永遠の0を見てみんなで語り合う会を実施しました。 | 井上政典のブログ

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 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 まず、最初に昨日の記事の訂正を行います。

 靖国神社の参拝客数ですが、コメント欄への投稿により私が書いたのは2チャンネルのデマだったことが判明しました。

 200万人というのは、でたらめであり、さっそく靖国神社に確認したところ、今年三が日の参拝者は30万人だったそうです。

 それでも昨年よりも25000人ほど増えており、25000人の人が新たに新年の初詣に靖国神社の英霊の方々へのお参りを選択されたことがうれしくてたまりません。

 記事の内容に誤りがあったことを訂正してお詫び申し上げます。

 
 さて、昨日は友人の磯崎氏の発案で永遠の0をみんなで見て語ろうという会をFBで企画したところ、急な告知にもかかわらず、映画は8名、そしてその後の語ろう会には17名の参加者があり、たいへん盛り上がりました。

 20代後半の学校の先生をしている磯崎君が映画を観た直後にフェイスブックでみんなで見て語る会をしたらどうでしょうとあったので、すかさずやろうと返信しました。

 映画を観て、私が0論を語り、その後みんなで盛り上がろうという企画でしたが、17名の熱い方々と3時間のお酒を飲みながら0論を語り合いました。

 私は今回2回目の鑑賞だったのですが、よく考えてみると同じ映画をお金を払って2回も見たのはタイタニック以来だったと記憶します。

 それでも、タイタニックも2度目は一度目よりも印象が薄く、ドキドキ感もあまり感じることはなかったと記憶しています。

 でも、永遠の0は2度目の昨日の方がより深く理解ができました。

 ここからはもろに中身を書いていきますので、ご注意ください。

 冒頭の名優 故夏八木勲さん演じるおじいちゃんが長年連れ添ってきたおばあちゃんと火葬場でお別れするシーンから始まります。

 火葬場の扉が閉まったとたんに、崩れ落ちるようにおじいちゃんがうずくまって泣くのです。

 1回目も原作を読んでいたので、その意味するところは理解していましたが、2回目は井上真央ちゃんの健気な激動の戦後を生きた女性を演技を思い出し、夏八木さんの名演でこの二人の夫婦が戦後をどれだけ支えあって生きてきたかを彷彿させる場面でした。

 2度目を観に行かれるとこの最初のシーンからぐっと胸に迫ってきます。ここだけでも2回目を観に行ってよかったと思うほどです。

 監督の小粋な演出がところどころにひかります。

 記者会見で私の質問に答えていただいた;
 「私はエンターティメントを作ったのであり、イデオロギーをまったく入れていません。そして自分の主張をいろんなところに置いています。それを観た人が各自の思いで持って帰ってもらえばいいのです。」

 という意味が2回目でさらによくわかりました。

 映画の中での宮部は自分の愛する者、大切に思う人に対して同じようなしぐさをします。

 みなさん、わかりますか?

 それは、頭と頭をくっつけるのです。

 最初は自分の部下が「被弾したら自分は潔く自爆します」と言った時に、「あなたには家で待っている家族はいないのですか?」と詰め寄るシーンです。

 岡田准一の鬼気迫る「生」に対する執着心がそこには描かれています。

 そしてその井崎は海上に不時着水して9時間も泳ぎ切って助かったという話をします。それは、宮部の生への執着心が伝わったからです。

 そして2回目は、生まれたばかりの我が子に初めて会う時です。

 その時の岡田准一の目は限りなく優しく、愛おしい我が子のために俺は命を懸けるという優しさの中に強い決意が見られます。

 これは、今は失われつつあるものではないでしょうか?

 優しい男性はいますが、そこには強さがみじんも感じられません。ただ、相手が望むとおりにしてあげるだけの優しさにしか見えないのは私だけでしょうか?

 でも、我が子に初めてそして最後の対面で宮部は自分が何のために戦っているのかをはっきりと自覚するはずです。

 そしてこの子のためにも生きて帰ることを決心するのです。

 この上記の2つのシーンは1回目で気づいていました。

 今回の鑑賞で3つ目のシーンを確認したかったのです。

 どこだかわかりますか?これを昨日の会で話すと皆さんわかりませんでしたよ。

 それは宮部が特攻に志願し、黒板に自分の名前が書かれたのを見て、静かに立ち去ろうとしたときに、やくざの親分の影浦が追いかけていき、どうしてだと声を荒げて宮部に迫るシーンです。

