終戦の詔勅 その4 日本と共に戦った国々 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 「日本と共に終始東アジア諸国の開放に協力してくれた同盟諸国に対して遺憾の意を評せざるを得ない」と訳したお言葉があります。

 左巻きの人たちの意見を聞くと、日本の軍部が独走し、周辺諸国を巻き込んで戦争の悲惨な結末に追い込んだと言われます。

 では、あの時に日本が立ち上がらなければどうなっていたのでしょう?

 戦後の民族自決運動は起こらず、未だにアジア・アフリカ諸国は欧米列強の植民地下にあったかもしれません。独立していても、その独立した日時はずっと後だったことは間違いありません。

 そして一般的に植民地から無血で独立した例は聞いたことがありません。からなず独立戦争という同じ民族が血で血を洗う悲惨なことが起き、そして肉親を殺された憎しみがまた憎しみを産んでなかなか収束しないのが世界の現状です。

 インドには、チャンドラボーズという独立の指導者がいました。シンガポール攻略戦の時にイギリス軍として戦うインド人に対して日本軍に投稿し、祖国の独立のために共に戦おうと呼びかけ、たくさんのインド兵がそれに呼応したため、イギリス軍は撤退を余儀なくなれ、シンガポール要塞は陥落します。

 長いあいだイギリス軍の一部として戦ってきたインド兵が造反する行為をするということは、一致団結して敵に当たらなければならない軍隊にとってこれほどきつい一撃はないのです。それによって自軍を信用できないイギリス軍は降伏します。

 その時の日本の将軍は山下奉文中将であり、マレーの虎として恐れられ、戦後その仕返しを受け、戦時裁判で処刑されます。

 これと同じ戦いをインパールでもしようと試みますが時すでに遅し、ただの無謀な作戦として評されるようになります。あと一年早くこの作戦を始めていればと後出しじゃんけん的な考えでは思うのですが・・・。

 ビルマではアウンサン将軍の舞台を日本軍が指導し、祖国独立運動を指導します。ただし、日本軍の配色が濃くなってきた時に、ビルマ軍は日本軍を裏切る形になります。

 戦術上は裏切り行為ですが、大東亜の開放を図るという戦略上は無用な戦力の消耗を避けて、来る祖国独立運動のために戦力を温存するという作戦であったと解釈しますし、それを日本軍参謀は容認したと思っています。ここは解釈が異なる点だと思いますが、日本軍もビルマ軍も英国からの解放を目的として戦った同士であり、その目的を図るためにも必要な措置だったと思います。

 現在、ビルマはミャンマーとして生まれ変わり、軍政から民政に移管されていますが、乱立する反政府勢力のまとめ役は一人の日本人僧侶が担っていることを知る人はまだ少ないと思います。

 井本氏は十数年前からビルマに入り、反政府勢力の民生支援を続けれおられました。内戦集結をするためにビルマ(ミャンマー)政府が行ったのは、井本氏の支援を全面協力するということでした。それにより、日本財団、日本政府も援助の手を差し伸べることができるようになりました。

 井本氏は、反政府勢力の少数民族の指導者たちに絶大な信頼を寄せられ、この人なしではまとめる事ができなかったと言われる人物です。直接話しをして、その誠実な人柄、そして大胆な行動力は類まれなるものを感じました。この方は平成の明石元二郎といってもおかしくないでしょう。

 その活躍もその人柄と行動力は当然ですが、先人たちが積み上げてきた日本人に対する信頼感が大きく寄与したと思っております。もし、左巻きの連中が日本軍が悪いことをしたということが本当ならば、その子孫である井本氏は信用を勝ち得ることができなかったでしょう。

 ミャンマーはCHINAのパイプラインを当す計画を承認しています。自国に通すということは、いつでもその栓を閉めることができるという弱小国ならではの気概が感じられます。

 インドネシアもオランダから独立をする際に日本軍人が現地に残り、義勇兵として勇敢に部隊を指揮し、インドネシアを独立へと導きました。ベトナムなど他の国もそうです。

 日本は戦争に敗れましたが、その当初の目的は多大な同胞の血を流しながらも、達成することができました。

 これが先帝陛下の意を汲んだ日本軍将兵の戦後の行動につながったのです。

 CHINAや韓国では政策上、反日政策が取られています。その教育からされています。でも、日本の文化である漫画は彼国に深く浸透し、隠れ日本ファンを作っているのも事実です。

 陛下の詔勅を聞いた日本将兵が現地での作戦を支援し、独立を果たしたのではないかもしれません。でもその思いが確実に伝わったからこそ、現地で命を捨てても独立運動にすすんで手を貸したと思っています。

 それが当時の日本人の義侠心ではなかったのでしょうか?私たちはそれをもっと知ろうという気持ちを持たねばならないと思います。