本日は大東亜戦争が始まった日です。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 「昭和16年12月8日未明、わが帝国陸海軍は英米と西太平洋上にて戦闘状態にいれり」との臨時報道があり、真珠湾での華々しい戦果が報じられました。

 アメリカもリメンバーパールハーバーということで、真珠湾攻撃がこの戦争の緒戦として位置づけられています。

 そして戦後、大東亜戦争という先人たちが戦った聖戦の名称を禁止し、太平洋戦争と呼ばせました。

 いまだに放送局では放送コードが存在し、大東亜戦争は放送禁止用語となっているそうです。これは田母神閣下がテレビ局の人から言われたので、「いや俺は使うよ」といって大東亜戦争と発言したのですが、放送では見事にカットされていたそうです。

 しかし、西太平洋上というのが真珠湾でしょうか?

 地図を見てもらえば一目瞭然ですが、ハワイは中部か東部太平洋に位置しています。

 では西太平洋とはどこのことでしょう?

 実は真珠湾攻撃の一時間二十分前に帝国陸軍18師団56連隊の侘美支隊がマレー半島の英軍が9000の守備隊と25のトーチカで防御陣地を築いているコタバルに敵前上陸を開始しているのです。

 この第18師団は通称「菊兵団」といい、福岡久留米の兵が中心となって編成された日本陸軍最強師団の一つです。

 ビルマで戦死した私のおじさんもこの師団の所属でした。

 菊が皇室の紋章なので、「御紋章師団」とも呼ばれ、兵の士気も練度も高い師団でした。

 その中の56連隊を中心とした侘美少将指揮下の部隊が戦死者320名、戦傷者638名の尊い犠牲を出しながら上陸に成功したのです。

 陸軍も海軍も奇襲が作戦成功の大切な要因となるために、時差が6時間あるのでマレーの深夜、ハワイの早朝がベストなタイミングとされたのです。

 陸軍も海軍も奇襲ですが、先に連合国は経済封鎖を実施ており、すでに戦争状態に入ったとみるのが普通であり、けっして皇軍のだまし討ちではありません。

 卑怯な日本軍のハワイ空襲とルーズベルト大統領が宣伝してアメリカ国民の戦意高揚に使っただけです。

 おりしも今朝の産経新聞では二重スパイが日本軍飛行機によるハワイの奇襲を数か月前に報告していましたが、信用せずに握りつぶしていたことが書いてありました。

 先に日本軍に攻撃させてアメリカを参戦させたという陰謀説が有名ですが、これにまた裏付けの資料が出てきたということです。これに基づいて作られたのが、「トラトラトラ」と日米合作の映画でした。

 コタバル上陸作戦は苛烈を極めました。

 部隊が上陸できる場所が限られているためにイギリス軍としては防御陣地を集中して構築しやすく、効率的に兵員を配置できていたのです。
 
 上陸する部隊を郵送した淡路山丸は英軍機の攻撃で沈没し、この大戦における沈没第一号となったほどです。

 そしてこの上陸は長い間英国の植民地として搾取されていたマレーの人たちを解放する口火となったのです。

 そのことは現代のマレーシアの歴史の教科書に、マレーシアの歴史は日本軍がコタバルに上陸して英軍を蹴散らしてくれたことから始まったと明記されています。

 マレーシアは人口の多くマレー人で華僑は15%くらいです。
 
 だから、ここはとても親日国家なのです。

 その反面シンガポールは華僑の割合が多く、どちらかという反日的な言動を今まで取ってきております。

 マレーシアは産油国でもあり、とても豊かな国です。しかし、その富はイギリス人によって横取りされていたのを、日本の上陸でマレー人の手に取り戻したのです。

 その後、マレー半島を南下して破竹の進撃を日本陸軍はしますが、その背景にあったのは、イギリス軍の中にインド兵が多数いて、そのインド兵たちに日本軍と行動を共にするインド独立を目指す活動家たちが呼びかけるのです。

 「我々の敵は日本ではない。イギリスである!」と。
 
 それを聞いたインド兵たちは次々とイギリス軍陣地から逃亡を始めます。
 
 陣地を守っているはずのインド兵がいなくなってしまうために、イギリス軍は戦線を持ちこたえられずにシンガポール要塞へと退却していくのです。

 山下奉文司令官をして、マレーの虎と言わしめた日本軍の快進撃の裏には、りっぱな大東亜共栄圏構想があったのです。

 だから先の大戦は「大東亜戦争」と時の日本政府が名付けたのです。

 これは軍国主義的発想と戦後言われてきましたが、それはアメリカのプロパガンダであり、それを信じている人は皆自虐史観に取りつかれている人と言っていいでしょう。
 
 いくら日本軍が強くても、人力や馬で携行するような武器を持ち、車がないために自転車(銀輪部隊)で移動するような軍隊が破竹進撃がインド兵の投降や地元住民の協力なしではできませんでした。

 ともかく、今日12月8日はマレー半島に敵前上陸を開始した日なのです。

 アメリカにとって友軍のイギリスの陣地に日本が攻撃を仕掛けているのですから、その情報はアメリカにも届けられています。
 
 しかし、アメリカはそれを無視し、日本海軍に真珠湾を攻撃させます。
 
 飛行機から攻撃では装甲の分厚いやすやすと戦艦は損害を被らないだろうという予想を見事に裏切り、アメリカ太平洋艦隊の主力艦は沈められてしまうのです。

 アメリカの上層部はその攻撃を察知していたと思います。だから、攻撃に弱い空母を日曜日にもかかわらず出航させていたのです。

 よく石油タンクや海軍工廠を攻撃しなかったのは、日本海軍の手落ちだという人がいますが、武士は武器を持った相手は徹底的に攻撃しますが、丸腰の相手は傷つけません。

 その後の総力戦となる大東亜戦争の緒戦では攻撃するのは卑怯と思っていた節があるのです。

 後だしじゃんけんで何とでも言えますが、武人の誇りだけは傷つけたくありませんね。

 とにかくこれを読んだ方がぜひ今後先の大戦を呼ぶ時に、「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」と呼ぶようにしていただくと正しい歴史の頁がまた一つひらかれると思います。