土日と盟友アジアプランの永嶋氏、福岡県郷友連盟の稲葉氏そして私の三人で企画した「中村艦長と行く呉・江田島の旅」に行ってきました。
中村艦長は元潜水艦「あらしお」の艦長で、米軍の原子力潜水艦と模擬戦をした時に20戦18勝一敗一分けという見事な戦績を持つ伝説の潜水艦乗りです。
もともと海上自衛隊の中でも5%くらいしかいない潜水艦乗りで、呉や佐世保ならともかく福岡近辺にはあまり住んでおられず、また潜水艦の特異性もあり、現役の方は秘密保持のためにお話を聞くこともないため、その他の自衛隊の職種の方々とはお付き合いがあっても潜水艦乗りにはなかなか遭遇できないのが普通です。
でも、中村秀樹氏という伝説の艦長にご縁で知り合いとなり、このような企画を催したところ30人ほどの方々が参集いただき、土日で行ってきました。
永嶋氏が主催するシニア大学講座で10回ほどに渡って中村艦長のお話を聞いていたのですが、鉄のくじら館という実際の潜水艦の中で聞く話は格別でした。
30人ですから3班に分けて呉に展示されている潜水艦を案内してもらいました。
それに先立って福岡から呉に行くまでのバスの中で潜水艦に関するよもやま話を聞きながら下準備をして大和ミュージアムと鉄のくじら館に行くのです。その深い内容は推して知るべしです。
大和ミュージアムでは3班目を率いる私が戦艦大和についての解説をさせていただきました。私もこの大和ミュージアムに行くのは初めてでしたが、10分の1の戦艦大和に対面できて感激ひとしおでした。
これが70数年前に作られていたとは、日本の当時の造船技術の高さに驚き、このような巨大なものを造れる有色人種である日本人が当時の世界を支配していた白人からは脅威だったということがわかります。
だからこそ、戦後日本人を骨抜きにするために日本国憲法を押し付け、日教組による自虐史観を植え付け、核家族を推進し、日本の家族制度を破壊したのかと改めて認識したのであります。
当時の技術が現在に繋がり、例えば大和の中でも一番頑丈な部分である砲塔を作る技術はいまでも日本製鋼所室蘭で作られる原子炉格納容器に受け継がれ、世界のシェアの9割を占めており、北海道の原子力発電所が止っているためになかなか生産が進まず、生産が受注に追いついていないのが現実です。
球状船首という言われる波を静める効果のある船首の形態は現在の船にはすべてついています。
そしてなによりその姿の優雅な美しさが何も歴史を知らない人々を魅了し、その数奇な運命をたどったこの戦艦にまた人を引き付ける魅力を感じさせるのです。
もしまだ行かれたことのない方はぜひ呉市の大和ミュージアムに行かれることをお勧めします。
ただ、ここで一つ残念なことがありました。
戦艦大和が最後の出航する際に士官室に飾ってあった絵がここにも展示されています。宗像出身の中村研一画伯の「みほの関」という絵です。
なぜここに残っているのかというと出航前に艦長が横山大観の「富嶽」とともに艦からおろしたのです。
なぜそれらを降ろしたのかは今となっては想像でしか知る由もありませんが、「芸術品である絵画は人々に鑑賞されることによってその価値がある、これを降ろすことにより後世の人たちがこの絵を鑑賞し、この絵の代わりに亡くなった三千余名の人々のことを語り継いでほしい」という願いがあったのではないかと私は思っています。
つまり個の中村研一画伯のこの絵は、大和と共に海に沈んだ先人たちの墓標であると私は考えているのです。そしてこの絵を見ることにより散華された先人たちに感謝をし、遺徳を偲び、そして英霊の方々が守ろうとされた祖国を大切にする誓いを立てることだと思っています。
そのつもりでミュージアムに行ったのですが、10分の1の戦艦大和に圧倒され、人間魚雷「回天」やゼロ戦62型などを見ているうちにすっかり忘れてしまいました。それでも出口に行く途中に思い出し、案内の人にどこにあるかを尋ねると意外や意外、その人たちはご存知なかったのです。
それで受付の女性に尋ねるとベテランの女性がニコッと笑って案内してくれました。
