平成27年、皇紀2675年の年が明けました。
みなさんにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか?
福岡は正月から雪模様、急に冷え込んで鼻水が出てしょうがない正月となりました。
大みそかと元旦は家族のための日としており、ブログや外界との接触は二日からとして、本日が最初の投稿となります。
今年もよろしくお願いします。
家族といっても、大みそかは私の子供と孫のため、そして元旦は90歳の両親の家で過ごす大所帯になります。
昨晩は妻と二人で映画鑑賞をしてきました。
その映画は「フュゥリーFury(激しい怒り)」です。
ブラッドピッド主演の戦争映画で、太平洋戦線では日本軍戦車が歯が立たなかったM4シャーマン戦車のヨーロッパでの奮戦ぶりを描いています。
ブラッドピッドは、ただハンサムだけでなく骨のある俳優だと思っていましたが、今回の映画はまさにその通りの映画でした。
昔のアメリカ映画は、善玉である主人公はいつも正しく、間違ったことをしないものでした。
しかし、今回の映画では主人公のブラピ扮する戦車長の軍曹は、新人を鍛えるために捕虜のドイツ兵を後ろから銃で撃たせる場面がありました。
ちょっと前までは考えられないようなシーンです。
もちろんこれはハーグ交戦規定違反です。
昔なら正義の軍隊であるはずのアメリカ軍では絶対にありえないものでした。
しかし、クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」の中での日本軍の投降してきた日本兵を撃ち殺すシーンや、「パシフィック」というテレビ連続ドラマでは、死んだ日本兵の遺体から金歯を抜き取るシーンなどが出てきて、戦争の真実にだんだん迫ってきました。
というのも、そういう残酷な仕打ちをするのは日本軍やドイツ軍と決まっており、いまでも日本の戦争ものには新兵を教育するために米軍捕虜を銃剣で突きささせるというシーンがからなずと言って出てきます。
しかし、1970年代のベトナム戦争が終了するころからアメリカ映画も戦争の真実に目を向けた反戦映画が作られるようになります。
上官である軍曹が新兵を戦争になれさせるために捕虜を殺させるというのはどこの軍隊でもやっていたことなのです。
そして殺される捕虜はアメリカ軍のコートを着ていました。つまり、そのドイツ軍兵士も米軍兵士を殺していたのです。
その時に、新兵は拒否します。徹底的に拒否します。それは普通の人間が戦争という極限状態に慣れるための洗礼とでもいいましょうか。
そして最後には「自分を殺せと!」いうのです。
ここまで来ると、9条信者が人を殺すくらいならば自分は殺された方がいいという論理と同じです。
どうするのかと固唾を呑んで見守っていました。
するとブラピは新兵を後ろから羽交い絞めにし、指を引き金に沿えさせ、無理やり撃たせるのです。
平和な生活をしている私たちには残酷なシーンです。
しかし、M4シャーマン中戦車の乗員は5人、副操縦士としてのその新兵の役割は戦車の右手前方の歩兵を機関銃で駆逐することなのです。
もし、その新兵がその役目を怠ったら、その角度から対戦車砲を撃ち込まれたりすると、5人全員が死んでしまうのです。
自分を含め5人の命を預かる戦車長として一人一人がそれぞれの役割を果たさせること、そして自分に与えられた任務を果たすことが最大の使命となるのです。
太平洋戦線ではさんざん先人たちを悩ませたM4シャーマン中戦車もドイツのタイガー重戦車にはまともに歯が立ちません。
タイガー戦車の前面の装甲はシャーマン戦車の76ミリ砲では打ち抜けないのです。
仲間の戦車が次々とやられる中、5人が一体となって性能が劣る戦車を駆ってタイガー戦車の背後に回り砲弾をぶち込むのです。
手に汗握るシーンでした。
戦車は重量とエンジンの大きさが性能を決めるのに重要なのです。
そのため、前面の装甲が重視されます。しかし、すべての面を同じ厚さで覆うと全重量が重すぎて巨大なエンジンを必要とします。
すると燃費が悪くなるのです。
現在のアメリカ軍の主力戦車の燃費は、1リッターあたり50メートルです。兵員の命を護り、強力な武器を搭載するために重くなり、それだけの燃費になるのです。
だから、今のアメリカ軍の戦車の行動には必ずタンカーと呼ばれる燃料補給車輛が後方にいます。そこに効率よくいくためにもナビシステムが開発されたのです。
ドイツは地続きで戦うために重い戦車を投入できましたが、アメリカ軍は船で運んでくるために、重量に制限がありました。だから、一対一で戦うことは基本的にはしないはずです。
大東亜戦争時の日本の戦車は基本的にCHINA大陸で歩兵を相手に戦うのが主目的でしたので、重機関銃に耐えうるだけの装甲があればいいとされ、それよりも軽快に長距離走れる方を選択したので、アメリカ軍戦車にはかなわなかったのです。
話がまた大幅にそれました。
つかの間の休憩の後に敵の砲撃で今まで微笑んでいた美しいドイツの娘さんが死んでしまいます。
新兵はそれを助けようとするのですが、古参の兵隊の言葉が秀逸です。
「理想は平和だが、歴史は残酷だ!」
誰もが殺し合いなど望んでいません。今中東やアフリカやチベットやウイグルで起きている紛争地帯の人たちは戦争が好きなのでしょうか?
イスラム国に対抗するために創設された女性の部隊の取材番組が流されていました。
みんな彫りの深い目のぱっちりしたMJのような顔の若い女性たちの部隊です。
17歳や21歳の美しい女性たちが侵略してくる敵を駆逐するために銃を持って戦っているのです。
彼女らは戦争が好きだからやっているのでしょうか?
恋人と語らう時間よりも銃で敵を撃ち殺すことが好きなのでしょうか?
きれいな服よりも戦闘服に身を包み、何日も風呂にも入らずに死線をさまよう方が興奮するのでしょうか?
そんなことはないはずです。
私たちと同じように、家族と楽しく語らい、友と酒を酌み交わし、平安に暮らすことを望んでいるのです。
でも、戦争はからなず相手がいるのです。
その相手に備えをしておかねばなりません。
それは家に鍵をかけ、SECOMするのと同じ論理です。
軍備を備えるから戦争になるという9条信者や紅白歌合戦でちょび髭をはやして登場したらしい(実際見ていません)桑田のように、ヘイワ平和と叫んでいれば、そんな事態が起こらないというのは嘘です!
でたらめです!
欺瞞です!
今でも日本の田舎に行くと鍵をかけないところがたくさんあります。でも、都会に行くとそんなところはありません。
なぜならば鍵をかけない田舎の村では、みんながそんなことしないと知っているからです。
でも、都会ではどんな人が住んでいるかわからないから鍵をかけます。
その鍵が国家で言うならば、軍隊なのです。
武器で、軍隊で国民を護らない国家は存在する必要がありません。
周りが田舎の村のように善良な人たちばかりであれば、武力は必要ないのです、「理想は平和なのです」
しかし、今までの歴史を見ていくと「歴史は残酷」なのです。
私は大切な家族や私の命より大切な孫を護るためにも日本国が自分の国は自分で護るようにせねばならないと思っています。
そのためにも、あの日本国民にとっての手かせ足かせにすぎない日本国憲法は1日も早く改正せねばならないと思っております。
だれも戦争が好きな人はいないのです。
戦争をしないためにも、そして誰からも攻めてこられないように準備をすることが必要なのだということを今年1年訴え続けようと思っております。
日本国の未来のために、子供たちの将来のために、軍備を忘れた国家は滅亡している歴史的事実を知らしめなければなりません。