知識人と思われる人のコメントに反論します。 | 井上政典のブログ

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 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 土日続けてダブルヘッダーをこなして久し振りに自宅でくつろいでいます。

 

 土曜日はイスラエルのホロコースト記念館(ヤドヴァシュム)の元副部長ミナヤンコ女史の講演会を西南大学のコミュニティーセンターで行い、私はいつものように司会進行の役を仰せつかっておりました。

 

 その後、飯塚に走り宅建協会が主催する講演会の講師として一時間半ほど福岡と筑豊の神社のことについて楽しく講演をさせてていただきました。

 

 日曜日は早朝から有田小学校校区の餅つきに参加し、日ごろの運動不足が祟って、今手や肩や腰が痛いです。そして夕方からはお仏壇の長谷川相談役の喜寿の祝いの席に体の節々の痛みに耐えながら出席してきました。ただ、始まるといろんな方々とお話ができてとても楽しい時間を過ごせましたし、なんせ大尊敬し、お世話になっている長谷川裕一氏の喜寿の祝いに3回目にしてやっと出席できることができて光栄でした。

 

 今の私があるのは長谷川裕一氏のお導きがあってのこと、そして人のご紹介いただくときに「私の弟分だ」と言っていただくことが何よりも嬉しくてたまりません。

 

 愛国的な言動を常に発信していると兄貴分や弟分が増えてくるのですが、この長谷川裕一氏は長兄であることは間違いありません。

 

 

 さてここから今日の本文です。

 

 先日の記事に関して次のようなコメントが寄せられました。

 

過則勿憚改さんからのコメントです。

 

>>>引用開始

> 基本的は、自国を誇りに思えない人や愛国心の無い人は世界の常識では尊敬の対象ではなく、自分の国も愛せないくだらない人と思われてもおかしくありません。

これは必ずしもそうとは言えないでしょう
ジミ・ヘンドリックスは「国家を愛するな、地球を愛せ」と言いましたし、アインシュタインは「愛国心とは小児病だ、国家のハシカだ」と言いました
他にも挙げればこういった例は沢山あります
自分の都合のいい範囲の「世界」だけしか見ようとしないようでは博愛も思いやりも自己評価、自己満足の域を出ることはないでしょう
そういう無邪気で素朴な偏狭さはそれが悪意からでなくとも排他に陥りがちです
自戒されることをお勧めします

 

>>>引用終わり

 

 まずこのハンドルネームの「過則勿憚改」ですが、読み下し分は「過ちて改めることを憚ること勿れ」で論語の一節です。

 

 あの上杉鷹山が好んでいたとも聞いています。このハンドルネームから推察しても知識人の一人と思われます。

 

 ただ、それが日本の知識人と呼ばれる人の陥りやすい欠点をもろに兼ね備えておられます。

 

 それは「木を見て森を見ず」ということです。

 

 私の記事の中の「基本的は、自国を誇りに思えない人や愛国心の無い人は世界の常識では尊敬の対象ではなく、自分の国も愛せないくだらない人と思われてもおかしくありません。」という部分に反応されていますが、私はこういう反論が来るのを考えて「基本的には」とわざわざ断っています。

 

 それにもかかわらず、ここに反応されています。基本的にはと書いた文章に裏には「例外もありますが」という意味が含まれるのをご存知ないのでしょうか?

 

 いやそうではありません。論語の一節をハンドルネームにされるくらいです。教養はあると思われます。

 

 ジミーヘンドリックスやアインシュタインの言葉を引用されて反論されていますが、その二人の時代的背景や人生を知っておられるのか甚だ疑問です。これが「木を見て森を見ず」と言わざるを得ないゆえんです。

 

 ジミーヘンドリックスは音楽特にギターをされる方なら神様と称される天才ギタリストです。

 

 ぜひウキペディアでこの人のことを検索してみてください。

 

 1942年に生まれ、1970年に亡くっています。享年27歳という若さですが、今では伝説となっています。

 

 その時代にアメリカで黒人がどのような人生を過ごしたかをちょっとでも知識のある人ならわかりそうなものです。

 

 1955年に起こったバスボイコット事件で頭角をあわらしたキング牧師は、黒人の公民権運動を文字通り命を懸けて闘い、そして1968年に暗殺されました。その時代とまるっきり被るこの黒人ギタリストが自分の国に対して大きな不信感を特に持っていた時代だとわかるでしょう。

 

 そういうジミーヘンドリックスが放った言葉が「国家を愛するな、地球を愛せ」です。

 

 彼が世に出るきっかけとなったのは祖国アメリカではなく、イギリスだったこともちょっと調べればわかるはず。

 

 アインシュタインに関しては、あまりにも有名な人なので皆さんもこの人がどんな人生を歩んだかはご存知でしょう。

 

