正しい日本の歴史を見直そう その2 日本の軍人と他国の軍人の違い | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 同じ軍人と言っても日本とその他の国々の軍隊では大きく違います。

 しかし、軍人はどこでもいっしょという概念だけが独り歩きしているように思えてなりません。

 左巻きの「戦争=悪」 「軍人=悪人」には実際歴史を学んでいるものとしてうんざりします。

 というのは、軍人=武人に対しての日本の特徴があることを誰も指摘しないからです。

 戦後アメリカから押し付けられた日本国憲法にはシビリアンコントロール(文民統制)という言葉が出てきます。

 これは日本にはそぐわない言葉です。

 なぜなら、鎌倉時代から700年以上にわたって武士が統治する国が日本だったからです。

 今で言うなら、軍人が政治を執っている軍事政権です。

 戦後の教育を受けた人なら、「軍事政権」というだけで何やらあぶなかしいもののように感じるでしょう。

 実際アフリカなどの軍事政権はライフルで平気で人を殺し、略奪し、民族浄化と称し虐殺をしたり、人民解放軍や武装警察はチベットやウイグルで治安維持という名目で日々あたりまえのように人を殺しています。

 そのイメージで見ると軍事政権は民主主義(シビリアンコントロール)に反する悪いものだという見方が強くあります。

 しかし、日本の武士による統治は酷いものだったのでしょうか?

 「武士」という言葉から何を連想しますか?

 普通の日本人に「武士」という言葉に対して悪いイメージを持っている人はいないと思います。

 なぜなら武士は自分を律し、主君に忠誠を尽くす人というイメージが強くありませんか?

 実際、武士階級で好んで信仰されたのが禅宗です。

 加藤清正の日蓮宗や黒田官兵衛のキリスト教など例外はたくさんありますが、武士が権力を持っていてもそれを乱用することはありませんでした。

 黒田官兵衛は家訓として;

 「罰に三罰あり、神罰・君罰・民罰。
  神罰は神様に許しを請い、自分の行いを悔い改め一心不乱に祈れば神様は許してくれる。
  君罰は上司に許しを請い、自分の行いを正し、一心不乱に奉公すれば上司は許してくれる。
  しかし、民罰という民を怒らせると国を失うこととなる。
  
 よって三罰の内で一番恐ろしいのは民罰である」

 と説いています。
 
 当時の大名は軍の最高指揮官であり、またその地方の首長だったのです。

 軍政と民政の両方をバランスを考えて治めなければ、強い軍隊は持てませんでした。
 
 だから、あの戦の天才と言われた上杉謙信公でも農繁期には兵を起こせず、地理的なもの、謙信公の政治信条も相まって天下を進んで取りに行くことはありませんでした。

 織田信長や豊臣秀吉は、流通経済が理解できており、貨幣によって兵隊を養うというこれまでにない軍の制度を敷いたのでいつでも軍を動かすことができました。

 それは、他国の戦の準備できていない時に、急襲できるという軍事上優勢な体制を自分の都合で作ることができたのです。

 そしてそれは新兵器鉄砲というものが入ってきたことが大きなものを占めます。

 それまでもそうですが、鉄砲が入ってきてからはなおさらアウトレンジの戦いが主であり、刀で切りあうという合戦はほとんどありません。

 あれは、アングロサクソンの戦いを映画やテレビの制作者が思いこみで作ったものが常識化されているだけです。

 そこには鉄砲を一発発射すると次に撃つまでに相当な時間がかかるという固定観念がみなさんの頭の中にあると思います。

 でも、実戦で一発撃ったあとに一分以上もかかっていたら、兵器として使い物になりません。

 日本人は工夫が上手な民族です。外国からもたらされた鉄砲をあっという間に改良し、実践に使えるように改造します。
 
 「早合」という玉と弾薬を一緒にして装てんしやすくしています。
 
 これは八重の桜の時に準備している早合が映っていました。

 今では20秒から熟練者で15秒というのが軍事のわかる歴史研究家の間では常識となっています。

 いつものように話が本題から大きくそれています、ちょっと戻します。

 CHINAや朝鮮と比べてみましょう。

 日本も汎用性が高いということで大陸の様々な制度を採り入れます。

 漢字もしかり、統治制度もしかりです。

 漢字もその後いろんな形で日本国内で発達し、「国字」と呼ばれる日本で発明された漢字が現在多量に使われているのはご存知でしょう。

 朝鮮が高度の文化を日本に伝えたという割には、朝鮮で作られた漢字を私は全く知らないのですが、どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?
 
