箱根学生駅伝も、青山学院大学の劇的な優勝によって幕を閉じました。
悲喜こもごもの表情を見るたびに、年を取ったせいなのか、世の中の酸いも甘いも噛み分けてきたためなのか、涙腺が緩くなっている自分に気づきます。
朝のシューイチという番組に優勝した青山学院大学のメンバーが出演していました。
ご覧になった方も多いと思いますが、その中から一つ。
中継にあたったアナウンサーに何が一番印象に残ったかという質問に対し、「笑顔でタスキを渡したシーン」と答えたのです。
考えてみれば、20キロ近く死力を尽くして走ってきているのでそんな余裕はないはずです。でも、キャプテンだった走者は次の走者に笑顔で渡したのです。
それをどうしてかという質問に対し、そのキャプテンはこう答えました。
「自分も笑う余裕がないくらいきつかったけど、笑顔でタスキを渡したら次の走者が気持ちよく走れると思って笑顔で渡すと決めていた」と。
つまり、自分も精一杯走って疲労困憊している中、次の走者のことを思いやる気持ちを持っていたことにこのチームが優勝できた要因があったのかと思った次第でした。
箱根学生駅伝に出場できる大学の陸上部員は高校時代からその名前をとどろかせ、勇躍それぞれの大学と先輩と仲間の名誉を守るために入部し、普通の学生が謳歌するなかで、陸上という競技に集中して鍛錬し、そして激戦を勝ち抜いて出場権を得、さらに部内で走るメンバーに選ばれるための競争に勝ち抜いてきた人たちです。
トップランナーと呼ばれる人たちはその実力にさほど大きな差はないのではないでしょうか。
でも、10人のチームで走る駅伝は10人の走るメンバーがそれぞれが持ち場を守り抜き、自分の最高の出来栄えで走ることが求められているのです。
ただ単に競争に勝ち上がったから優勝という栄冠を勝ち取るものではないという事実がそこにあり、そこに見ている人たちを引き付けるものがあるのです。
私はそこに日本的な協力し一つのことを成し遂げる精神を見出すのですが、大げさでしょうか?
花見という習慣が日本人にはあります。
これはただ単に桜を見て酒飲んで騒ぐというというものではありません。
それは、季節を肌で感じ、今から始まる農作業のキックオフミーティングなのです。
当時は機械がなく、田植えなどは村人総出の共同作業でした。
だから、桜の開花は苗代を作り、田植えの準備を始める時を告げるものだったのです。
そして田んぼに水を入れ、下の田んぼから田植えを村人総出でしていくのです。
田植えをする人だけでなく、声を合わせるために田植え歌を歌う人、食事を準備する人、お茶を配って世話をする人などそれぞれがそれぞれの能力や体力に合わせた役割をきちんと果たして田植えという大仕事が完成します。
駅伝も同じなのです、走るメンバーはもちろんのこと、その世話をする人たち、それぞれの中継点で選手の世話役も必要です、情報を共有するために情報を流す人も必要です。
それらの人は全く表に出てきませんが、それぞれの想いを持って参加しているチームなのです。
世の中一人一人が使命と役割を持ち生まれてきています。
だれも不必要な人間など存在しないのです。
それが歴史で証明されています。
その出来事が一方的に「悪」ということはないのです。どちらの側から見るか、それをどう見るかによって変わっていくのです。
戦後の日本の歴史に対する見方は、日本人が持つべきものではなかったと私は思っています。日本人の見方の歴史ではなく、戦争の勝者、それを利用して自分の立場を有利にしようとする外国のために存在した歴史のように思えてなりません。
インドという国があります。4500年以上の歴史を持つ国ですが、18世紀ごろからイギリスの実質的な植民地となります。
何代にもわたって白人支配が行われ、その結果、誰もが有色人種は白人にはかなわない、白人は神様のような存在だとDNAに刷り込まれてしまいました。
それを打ち破ったのが、日露戦争に勝利した日本人の姿でした。
これをイギリス人に言わせれば「日本がいらんことしたために、うちのドル箱が消えた」というでしょう。
でも、インド人に言わせれば「日本のおかげでインド人も白人に対抗できると気づかされ、日本のおかげでインドが独立を勝ち得た」となるわけです。
戦後は、欧米が作った歴史が正義だったので、イギリスの言い分が本当だったように私たちの教科書では教えられ、インドの言い分は抹殺されてきました。
日本人からしてみれば、自分たちが汗水出して働いて出来た物をどうして外国人が奪っていくのか、おかしいだろうという発想です。
それは、田植えや稲刈りという猫の手も借りたい時には村人総出で、時には武士階級やお坊さんや神主さんもそれぞれの役割を果たして自然からの恵みを享受するという日本の文化的背景からほど遠いものだったからです。
日本が何のために先の大戦を戦ったか?という疑問に対し、一言で答えられる人はいないと思います。
左巻きたちは、日本がアジア諸国を侵略し支配しようとしたために戦争を始めたと主張するでしょうが、このインドだけの事例をもってしても簡単にその主張がおかしいとわかるでしょう。
さらにスカルノとハッタが起草したインドネシアの独立宣言書には「17.8.05」と書いてあります。
これは昭和20年8月17日のことです。
17は17日、8は8月を表すというのはすぐにわかりますよね。
では、05は?
