熊本市議が乳飲み子を連れて議場に入り、議場を混乱させました。この熊本市議は出産後の女性の働く環境を考えてほしいと言っていますが、何たる勘違いでしょうか。
熊本市議は公務員特別職でそれなりのというか1000万近い議員報酬が得られます。そのお金で我が子を預けるなり、親に見てもらうなりして議場に挑むべきです。
もし、熊本市議会がボランティアの集まりで、報酬も交通費程度暗いかないのならそれもありかもしれません。しかし、一般の平均年収を大幅に上回る歳費を貰いながらこの主張はないだろうと思うのは私だけでしょうか。
さらに市議会には厳格なそれぞれが順守すべき規則があり、それに従うべき立場の人です。その規則も守れないで法律がその通りに施行されているのかチェックする役割の議員がそれを破るのはどうでしょう。
子供を産み育てるのは大変です。昨日も孫を二人動物園に連れていきました。五歳と二歳の二人ですが、いろいろと大変ですが、その可愛さにすべて帳消しされてその喜ぶ笑顔を見たさに次はどこに連れていこうかと思うじじバカぶりです。
ただ甘えかすばかりではいけないために、私が心がけているのは危険な時と人様に迷惑をかける時は真剣に怒るようにしています。
そうやって少しずつ自分の身を守りながら社会との接点を深めていってほしいと思います。
この熊本市議にはそういう子供に対する矜持があるのでしょうか?
ただ自分のイデオロギーを優先しているだけにしか見えません。そこで大きくなった子供は一体どんな人生を歩むのでしょうか。こういう市議を選んだ熊本市民もそして議場に連れていかれた子供もかわいそうだと思います。
何でもかんでも主張し、声が大きい方の意見が通る世の中というのはおかしいと思います。してはならないものは法律にかかれているかどうか全く関係なしにしなかったのが日本人です。たとえ気づかずにやったとしても注意されれば失礼しましたと潔く反省する民族だと思っていましたが、最近はどうも違うようです。
どちらが住みやすいでしょうか?
一人一人が周囲に気を使い、迷惑にならないように心がける社会と、自己の主張を繰り返し自分の思い通りにならなかったカメラの前で涙を流して世の中の同情を得ようとする人が多くなった社会と。
横綱白鳳が一人横綱で気勢を吐いているのはいいのですが、先日の前代未聞の物言いには呆れました。
相撲協会の凄いところは、白鳳が物言いを行っている間行司も審判員も誰も動じず、自分の役割をしっかり果たしていたことです。
それにより、元来頭のいい白鳳は自分の立場がまずいと気付いて土俵に上がりました。立ち合いでの待ったを行司が認めなかったのが原因のようですが、認めるか認めないかは行司の専権事項であり、「ノコッタ」と言われた時点で立ち合いが成立し、取り組みが始まっているのです。
行司は懐に短剣を持っています。行司の軍配を刺し違えればその短剣で自決するためと言われています。それほどの覚悟で取り組みをさばいている行事の判断に審判員すべてが従うのが当たり前です。相撲協会は淡々とそれを実行しました。
あれほど白鳳が滑稽で驕っている存在に見えたことはありません。角界内部から白鳳に対する批判をよく耳にします。でも、不祥事で天皇賜杯を貰えなかったときに、流した涙は大勢のファンの心をつかんだと思います。私もその一人です。でも、最近はめっきりその威厳がなくなってきています。
もし、これが千代の富士だったらとか北の湖だったらと思うと相撲ファンとして残念でたまりません。
私の応援する横綱稀勢の里が一日も早くけがを治して気迫ある取り組みが見たいと思っています。また大関高安も強いときと負ける時の差が大きすぎてまたそれが大関の魅力ですが、気の優しさが勝負に影響しないようにしてほしいと思っています。千秋楽のパーティに出席して二人に激励の言葉を懸けようと思っています。田子ノ浦部屋のパーティに出席されたい方はメッセージをお寄せください。いまなら13,000円(当日券15,000円)で参加できます。
日本文化は正しいか正しくないかという判断基準では物事が動いていません。
美しいかどうかで決まります。
もし横綱白鳳が淡々とその結果を受け入れて潔く花道を下がっていったら、人々は「いまのはおかしいぞ。横綱は待ったをしていたじゃないか」と行司を責めたことでしょう。そこには勝ち以上に大きなものがあったはずです。
あの土俵下で物言いをする白鳳の姿は美しくありませんでした。
乳飲み子を抱えて議員の戦場である議場に入る熊本市議の姿は美しかったでしょうか。私には醜さしか見えませんでした。