するとその絵はいろんな展示品の片隅にひっそりと展示されていました。その展示品が海中から引き揚げたものなどで存在感が強すぎるためにせっかくの絵が埋もれているのです。
先ほど尋ねて知らないといった案内人の人たちもあわててきて、私の説明を聞いておられました。
戦艦大和は美しい軍艦です。巨大で強力な戦艦です。
でもそこにはたくさんの人間が乗り組み、それぞれの役割を果たしていたためにこの戦艦が動いていたのです。つまりこの戦艦大和は機械ですが、そこにはたくさんの人の命も乗り組んでいたのです。
その命に目を向けないで何が「平和」なのでしょう。
その命に目を向けないで何が「憲法」なのでしょう。
その命に目を向けないで何が「国防」なのでしょう。
絵自体は戦艦大和の士官室に飾られていたということは、士官の人たちの一時の休息の場を和ませ、故郷を思い起こさせるものですから、どちらかというと地味な絵です。
だからこそ部下の命を預かるという大切な激務で心身ともに疲れた士官たちがほっとすることのできる安らぎを提供していたのではないでしょうか。
勇ましい他の展示物からはちょっとかけ離れた地味な絵かもしれません。
でもそこには艦長が自分と共に死出の旅に出る乗員のことを後世に伝えるために降ろした一枚の絵なのです。そのメッセージをどう受け止め、そして後に伝えるかが後世の私たちの役割だと思います。
私と私と一緒にいた方々はしっかりとその絵に込められたメッセージをまごころで受け止めさせていただきました。
軍人は戦争が好きなのでしょうか?
戦うことをしたくてたまらないのでしょうか?
私は決してそうではないと思っています。自分が取り扱っている兵器がどれだけの威力があるのかを一番わかっているのは軍人です。相手に向けた時はもちろんの事、自分のそれが向けられた時の恐怖を現実的にわかるのは軍人だけです。
だからこそ軍備を整えることが近くの狂人国家に対する壁となり、国民の命を守ることに通じるのです。
憲法9条の御題目だけでは国民の生命財産などこれっぽっちも守れません。
竹島は韓国に不法占拠されています。
大勢の同胞が北朝鮮に拉致されて、自由を奪われ、家族はそのだんらんの時を40年以上にわたって奪われているではありませんか。
トランプ大統領が拉致被害者の家族の方々に面会し、その悲惨な現状を憂いてくれることは大歓迎ですが、40年間も何もできなかった日本国が歯がゆくてたまりません。それは何もしてこなかった私たちの責任です。
今がそれを打開する大きな局面に来ています。憲法を改正し、北朝鮮に拉致されている人たちを自衛隊を使ってでも救出できるようにしなければなりません。
それでも米軍の助けなしには今のところできないと思います。だからアメリカ追従や親米ポチと言われてもかまいません。私たちの切なる願いは北朝鮮に拉致されている同胞を一刻も早く家族の下に帰すことですから。
トランプ大統領は日本は武士の国だからと数回にわたって発言していました。
その通りだったのですが、現在は骨抜きにされています。でも、私たちのDNAの中には武人の魂が入っています。それをこのような巨大な戦艦大和の模型や戦闘機や人間魚雷の実物を見ることによって呼び覚ますのです。
私は安倍総理がトランプ大統領と仲良くするのは大歓迎です。
それに異を唱える方は、習近平主席と仲良くしたり、文大統領と親しく語らう姿を見ることを歓迎するのでしょうか。
私たちが選んだ総理大臣が誰と仲良くすれば、拉致被害者が帰ってこれるのか、どう付き合っていけば日本国民がこれまでのように安全で平安に暮らしていけるのかを真剣に考えてください。
そこにはイデオロギーなどが介在する余地があるでしょうか、同朋を救出するのに。
このような観点から見れば、野党のモリカケ問題を追及するという主張が空虚に見えてしょうがないのは私だけでしょうか。
江田島の歴史資料館で見た特攻隊の遺書に「忠孝一致」という言葉が飛び込んできました。
国難に際し、自分の命を懸けて闘うことが国に対し、そして親に対しての恩返しとなるという考え方です。
ぜひこの意味について考えてみましょう。それが日本人って何という永遠のテーマに対する答えになるかもしれません。