それは2605年という皇紀なのです。神武天皇が橿原の宮で即位をされてから昭和15年が2600年、そして昭和20年は2605年なのです。
なぜ、インドネシアの独立宣言に日本の皇紀が使われているのかという説明を日教組の先生にしてほしいと思いませんか?
ちなみにこのスカルノ大統領の第三夫人がデビィ夫人です。この人初めは北朝鮮を賛美していたために大嫌いでしたが、東京都知事選の時に田母神閣下を寒風吹きすさぶ中を選挙カーの上に立って応援の熱弁をふるっていたのをみてちょっと見方が変わりました。
閣下に聞くと、「彼女は良い人だよ、ただ知らなかっただけなんだ、今はちゃんと私が教えたから大丈夫」とおっしゃっていました。
インドネシアもオランダに長い間植民地にされ、教育も受けられずに搾取されてきました。
オランダに言わせれば「日本がいらんことしたから、オランダの国力が激減してしまった、なんて日本はひどい国なんだ」というでしょう。
でも、インドネシア人に言わせれば、自国の独立宣言書に皇紀を記入するという日本のおかげで独立する足がかりができたと感謝されています。
戦後の日本の教育は、オランダの言い分を採用していますね。
このように見ていくとどこに観点を置くかで大きく見方が変わることがわかります。
今年の私のブログでは、このような立場からの内容が増えていきます。
もうすでにお気づきの方は、左に傾いている人たちの説得にご使用ください。
まだ覚醒していないが、でもなんとなくおかしいぞと違和感を持っておられる方は読み進めるごとに目の前のもやが晴れていくことでしょう。
左にどっぷりの人はどうぞ反論をしてきてください。
どんなに違う意見でも、常識的な言葉で論理的に意見される方のコメントには一切逃げずに掲載して、こちらからも反論させていただきます。
私はテレビに出て物を言ってたくさんの人に影響を与える存在ではありません。
でも、数千人の方でも毎日読んでいただいておられる方がいるので、そこから始めていこうと思っています。
私のような存在がたくさん現れることが「草莽崛起」といって、世の中を変えていくことになると信じています。
最後に慶応大学の教授でよくサンデーモーニングに出てくる金子という経済学者がいますが、新年早々天皇陛下に対して許されざる不敬を働いたそうです。
それは今上陛下に対して「平成天皇」とツィッターに書いたそうです。
今の御代の天皇様は、今上陛下とお呼びします。
崩御された後に諡(おくりな)としてその元号をつけます。だから先帝陛下は昭和天皇とされています。
崩御される前に「平成天皇」とお呼びすることは、生きている人に対して戒名で呼ぶことと同じであり、とても不敬なことなのです。
もし、あなたのお父さんが存命なのに戒名で呼ばれたり、亡くなったものとして言われたらどうしますか?
私は決してこの金子という慶応大学の教授が許せません。
無知からくるものならば、頭を丸めて、と言ってもあまり髪の毛がなかったようですが、きちんと謝罪すべきです。
もし確信犯なら、慶應義塾大学の品格にかけて首にすべきだと思います。さらにそういう人間をテレビという公共の電波に登場させることは不適切だと思います。