天皇陛下の新年のお言葉に、
「新しい年をみなさんとともに祝うことを、誠によろこばしく思います。本年が国民ひとりびとりにとり、少しでもよい年となるよう願っています。
年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。
この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」
ここにあるように、私たちは先の大戦の経緯と背景をしっかり学ばねばなりません。
そして先人たちがどうして戦ったのか、どう戦ったのか、そしてその戦いの後でどうなったのかとことを検証せねばならないと思っております。
戦後の日教組が主導する教育の中で、先の大戦は侵略戦争と位置づけられ、私たちの祖父や父親たちは侵略者の汚名を着せられています。
さらに私たちの祖父や父親たちは強姦魔、略奪者、犯罪者にされているのです。
そして歴史カードというキャッシュカードを中韓に与えて、いくらでも騒げばお金が出せるようにしてきたのが、この70年でした。
でも、学校で教わった歴史やテレビや映画で見る歴史にはどうしても矛盾点がたくさんありました。
ぜひ、レンタルDVDで勝新太郎の「兵隊やくざシリーズ」を見てみてください。戦時売春婦がそこに当たり前のように出てきます。
映画製作のスタッフが現場を知っているために、とてもリアルに描かれています。もちろん、可愛そうな境遇でしたが、そこには親に騙されてとか売られてきたというセリフもちゃんとあります。
戦後すぐの戦争映画はそういう軍隊経験者が大勢いたので皇軍の誇りや武人としての潔さを好意的に描いてあります。
しかし、昭和40年代に入ってくると第一線からそういう経験者が少なくなり、さらに津川雅彦氏に言わせると映画界が左翼に乗っ取られたために、エンターテイメントではなく左翼思想を持ちこみ、映画が詰まらなくなり、映画産業の衰退に繋がっていったといいます。
戦争映画では、いかに国のために死ぬのが馬鹿らしいか、犬死のように描き、下士官は鬼畜のような振る舞いをするのです。
元憲兵だった方にお話を聞いたことがあります。
その方ははっきりと言われていました、憲兵とは軍隊内の警察であり一般市民を捕まえたりする権限はなかったと。
特高警察が思想犯を取り締まる役目があり、その特高から逮捕されたり尋問を受けた当時の左翼主義者や無政府主義者たちが戦後、米軍の政策によって地位を得て、帝国大学や法曹界、そして言論界で軍隊=悪、どれだけ国民の生活が軍隊によって蹂躙されたかを喧伝したのです。
しかし、戦前の生活について多数の人に話を聞いても、普通の人はなんら弾圧を受けておらず、憲兵隊が来て取り締まられるということはなかったと証言されています。
ここに、戦後の自虐史観の出所がわかってくると思いませんか。
はだしのゲンを見ても、あのお父さんは当時非国民のレッテルを貼られた共産主義者か無政府主義者だったと思います。
そこで逮捕されたり尋問されたりしたのですが、これが一般的なものではありません。
それを映画や漫画で描くといつでもどこであったように思えるのですが、実際には違います。
母親の実家の方では、軍隊の演習が行われ、兵隊さんたちが民家に分かれて分宿していたそうです。
規律は見事に守られ、10代だった母はさすがに国民を護る軍隊だと誇りに思っていたそうです。母の実家は庄屋だったため、将校さんが泊まられていたそうですが、それは見事な武人だったと聞いています。
こういう話はだんだん聞けなくなりました。
幸いなことに、以前から興味のあった私は小さい頃から親戚の軍隊経験のあるおじさんたちに話をよく聞かせてもらっていたのです。
子供の頃に見せてもらった刀を先日探し出しみてみると、たいしたことのない鋳造刀だったことがわかりがっかりしましたが…。
ビルマのまだ収拾されていない皇軍の遺骨が語るという設定で作った「骨の声」という作品も、その昔話を題材に作ったものです。
作者の脚色が入っているとはいえ、実話が元になっているものですから、演奏者の技術も相まって聞く人の魂に響くのです。
あの戦争は悪い戦争だった、戦争をせずに済まなかったのかという人が大勢います。
でも、あの戦争をもし日本が戦わなかったらどうなっていたのかと逆に質問すると誰も答えられません。
特に頭の良い方は、急に黙り込んでしまいます。
それは、先の大戦を日本が戦わなかったら、現在の世界地図は大幅に変わっていることがわかるからです。
そして多くの人がそれがわかっても、日本人がたくさん犠牲になっているのだからと言われます。
そうです、戦後の命が一番大事と教育を受けてきた人間にとってあの戦争は無謀な戦争にしか過ぎません。
でも、誇りや矜持を大切にする人にとってはあの戦争は避けられない戦争だったことがわかります。
だから、日教組は戦後の教育で自分の命が一番大事と教え込んだのです。
でも、歴史を学べば学ぶほど「命よりも大切なものがある」と思えるようになりました。
歴史に名を残した人たちは、自分の命の使いどころを十分に弁えていたからです。
もし、吉田松陰先生が自分の命を惜しんで言い逃れていたら、30歳の若さで処刑されていません。
しかし、その死をきっかけに討幕に火がついた高杉晋作の心の炎は燃えきれずに結核で亡くなっていたかもしれません。
さすれば、その遺志を継いで日本国を建設しようとした身分の低い伊藤博文は結局世に出れずに長州藩内で埋もれていたでしょう。
もし、西郷隆盛が自分の命を惜しんで藩命に従って月照上人を処刑していたら、あの大西郷は生まれてこなかったでしょう。
大西郷無しに薩摩藩が討幕でまとまることはあり得なかったと思います。
さらに廃藩置県という大業は大西郷無しに絶対にできませんでした。
あの明治維新の偉業は自分の命を惜しまずに日本のために働いた人たちがいたおかげで成ったのです。
その気持ちがわかるから今でも幕末物の人気は高いのです。
それからわずか70年後が先の大戦のあたりです。
日本国のために命を投げ出した人たちが幕末の志士の心中を察しないわけがないでしょう。
何のために自分の命を捧げるのかという問いに何度も自問自答されているはずです。
特に特攻隊でなくなれた方々の多くは大学生でした。
今のてれんぱれんした大学生を思い浮かべるとだめなのです。
当時の大学生は今の大学の助教授レベルの知的レベルだと思っていいでしょう。
その人たちが何のために自分の命を捧げるのかをいくら若くても理解しないはずがありません。
知覧や大刀洗基地の遺書を見ると、皆さん素晴らしい字で素晴らしい文章を書かれています。
文章を書く人間として、あの文章を見てその文才たるや並大抵なものではないということがわかるのです。
自分の死を正面から受け止め、そして何時間かけて飛行機や潜水艦を操縦して敵艦に体当たりするのです。
それは一時の狂気では絶対に成し得ないものだということを現代の我々は理解しなければならないのです。
そのためにも正しい当時の情報が必要なのです。そして少しでも英霊の方々の当時の気持ちを理解することが大切なのです。
このブログでは、今年は特に近代史を中心に書いていこうと思っております。
そして中韓にもう歴史カードは無効だよと教えてあげないといつまでもせびり取られるだけでなく、中韓にとっても正常な外交交渉をさせる機会を与えねばなりません。
ご質問なり、ご意見なりどんどんお寄せください。