今年一年みなさんにとってどんな年だったでしょう?
思い返してみれば、去年の年末に田母神閣下からお電話を戴き、都知事選に出馬すると内々で決意表明を聞かされました。
そこで1月14日に講演で来福されるので、来られる時間を早めてもらい、70人ほどの方を集めて激励会をニューオータニ博多で実施しました。
選挙期間中はちょうど上京する用事もあったので、寒風吹きすさぶ中東京駅の街頭演説に駆けつけました。
すると、骨身まで染み渡るほど寒い中にもかかわらず、熱心な田母神信者が閣下の演説に聞き入っていました。
結果的には、60万票を集めながらも落選。しかし、当時マスコミでは泡まつ候補扱いだったのが、思った以上に票を集めたものだから、その後話題になり、田母神人気が急上昇しました。
3月に呉善花先生の来日30周年・拓殖大学の教授就任10周年の記念パーティが東京で開催されました。
福岡の同志と共に、上京しこれに参加したのです。
北海道や、近江八幡市、北九州市などからも集まることになりました。
そこで合言葉が、「靖国で会おう」ということになり、11時に大村益次郎の銅像下で集合しました。
呉善花先生に田母神閣下を紹介し、パーティに出席してもらう仲介をしたこともあり、閣下にお願いして靖国神社にお越しいただき、集合した22名の方々と一緒に昇殿参拝を果たしました。
詩吟の吉田城世上席顧問が奉納吟をすると、途中で正殿のほうから何とも言えない心地よい風が吹いてきて英霊の方々がお喜びいただいておられることを肌で実感しました。
夜のパーティは、渡部昇一先生をはじめ、櫻井よしこ氏、宮崎正弘先生、井沢元彦氏、ペマギャルポ先生、大宅映子氏、石平氏、黄文雄氏、竹田恒泰氏など保守の論客が一堂に会していました。
20人以上の仲間と共にいたので、前の方に陣地を作って大いに盛り上がり、そして締めは新宿の居酒屋さんに行って田母神閣下や産経の野口裕之氏などとさらに一層盛り上がりました。
翌日は市ヶ谷の自衛隊に見学ツアーに参加し、昼からは産経新聞で私たちのためだけに野口裕之のミニ講演会を実施して、充実の2日間をすごしました。
4月には長男の結婚式を筥崎八幡宮で行いました。神前での厳かな結婚式は、新郎新婦が神様の前で永遠の愛を誓うというもので、結婚式場のとってつけた神さんよりも、由緒ある場所での神事に息子ともども大感激をしました。
結婚式場は30年たつとないかもしれません。でも、神社は何年たっても存在します。これから結婚式をされる方はぜひお宮での式をお勧めします。
5月には青年会議所の福岡ブロック大会で憲法問題について参議院議員の佐藤正久先生の前座で講演させていただいたり、6月には福岡県神社庁の世話人会で講演させていただいたり、福岡大空襲のことをゆかりの圓應寺で法要の時に記念講演させていただいたりしました。
そして6月と0月には原子力国民会議イン九州集会の副実行委員長として500人以上の方に集まっていただき、にぎにぎしく開催させていただきました。
さらに2回の玄海原子力発電所見学ツアーも企画し、実施しました。
この実行委員会を通じて、今までにない分野の方々とお知り合いになり、人脈も知識も大いに広がりました。
7月には九州未来会議に参加させていただき、九州の財界の方々の本音のお話をさせていただくことができました。
私は一匹狼で行動しているために、何も背負っているものがなくどんな方とも本音でしゃべることにしています。
地位が高くっても同じ人間であり、間違いをされるのですが周りの方々は遠慮して何も言われません。
私は尊敬する人であればあるほど、恥を書いて欲しくないためにはっきりと指摘するようにしています。
だから、また可愛がっていただけると思っております。
企業講師もいろんな企業様から依頼されるようになり、他とは違う愛国心を中心にした研修内容で参加者の魂を揺さぶっています。
参加者の方々の感想が「今までにない発想と見方で物が違って見えてきた。」「感謝の気持ちを感じるようになった」「愛社精神が生まれてきた」「自分の役割と使命がはっきり見えてきた」等々と言われています。