 上の命令に文句を言うのかと周りに体を止められるときに、宮部は影浦にすっと迫り、頭をつけて「いいんだよ」というシーンです。

 これはあたかも剣豪がすっと間合いを詰めるがごとく相手の懐に入り込むようです。

 宮部と影浦がお互いを優秀な戦闘機搭乗員として認めあっていることを見事に表していると思います。

 だから、宮部はすっと相手の懐に入り込みます。これは武術をしたことのある人なら、すぐに理解できるはずです。

 その時に、影浦は自分は自分の命に代えても宮部が見事任務を果たせるように守りきると決心します。

 しかし、それはエンジンの不調でかないませんでした。

 それが戦後この人の人生のトラウマになってくるのだと思います。

 その呪縛を解くのが、2度目に覚醒して訪ねてきた宮部の孫なのです。
 
 人によっては、あの原作にない若者の合コンシーンはいらないという人もおられますが、今まであの若者たちと同じ場所にいた孫が数々の時代の生き証人の話を聞くうちに、つまり歴史を学ぶうちに覚醒して、今までの仲間たち、いわば普通の若者から歴史を託された日本人に変身したことを示す重要なシーンとなるのです。

 そしてやくざの親分から自分のおじいさんの壮絶な人生の最期を伝えられるのです。

 前にも書きましたが、そして私がこの映画で一番違和感を持ち、そして一番好きなシーンである、影浦が宮部の孫をハグする場面になります。

 2度目の鑑賞で、この場面に込められた影浦の思いが強烈に入ってきました。

 俺は宮部機を護れなかったが、その家族は守った。そしてこんな立派になった孫が目の前に立っている。そこには明らかに宮部の一部があり、そこに失われたパーツを自分の語りによってはめ込んだという思いです。

 そして一度は見失った宮部がここに生きているという継承を実感する思いです。また会えたな戦友という思いでしょう。

 そして最後は、この俺たちの思いをしっかりと受け止めてくれてありがとう、あとは君たちに託すよという思いなのでしょう。

 いろんな監督および脚本を書いた山崎監督の思いが込められたシーンだと思います。

 今回は前回ほど戦闘シーンが入ってきませんでした。

 それよりも人の心のひだが閉じたり開いたりする様を見ることができたと思います。

 冒頭のシーンで吹石一恵が演じるお姉さんが、宮部久蔵のプロフィールを言うシーンで、「遺書もなく、生きた痕跡がないのよ」と言います。
 
 これは、壮絶に短く濃く生きたおじいちゃんの人生を語るにはあまりにも不敬な表現です。

 でも、私たちは同じことをしているように思えてなりません。

 それが靖国神社問題です。

 あの神社に祀られている英霊の方々のお一人お一人にそれぞれの人生があり、それぞれの家族があり、悲しみ苦しみそしてささやかな幸せがあったはずです。

 それをすべて知ることはできません。

 だからこそ、あの場所に出向き、感謝と尊崇の念を捧げるだけでも顕彰になるのです。

 新年は福岡県護国神社に参拝しました。26日に上京するので靖国神社に参拝します。

 前回一緒に永遠の0を観た妻もこの案に対して何の文句も言いません。それよりも靖国神社に行くのを楽しみにしているようです。

 その思いを持ちながら、東京都知事選の候補者を見ると、田母神候補以外の候補者が空虚に見えてしょうがないのです。

 この人たちは何を腹に入れて政治をしてきたのだろうと、訝しく思えてなりません。

 背は小さいながらも、堂々と大地に足をしっかり踏みしめ、背筋をぴんと伸ばして日本のそして東京の未来を語る田母神候補が頼もしく思えてなりません。

 永遠の0の政策委員会に「朝日新聞」や「西日本新聞」といういわくつきの左巻き新聞が名を連ねていますが、これは内部にはちゃんとした愛国者がいることを内外に示しているのではないかと思っています。

 上部を覆いかぶさっている売国奴たちがいなくなったらここも普通の新聞になるかもしれません。そのためにはもっと激しい経営危機を感じねばなりませんが・・・。

 最後に「ラストシーン」について語ります。

 あの岡田准一演じる宮部が一瞬にやっと笑うシーンのことです。

 彼は志願兵です。そして戦闘機乗りという最も激烈に戦うことを求められた役目を自ら求めてきました。

 しかし、家族ができて守るものができた時に、命をいつでも捨てて良いと思いを封印したのではないかと思います。
 
 だから、生き残るためにいろんな工夫や努力をしたのです。そして技量も特攻のお手本のような突入の仕方を最後するのです。

 これは、井崎が宮部に「前にほかの空母に乗っておられたのですか?」と声をかけるシーンがあります。

 すると宮部は「お手本通りにしただけです」と答えます。

 それを最後にするのです。低空で目標に近づき、空母の船尾から反転急上昇後に急降下して突入するという極めて高度な技量と死をもいとわない大胆な肝っ玉が要求される特攻技術です。

 そして最後の最後ににやっと笑います。

 それは、戦闘機乗りとしての野生の本能を解き放った瞬間の笑みではないかと昨日観て感じました。

 それはいろんな人生のしがらみをすべてすててただ戦闘機乗り、つまり武人としての本望を果たすことができたという満足感です。

 宮部は人生の最後に自分の思いを遂げたのです。

 短いが素晴らしい人生だったと思います。 

 まだ観ていない人はすぐに、そして一度観た方も二度目は違う見方で観ることができる奥の深い映画ではないでしょうか?

 ぜひ複数回見ることをお勧めします。