小田原市福祉健康部生活保護支援課の有志で制作していたジャンパーの文言が不適切だと指摘(ちくり)があり、市当局が謝罪、今後このジャンパーを使用しない旨の記者会見を開き話題になっています。
SHAT(生活保護悪チーム)の頭文字を背中につけて、悪の字を斜めに線で切った小粋なエンブレムを胸につけてのジャンパーです。
そのエンブレムの中に「hogo namenna」という文字が入っていることや、英語で「不正受給をする人はカスと呼ぶ」と入っているから不適切だそうですが、この英語を読める日本人はどれだけいるのでしょうか。
DREGという英語の意味を知っていた人はこのブログを読んでいる人でどれくらいでしょう?私も一応英会話はできる方ですが、恥ずかしながら知りませんでした。
よくfour letter word(わいせつな言葉の意味)のひとつなのでしょうか?
小田原市の職員は以前生活保護を打ち切った老人に杖で殴られ、カッターナイフで切り付けられた事件をきっかけに部内の士気を高めるためにこのジャンパーを自費(一着4400円)で作ったそうです。
その文言は英語で書かれており、不正受給をする人を非難していますが、これは至極当たり前のことです。
生活保護を支援する課の人間が不正受給者を見抜き、防ぐというのは当たり前のことであり、これが生活保護を受けている人に不快感を与えたということがないから、10年以上もこのジャンパーを使用してきたということではないでしょうか。
「不正受給者は「カス」だ」という意味が、マスコミによっていつの間にか「生活保護受給者はカス」と言っているように印象操作されているように思えます。
この人たちは自分の職務を忠実にしているだけであり、逆に不正受給者に対してこんなに厳しくしてくれているのかと思うと拍手をしたいほどです。
ある政党の市議がごり押しで押してくると仕方なく許可をするようなことが日常にどこの役所でも行われています。その政党はそれをうりにして選挙で票を集めています。
そしていつの間にかそれが外国人への支給にもつながっているのです。
生活に困り、どうしても公的扶助を受けなければならない日本人は憲法の保障する最低限度の文化的生活を営むことができます。
困って生活保護を受けている人をさげすみの目で見たり、軽蔑するような行為をとる人は普通の日本人にはいないと思います。
憐憫の情が湧いてきて、何とか力になってあげたいと思うのが普通でしょう。
ただ、どうしても困った人ではなく、もらわな損だというように気分で不正に受給している人がいるから問題にしているのです。
在日外国人でも、日本で一所懸命に努力したけど体を壊して働けなくなって仕方なしにお願いしたというような理由ならば、それは武士の情けで認めるのもやぶさかではないのですが、芸人河本のようにもらえるものは貰わな損というような考え方で外国人が本来ならば受給資格がないにもかかわらず、もらっているのは許せないのです。
私は生活保護を貰っている人が悪いなどとは全く思っていません。それほど苦労されてきて運悪く生活に事欠くようになられたのですから、困った人をみんなで助けるのは当たり前だし、私も将来そうなるかもしれません。
でも、息子が売れっ子の芸人や舛添のように政治家でタレントだったので高収入にもかかわらず、生活保護を受給するのはどうかと思っています。
それでも不正受給する人は全体の数%だから少ないという人もいますが、私たちの税金で支えているのですから、ゼロが当たり前のはずです。
市職員も生活保護の係の部署は人気がなく、職員の士気もとても低いと今日のテレビで言っていました。でも、その中で不正受給は許さないと強い決意を以て職務にあたっている人たちを非難するのはどうでしょう。
もし、日本語でその文言が書いてあるのなら傷つく人も出てくるかもしれません。でも、不正受給者にとっては抑止効果になったのではと思います。
ましてや英語で「DREG」と書いてあっても何のことか日本人にはわかりません。
これはトランプ氏の「不法移民」を問題にした発言をすべての「移民」を問題にしているかのように置き換えているのと同じ手口ではないでしょうか。
不正受給者を「悪」や「かす」と言って何が悪いのでしょうか。
受給者ではありません。不正な受給者です、つまり詐欺をはたらいている犯罪者です。
まじめにコツコツと働き、一所懸命に税金を納めている人に不正直な人が存在することは日本社会の破壊と同じことだと思います。
日本の社会は「相互信頼」で成り立っています。だから、売掛、買掛の勘定項目があるのです。CHINAやKOREA人にお金は後でいいよと言ったら、ほとんど払ってくれないと言います。
お互いが仲間を信じ、御上を信じる社会だからこそ日本は安定した社会となっているのです。
この問題がやる気ある職員の芽を摘むのではなく、不正受給を全国のどの自治体でも見直すという動きになってくれればいいと思っております。