私も保険会社時代にたくさんの研修を受けてきましたが、ほとんどが技術や手法の研修で、発想や思考法そして愛社精神に繋がる愛国心などをしゃべる講師はいませんでした。
愛国心を持たない社員が、愛社精神だけを持つことはありません。
なぜなら、愛国心のない愛社精神は、個を重視する発想の延長であり、背私向公の精神にはほど遠い、ただのエゴであり、利の発想だからです。
もちろん地域の行事のお世話もしています。運動会や敬老祭、夏祭り、壮年ソフトの監督など、地域の人たちが盛り上がれば盛り上がるほどその地域の治安は良くなり、結果的に家族や友人を護ることができるからです。
10月には夢大アジア主催による「福岡フォーラム」のコーディネーターをさせていただき、ペマギャルポ先生やイリハムマハムティ先生、ダイチン先生やアシンバヤマ師そして井本勝幸氏、恵隆之介先生、浦辺登氏などがご参加いただき、アジアの諸国民が結束して横暴なるCHINAに立ち向かおうという意義深い会議を開催しました。
翌日には福岡県郷友連盟が毎年行っている福岡陸軍墓地の慰霊祭にペマ先生をはじめとするアジアの方々にも列席していただき、そこで私が原作を書いた「ペリリュー島のさくら」を詩吟の吉田先生や筑前琵琶の寺田蝶美さん、俳優の岩城朋子さんが情感たっぷりに奉納していただき、人日の涙を誘っていました。
筑前琵琶の寺田さんと俳優の岩城さんとは企業研修でも上演していただき、人々の感動と涙を誘っていました。今後もこの活動は増えるでしょうが、ぜひ来年は中高生のまえで上演したいと思っております。
そして12月の選挙ですが、残念ながらここでも田母神閣下は当選することができずに、国士が国政に行くのを阻む勢力の厚さに当惑しています。
さらに、次世代の党の同志の方々も多く落選され、逆に売国奴政党の共産党が躍進するという私にとっては不可解な選挙であり、初めて開票方法に疑問と疑惑を持った選挙でもありました。
個人的には孫のあおいちゃんがすくすくと育ち、二人だけで動物園や公園や遊園地に行っています。
「じいじ」と言ってくれる言葉の響きが私にとって天使のささやきのようにも聞こえ、最近は最後の「じ」が消え、「じい」となっているように思えてなりません。
こういうこともありました。
あおいちゃんはチョコレートが好きでご飯を一杯食べたご褒美にアポロチョコを2つ貰って喜んでいました。
一つを口に放り込むとにこにこしてもう一つのチョコを嬉しそうに見ていました。
その時に、「じいじにアーンは?」とそのチョコを要求したところ、一瞬そのチョコをみましたが、次の瞬間その大切なチョコを私に食べさせようとしたのです。
小さい子供ながらに自分が大切なものをくれようとしている姿を見て、慌てて「いいんだよ、それはあおいちゃんが食べなさい」といって返しましたが、この瞬間、もしこの子のために自分の命を投げ出さねばならなくなった場合、躊躇なく差し出すことができると実感しました。
以前大雪の中でお父さんが雪の中で我が子を守りながら、自分の命を犠牲にしてまでも我が子を救った悲しい出来事がありましたが、あおいちゃんのためには私はできる!と確信した瞬間です。
人生は良いことばかりではありません。もちろん悪いこともありました。
せっかく集っていた仲間との別れや仕事での失敗等もありました。
でも、自分の使命が英霊の雪辱を果たし、ご皇室を中心としたこの日本国のために働くという基本的なスタンスは全く変わっていません。
別れていった仲間たちも時が来ればまた一緒になることもあるでしょう。
同じ方向を向いていれば、それは当然のことだと思っています。
来年は、またいろんなことを企画しています。私ならではの私しかできないことをいろんな人と協力しながら挑戦していこうと思っております。
今年1年このブログをお読みいただきありがとうございました。
来年もいろんな情報や物の見方を発信していきたいと思っております。
それでは、良いお年もお取りください!