沙羅選手の態度が見事!公と私を見事に使い分けていた。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 まず最初に昨日の記事の内容の訂正をいたします。

 首長選挙においての繰り上げ当選はありません。私の情報が間違っていました。お詫びして訂正いたします。

 ただ、今舛添を追い落としたら共産党に有利になりますのでしばらく自嘲する方が賢明だと思います。

 
 ソチオリンピックで金メダルの期待が大きかった高梨沙羅選手が4位に終わりました。

 あれだけのプレッシャーを小さな体に一身に背負い戦ってきたその重さは我々一般人には計り知れないものがあると思います。

 まあ大変だなくらいしか思っていなかったのですが、敗戦後のインタビューを見ていっぺんにファンになってしまいました。

 というのも、記者のしつこい質問にも毅然と答える姿は凛々しく、気品あるれるものでした。

 テレビ画面として沙羅選手の涙を撮りたかったのでしょう、もういい加減にしてやれよと思うくらいしつこいものでした。

 でも、彼女は最後まで涙を見せずに気高く、自分がここにあるのは女子ジャンプの先人たちのおかげと感謝と自分のせいでメダルが取れなかったと潔く反省していました。

 一番悔しいのは沙羅選手のはずです。

 普通の高校生が謳歌している青春時代をジャンプという常人ではできない競技につぎ込み、日々の体調管理と課題点の克服に自分の時間を捧げています。

 ここまで努力してからのメダルを逸することは、その落胆ぶりは普通の人なら前面に出てくるような大きなものでしょう。

 でも、彼女は最後まで凛としていました。

 そしてその後をことを今朝の新聞で読んで、胸が熱くなりました。
 
 記者のしつこいインタビューが終わった後に今までお世話になったコーチの元へ行き、「メダルを見せてあげれなくてごめんね」と涙を流しながら言ったそうです。

 何と健気な、なんと奥ゆかしい、なんと美しい姿なのでしょう。

 メダルが取れなくて泣くのは私心です。

 人間として当然のことだと言われれば否定しませんが、己を律してここまで来た沙羅選手はそれを耐えるだけの精神力があったのかと57歳のおじさんはびっくりしたのです。

 でも、自分の見守り、励ましてくれた、恩人であるコーチの前ではその感情をだしたのです。

 「みっともない」という言葉があります。

 これは「みたくない」というのが語源です。

 何を見たくないのかというと、「私的な部分」です。

 電車の中で女性が化粧をするのはその私的な部分です。

 あなたのそんな私的なところはみたくない、からそんなことは「みっともない」になっていくのです。

 沙羅選手の涙はみんなの前で流しても、決してみっともないと思いません。

 でも、彼女が今まで努力してきた自分を律するサムライのような修練を垣間見たような気がしてとても美しく見えました。

 いつも自分の私心よりも少しでも高みに行きたい。もっと技を、成績を向上させたいと思って練習を積み重ねてきたはずです。

 誰のために?
 
 もちろん自分のためでもあるのですが、それ以上に自分を支えてくれた人たちのために。

 自分がこの舞台に立てるようにしていただいた先人たちのために。

 そして自分に期待をかけてくれている国民のために。

 ではないでしょうか?

 精いっぱいの努力をした、でも天のいたずらか、ジャンプに必要な向かい風でなく追い風を吹かせたのです。

 結果は4位、それまでの大会で一度も優勝したことのない選手が金メダルでした。

 でも、私はこの小さな体の少女に、日本女性、つまり本物の大和撫子を観たような気がします。

 彼女が今まで大会で優勝したインタビューで必ず「自分が今ここにあるのは先人たちのおかげ」と言っていたことに、こんな少女が言える言葉ではない、きっと誰かにマスコミ対策でそう言えと言われているのだと思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 沙羅選手は心から先人に感謝し、自分を支えてくれる周りの人たちに感謝しているのです。

 4年前の腰パンで態度の悪くて非難された国母事件のあと、しっかりとスキー連盟が人間として恥ずかしくない精神教育を入れた成果だと思います。

 スノーボードの15歳の銀メダリストも18歳の銅メダリストも両親への感謝を忘れず、親も子供が志を遂げることができるよう一所懸命に支えてあげていました。

 これも家族の絆を思い起こさせることではないでしょうか。

 先人への感謝、家族の絆、周りの人たちへの配慮など古来日本人が戦前から持っていた美徳をキチンと受け継いだ若者が世界に羽ばたいています。

 そこには自分が自分がという自己顕示欲はなく、謙虚に自分を律し、ライバルを讃える姿がありました。

 日教組が破壊してきた教育からすり抜けて生き残った人たちの勝利かなと思うのは私だけでしょうか。

 国会では共産党の笠井議員のように安倍総理の靖国参拝を非難する売国奴がいます。

 靖国に祀られている英霊の方々のおかげで私たちは安寧に暮らしているのです。

 その感謝の気持ちを忘れて未来があるのでしょうか。

 その答えを沙羅選手やスノーボードの十代のメダリストたちが示しているように思えてなりません。

 日本人は確実に覚醒しつつあります!