 ユダヤ人でドイツに生まれ、途中からナチスドイツの興隆によって人生が大きく変化を余儀なくされ、最後はイスラエルの建国に尽力しますが、アメリカで亡くなります。

 

 もし、ナチスドイツがユダヤ人の抹殺計画を遂行しなかったら、アインシュタインはドイツ人のまま終わっていたかもしれません。でも、祖国を追われ、同朋がたくさん祖国だと思っていたところで殺されたのです。

 

 その人が言った言葉が「愛国心とは小児病だ、国家のハシカだ」です。

 

 過則勿憚改さんが引用した言葉の背景を少しでも知っていれば、私のブログの反論にならないということがわかるはずです。

 

 でも、過則勿憚改さんは知識人と思われます。

 

 つまり自分の知識が正しいと思い込んでおられ、寛容の精神で人の意見を聞けない人なのでしょうか?また日本における知識人と言われる人の多くは、私の文章のように「日本は素晴らしい」というような内容に過剰に反応されます。

 

 ここからは想像ですが、こういう日本の知識人と言われる人の多くは「日本国憲法は素晴らしい」と思い込んでいる人が数多くみられます。学校で軍事のことや安全保障の事、さらに真実の歴史を教えてもらえなかったので、自分で学んだことのある人以外の知識人と呼ばれる人たちは誤った固定概念に凝り固まっているのです。

 

 私は素晴らしい言葉を聞くとその背景を調べずにはおれません。なぜなら人の心を打つ言葉はその人の人生が反映されるからです。

 

 ジミーヘンドリックスは麻薬により命を縮めたと言われています。天はいたずらのように彼にギターの天賦の才能を授けましたが、それによってもたらす人生の変化に対処できる知恵まで授けませんでした。とても残念なことです。

 

 アインシュタインは世界一流の理論物理学者としていろんなところで大歓迎を受けています。アメリカでも地位を得て、イスラエル建国に大いに貢献しています。

 

 でも、やはり生まれ故郷で、祖国で死に葬られることを望んでいなかったのでしょうか? 

 

 そう思う私は日本人的な発想なのでしょうか?

 

 私の祖国である日本は私を裏切りません。努力すればそれに応じた対価や尊敬が得られます。

 

 出自や肌の色で差別されないお国柄です。

 

 王貞治選手を尊敬しない野球人はいないでしょう。また国民栄誉賞に異論をはさむ人はいないでしょう。でも王さんは台湾籍という外国人です。それにマイナスの反応をする人はとても少ないと思います。ほとんどがそんなことを気にしないと思います。

 

 それは王さんの業績、野球に対する真摯な姿勢や哲学などを知れば知るほど尊敬という言葉しか返ってこないからです。

 

 私の友人で拓殖大学の教授の呉善花先生がおられます。彼女は朝鮮系日本人です。豊富な知識と鋭い視点で日韓問題を洞察する魅力に嵌っています。彼女が元韓国人だから信用できませんか?そんなことはないと思います。いまでは国会に散見される変な日本人よりも日本人らしい日本人です。だから財界の大物や政治家が数多く師事しているのです。

 

 そういう素晴らしい人や物は受け入れるという日本って凄くありません?

 

 そのおかげで日本という大陸の端っこに位置する島国が世界の国のどの国の歴史よりも長く平和な期間を持ち、豊富な人材に恵まれ、国民の高い民度によって清潔で安全で正直者が普通に生きられる稀有な国家を作り上げているのです。

 

 だから先の大戦でも数多くの人たちが「背私向公」の精神で国家のために命を捧げられたのだと私は理解しています。その方々も家族もあり私欲もあったのです。でも、それは日本という国家が存在しているから享受できるもので、日本という国家が滅亡すれば今まで営々と築いてきた文化や伝統や歴史が一瞬のうちに消え失せるのです。

 

 だから先人は先の戦争を終結するときに、國體の維持、つまり皇室だけは死守しようとしました。その約束が得られたので戦争を終結させたのです。これは終戦の詔にはっきりと明記されています。

 

 敗戦後、今までの価値観がごろっと変えられるような教育や風潮が世を蔽います。

 

 それでもご皇室という日本人の精神的支柱が存在しているために、私や私の仲間のような市井でコツコツと日本のために活動する人たちが全国に存在できているのです。その人たちの多くは何の見返りも求めていません。みんなが知識を持っているのかというとそうではありません。

 

 この知識人と思われる過則勿憚改さんのような知識の量ほど持ち合わせていないかもしれません。

 

 でも、背骨に日本精神という凛としたものが流れているので、すべての行動が矛盾していません。

 

 この知識人と思われる過則勿憚改さんのようにちょっと別角度で切り込めばすぐに馬脚を現すようなことはありません。

 

 真の知識は真の精神の上に立脚するものが本物であると思っております。

 

 自分の国を信じることのできる幸せをかみしめながら、日本人として恥ずかしくない態度でこれからも生活をしていきたいと思っております。