう感じられたのでしょうか。

 

 その後、年をまたいで今年は黒田官兵衛の奥さんゆかりの寺、円應寺に行き、三木英信導師の読経を聞きながら年を越しました。ここには大勢の方が来られ、年越しの法要の時間を過ごしました。西洋人の顔もちらほらと見えたのも面白く、声をかけてみたかったのですが、妻と一緒だったので泣く泣く断念しました。

 

 きれいな白人の若い女性が着物を着て参加していたのです。ぜひひと言教えてあげたかった、ナムアミダブツを英語に意訳すると

”Let it be” だよと。これについてはまたいつか書きますね。

 

 荘厳な気持ちになり、まっさらな気持ちになり、新たな挑戦意欲をもって新年を迎えることができました。こういう年の越し方もたまにはいいですよ。

 

 その後、車を走らせて筥崎宮へ着くとそこにはもう数千人の人が並んでいました。幸い本殿から500メートルくらいの所に停められたのです。わざわざ並んでお参りする気など毛頭ありません。横から入ってちゃんと並んでいた人の邪魔にならないように端のほうから参拝させていただきました。これについては拙著に書いていますが、ここに今年も参拝に来ることができたという感謝の念を持ち、私も頑張りますので見守ってくださいというだけのことです。

 

 友達の有名人にたくさんの人が挨拶に来ているさなかにちょっとアイコンタクトをするだけで気持ちが通じるはずです。なぜならいつもよく行っているところですから。年に一度行ったくらいで神様が覚えてくれるわけがないでしょう。だから自分の気に合った神社を見つけて普段から折に触れて行くことが大事です。できれば正式参拝をすることが神様との距離を縮めます。

 

 もちろん筥崎宮ですからお潮井があり、海砂で左右左と清めてから本殿に向かいました。これに関しても拙著に書いてありますが、福岡以外の方は見る機会がありません。福岡の神社も古事記ゆかりの神社にしかありません。

 

 そして帰ってくるとちょうど「朝まで生テレビ」が始まるところで、出演者の紹介をしていました。するとM-1の際に時事問題を入れ込んで話題になったウーマンラッシュアワーの村本が出ていたので、ちょっと悪い予感がしましたが、しょせん芸人と見ずに眠りにつきました。

 

 今朝フェイスブックのタイムラインを見ると嫌な予感は当たりました。

 

 このゲス男の村本は「日本が侵略されるということが理解できない」とか「攻めてきたら手を上げて降伏する」「尖閣にCHNAが来たら戦わずに上げる」と平気で発言していたそうです。

 

 こんな人と議論になったら私は次のようにいうでしょう;

 

 「私はあなたと同じ仕事をしたくありません。なぜならばあなたは自分のことだけを考え、自分の責任や職務を勝手には離れ、他人がそれによって窮地に立たされようとも我関せずの態度をとる人だからです。つまり、とても迷惑な人なのです。

 

 この社会はそれぞれがそれぞれの責任をそれぞれの立場で果たすからこそ成り立っており、それはまるで人間の体の細胞と同じであり、その細胞がその与えられた役目を粛々と果たすことにより私たちの命を永らえているのです。

 

 もしその細胞がその役目を自分勝手に放棄する状態をなんていうのでしょう。

 

 それはその細胞のがん化と言っても過言ではありません。自分の役割を放棄し、自分勝手に生きようとするのですが、体がそれによって成り立たなければそれによりその生命体は死を迎えるだけなのです。

 

 国家も同じであり、自分勝手に自分の職責や役目を放棄する人がたくさん増えれば国家が国家として機能しなくなるのは歴然です。

 

 だからあなたのような存在に嫌悪感を持つのです。そう言う人は名札にその主張を書いておけばいいと思います。その人の周りの人が判断すればいいだけのことです。私の周りにいれば絶対にその人に重要な役にはつけません。いざという時に困るのはみんなですから。」

 

 森本拓郎ややくみつるも同じような考えを持っていましたね。こういう人がテレビに出たり、相撲界に出入りすることでそこを汚染していると思います。

 

 日本人が尊敬できる人とは?

 

 自分の身は顧みずにその人の役割をきちんと果たす人です。だからこそ日本人に職業の貴賤はないのです。ただしその職業にその人自身が誇りを持っているというのが前提条件です。

 

 漫才師も素晴らしい職業です。笑いというのは疲れた心や頭を癒してくれます。歌手も同じです。だからこそ芸能人が浅い知識で政治や歴史を語ってほしくないのです。

 

 戦争はだれしも反対です。だからこそ戦争にならないようにしなければなりません。そのためにどうするかを一切言わずに、自分の役割を放棄すると宣言する人が大勢いる国は一体どうなるのでしょうか。そんな国ほど侵略国にとっては攻めやすい国だと思わないのでしょうか。

 

 強固な団結は旺盛な士気から生まれ、その旺盛な士気は厳正な規律から生まれる。さらにその厳正な規律は強固な団結を作り出すの

です。こういう軍隊は無敵です。

 

 無敵というのは敵がいないことなのです。敵がそんな強い軍隊と戦争したくないと思わせることが必要なのです。

 

 元寇ゆかりの筥崎宮の楼門には「敵国降伏」の扁額がかかっています。それは武力によって敵国を屈服させるのではなく、徳によって相手に攻める気をなくさせるという意味です。どんな力自慢のチンピラでも、相撲取りやプロレスラーに喧嘩を売るばかはいないはずです。

 

 無敵となって戦争を回避させるためには、国民が蟻の子一匹侵略させないという強い防衛意識によって生み出されるものです。

 

 それが理解できない人たちと一緒のコミュニティーにはいたくありませんね。

 

 だから自衛隊は一刻も早く国軍となり、してはいけないリストによって行動する普通の国の軍隊になるべきです。今のようにしていいことだけを法律で書いてあるような自衛隊では六法全書を片手に戦をしなければならないのです。こんなバカなことはありません。

 

 もし日本軍が普通の国の軍隊と同じようになれば誰も怖くて近寄りません。それによって日本国民は戦争から遠ざけることができるのです。今年はそれができるようにしたいと思っています。