 中華人民共和国の国名の中華を除く字はすべて日本で作られた感じです。

 王朝の制度も取り入れましたが、宦官(かんがん)と呼ばれる非人道的な制度は日本は取り入れませんでした。

 これは宮中で使える内監(ないかん)は、すべて去勢(男根を切ってしまう施術)を受けた人でなければなりませんでしたが、日本は受け入れていません。

 家族制度も中韓では自分から見て上下左右九属まで家族(総勢5千名を超える)というのに対し、日本はみなさんもご存知のようにはるか小さい集団を家族と称しています。

 そして平安時代までは中央集権国家でしたが、外交と貿易は遠の都と言われた太宰府で行っていました。

 百官などはほとんど中韓と同じでした。

 そして貴族の中から源氏や平家などの武家が生まれ、土着の武士たちの統領として力を持っていくのです。

 そして中韓と決定的に違ってくるのが鎌倉時代からなのです。
 
 守護地頭によって各地方が治められます。

 その時に生まれた言葉が「一所懸命」なのです。

 自分の所領を命を懸けて護るという鎌倉武士の心意気を表した言葉なのです。
 
 でも、最近は何をどう守るかあいまいの「一生懸命」という言葉を使う人が多くなっていますが、私へのメールやメッセージにこれを書くとどんな人でも必ず「一所懸命」が本当の日本語ですと言うようにしています。

 こういう言葉から、尖閣や竹島などを命を懸けて護るという気持ちが失せていくのです。だから私は講演でも必ず「一所懸命」を使ってくださいとお願いしています。

 それが私ができる国土防衛の一つです。

 また逸れました。

 鎌倉時代に日本は「地方分権」になっていったのです。
 
 だから、どの地方にも素晴らしい文化や習慣が根付いています。もちろん都には雅な気風が漂っていますが、その地方なりの高い文化レベルが日本各地に存在するのはこういう理由からなのです。

 ヨーロッパでも同じことが言えます。
 
 ちょっと調べてみたらすぐにその理由がわかります。それはそこが国家だったりするのです。イタリアもちょっと前までたくさんの国に分かれていました。

 今の統一国家になったはほんの百年ほど前です。それでもローマ市内にバチカン市国があったり、世界最古の共和国であるサンマリノ共和国が存在します。

 時代によって所属する国が違うところなどざらにあるのです。

 CHINAなど元や清は異民族であり、横にスリットは行ったチャイナドレスは満州族の正装であり、漢民族のものではありません。

 そして日本は江戸時代でその地方分権が発達します。

 福岡県でも黒田藩(筑前)、小笠原藩(豊前)、有馬藩(筑後)と三つの藩が存在していました。そのため、いろんな習慣や言葉が藩が違うと変わっていったり、そこの昔からの住人には他藩のことをよくいう人はめったにいません。
 
 でも、地方分権のままでは押し寄せてくる欧米列強に対抗できないと明治維新で中央集権国家にするのですが、150年以上たった今でも地方には地方の文化が色濃く残っています。

 地方創生と言っていますが、この歴史的な背景を無視しても何も根付かないでしょう。

 長い間武士階級によって統治されていた日本では、軍人が自分を律しながら美しい生き方をすることに違和感はなかったのです。

 ただ、先の大戦に負けてしまったために、軍人=悪人のように思いこまされているだけです。

 だから左巻きの表面だけを勉強した自称知識人たちが「右傾化」・「軍国主義復活」とか言って騒いでいますが、日本はもともと武人によって潔い統治をされていたお国柄だということを思い出さねばならないと思います。

 第一次大戦後、宇垣軍縮でたくさんの有能な将校が勇退させられました。もしあの時の人たちが残っていたら、先の大戦はあれほどみじめな負け方をせずに、ちょうどいいところで手打ちができたのではないかと思います。

 そして大東亜戦争後、軍隊を軽んじてきた日本がその独立を危うくする事態が近い将来くるように思えてならないのです。

 自衛隊の隊員の方々のほとんどは素晴らしい方ばかりです。

 自分の使命に命を懸けて黙々と遂行されているのです。あの二つの大震災の時にその実力が発揮され、多くの国民が知るところとなりました。

 もう少し、自衛隊の日々の訓練や活動を知ったら国の防衛に軍備が必要だ、そして手かせ足かせをしている憲法9条というものがいかに日本の国益を害しているかがわかると思います。

 このように軍人の質は中韓をはじめとするとする各国の軍隊とは大きく違うのです。

 それを正しく認識することも、今後の歴史を作っていくうえでも大切なことだと思います。