昨日も田子ノ浦部屋に総勢20人ほどをお連れしての稽古を見学してきました。これで三回目です。
参加された方々が口々にこんなに日本人の力士も頑張っているんだと感心しておられました。そして今日から始まる九州場所に田子ノ浦部屋の力士の健闘を大いに期待しています。
そして夜、テレビで羽生選手の壮絶な演技に感動しました。
私は中性的な魅力の美しさを持つ羽生選手は妖精のようで人間とは思えず、どちらかというとバーチャルの世界の住人のような感じを持っていました。
昨日も妻が見るテレビに付き合っていただけなのですが、6分間の練習の時にCHINAの選手と激しく激突。しばらくは起き上がれず、血が頭と顎から流血するというアクシデントが発生しました。
やった瞬間、相手がCHINAの選手だったので、もしかして?と疑いましたが、今は両者が真剣な練習に没頭しているためのアクシデントだと思っています。
実況の松岡修三氏は、今後のことも考えて棄権をした方がいいと主張していました。私もそうすると思っていました。
フィギュアスケートという繊細で正確な技術を必要と知る競技において、流血するほどのけがをしたら棄権するのが普通だと思いますし、それをしても誰も責める人はいなかったでしょう。
でも、羽生選手は続行を決断します。
この時に私は心の中で「こいつは只者ではない、真の日本男児だ!」と思ったのです。
頭にテーピング、あごにはばんそうこうを張っての出場は、今までの華麗で美しい姿とは程遠いものです。
しかし、彼は外見の美しさよりも内面からほとばしる競技者としての熱い思いとチャンピオンだけが持つプライドと力強さを見せつけてくれました。
4分30秒の時間がこれほど長く感じられたことはありません。それは彼の演技を見ている人の誰もが感じたと思います。
演技はいつもの演技は程遠い物でした。
華麗さはそこには存在せず、あるのはプレデターが獲物を狙う鋭い目、絶対に「跳ぶ!」と心に言い聞かせて臨んだ氷上において熱い男らしい力強さが感じられたのです。
それは見るものを引き付け、彼の必死の演技に引き付けられます。
それは美しい姿でした。
決して華麗ではありません。
決して完全な演技ではありません。
決して今までのように安心して見ていられるようなものではありません。
でも、美しいのです。
若者が自分の信じた競技に打ち込む姿が神々しいのです。
「美しさ」は神の姿に近づくことなのです。
彼は見事に中性的な妖精から美しいアポロの姿になったのではないでしょうか。
神道で言えば、いじめにいじめられて時には命まで落とした大国主命のようなものでしょうか。
ただきれいな少年が美しくたくましい若者に昇華した瞬間に立ち会えました。
自然に手を叩き、涙が頬を伝ってきました。とてもいい時間を羽生選手のおかげで過ごすことができました。
そして彼の姿は全世界に流されて日本人の若者の素晴らしさを広めてくれたのです。
その反面、小笠原諸島付近に遊弋する多数のCHINA漁船の映像も全世界に流されています。
テレビのアナウンサーが「これはCHINAの恥でもあるのに・・・」というような発言をしました。
こいつはあほかと思いました。
全世界に恥を晒しているのは日本国だぞ。自分の領海に200トンの大型漁船が大挙して入ってきても日本国は何も実力行使をできていないのです。
それを全世界に晒しているのです。
羽生選手は自分に戦いを挑み、見事勝利しました。その姿は全世界の人々に感動を与えたでしょう。
オリンピックチャンピオンという世界の頂点に立った人間が守りに入るのではなく、さらなる高みに登るために、自己の限界に挑戦したのです。
その姿に世界の誰もが惜しみない拍手を送りました。
でも、日本国は?
CHINAの大型漁船に好きなように海を荒らされています。
日本の小さな漁船が怖くて近づけないのです。
200トン以上ある大型漁船が数トンの日本の漁船にぶつかれば、海の真ん中で粉々になってしまうのです。
日本の漁船が日本国の領海内で安全に操業できない事実を全世界に晒しているのです。
速やかに実力行使を望みます。
警告射撃後、船体後部を銃撃するのです。これは国際法上認められた正当な権利であり、だれも文句を言う筋合いのものではありません。
あれだけはなれた海域へ、多額の燃料費を使ってきているのです。もし沈められる危険がわかったらだれも近寄ってはきません。
沈められる危険がないから我が物顔で人類の自然遺産を個人のものにしようとしているだけなのです。
あまりにもおかしく、あまりにも理不尽だと思いませんか?
今日から大相撲九州場所。
モンゴル勢にひるまぬ戦いを日本の力士に期待します。
羽生選手が見せた闘争心を一番形にしやすいのが今日からの大相撲ではないでしょうか。