終戦の詔勅の解説 その2 どうして戦争を始めたのか? | 井上政典のブログ

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 昨日の終戦の詔勅の解説の続きです。この先帝陛下のお言葉の中に、当時の日本がどのような状態に置かれていたか、そしてどのような考えから戦争が始まったかの鍵が隠されています。

 それをどうとるかは、読者の判断にお任せしますが、日頃マスコミが言っていることや学校で習っていることとは違うと思います。それが正しいかどうかではなく、日本が当時どのような環境下にあったかを知ることは大切だと思います。
 

>>>訳文の第三段落

 
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。

>>>引用終わり

 米英二カ国に宣戦した理由が「本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う想いから出たもの」とあります。

 教科書やマスコミとくにNHKなどが戦争が始まった原因を語る際には、「軍部の暴走」が主な理由になることが多いのですが、その時点の国際環境はほとんど語られません。

 CHINAに関して、日本がはじめて軍隊を駐留させるのは、義和団事変(1900年)からです。

 「扶清滅洋」(清王朝を助けて、西洋を滅ぼそう)というスローガンの下起きた暴動を清国が何もせずに、逆にそれに乗って合法的に清国に入国していた外国人の命を奪ったり、危険に曝しました。

 清国の外国政策の無策が引き起こした国内を混乱を自分たちからそらすために、外国のせいにしたため起こりましたが、これが現在の反日デモに重なって仕方がありません。

 現在のパスポートに「これを持つ人は日本人で、それを保護してください」というようなことが書いてあるのですが、これは合法的に入国した外国人を保護するのはその国の政府の責任だということです。ところが、暴徒にのっかかり、うまく行けば欧米列強を排除でき、自分たちへの不満をそらすことができるかもしれないと考えた清国は保護するどころか、暴徒を助けます。

 そこで55日にわたる北京城の篭城戦になるのですが、ここで奮闘するのが日本帝国海軍陸戦隊を率いる芝五郎です。それをみたイギリス公使が日本は頼りになると気付き、日英同盟を単独でかつ対等の同盟を結びます。

 この同盟のおかげで、後の日露戦争の際に、バルチック艦隊の欧州からアジアへの大航海の際にイギリスの港へ寄港できず、良質な石炭や水や食料がそしてなにより艦艇の整備ができずに半年もかかってぼろぼろになって対馬沖に到達し、そこで連合艦隊に一方的な敗北を期するのです。

 もし、補給や充分な艦艇整備や乗員の休息が行われていたら、あれだけの一方的な勝利になったかどうかは神のみぞ知るという結果になったでしょう。

 北京篭城戦の後で各国が話し合い、自国民保護のために最小限の軍隊を駐屯させることを認めさせたのです。もし、清国政府が外国人保護を履行していたら、このようなことにはならなかったでしょう。

 でも、清国は国際法を知らなかったのか、傲慢な態度で無視したのか外国人の保護義務を怠ったために、列強に付け入る隙を与えました。

 そして上海などには租界という治外法権の場所ができ、今でも当時の統治国の面影を残した町並みが残る場所があるそうです。

 ここで強調したいのは、日本だけが軍隊を駐屯させたのではなく、ロシアもイギリスもフランスもドイツも駐屯させました。その後、ロシアは満州に大兵力を展開し、ほぼ実効支配しているような状況になるのです。そこで、日本の安全保障に多大なる危険性、次は朝鮮半島、そして日本へと脅威が高まったきたのです。

 そしてついに1904年にロシアとの戦争を始めます。

 積極的に日本が戦争をし始めたのではなく、ロシアの南下政策という脅威に対抗するために仕方なく戦争をしました。時の総理大臣の伊藤博文は何度も開戦の決定を跳ね除けます。

 陛下の意思として、詠まれた和歌が、
   四方の海 みな同胞と思う世に なぞ波風の立ち騒ぐらむ 

 でした。この和歌は、昭和天皇が大東亜戦争を決断される際にもお示しになり、本当に今戦を始めなければならないのかと暗にお示しされたのでも有名な和歌です。

 日本がロシアの脅威をなんとか跳ね除けようと渾身の力を振り絞ってしているときに、東南アジアをはじめ、北欧諸国、そしてロシアの衛星国といわれる国々は、小国日本がなんと無謀な戦いを同情してみていたのです。

 ところが、大方の予想に反して日本が大国ロシアを破るという大金星をあげました。そして、そのことにより、何代にも渡って続いていた白人優位が崩れ始めるのです。

 たとえば、イギリスはインドを実質的に支配し、そして19世紀には植民地化します。それは、自分のおじいさんのおじいさんの時代からご主人は白人という意識が植え付けられ、それが当たり前になっていた時代です。

 インドネシアはオランダに、フィリッピンはスペインからアメリカに宗主国が勝手に変わりました。ミャンマーもイギリスですし、ベトナムはフランスからの支配を受け、教育を施さず、低賃金で奴隷のような身分を強制し、さもそれが当たり前のように振舞っていた時代です。

 日本がはじめて有色人種として白人を打ち負かしたことは、抑圧された民族の目覚めた指導者に希望の光をもたらしました。そして独立のための戦いが始まるのです。それを支援し、一緒に戦うのが日本だったのです。

 イギリスの固有の領土を一寸たりとも侵していません。フランスの固有の領土も、オランダもそうです。ただ、植民地として抑圧されているアジアの同胞を助けたのが日本なのです。その思想は大東亜共栄圏構想というものであり、先の大戦は、大東亜戦争と呼んでいましたが、戦後GHQによって太平洋戦争と呼ぶように指導を受け、今でも放送コードでは、大東亜戦争といえば引っかかるそうです。

 これが、「東アジア諸国の安定とを望み願う思い」なのです。

 日本の軍部が勝手に戦争を始めたとまことしやかにいう学者がいますが、その人は軍隊が作戦する場合にどれほどの莫大な費用がかかるかを知らないでいっているのか、知らん振りして軍部が悪いだけとうそを言っているのかのどちらかでしょう。

 その予算は、国会で承認されないと軍隊は戦闘を継続できないのです。

 なぜ、戦争が始まったのかというときに、この当時の国際情勢を明確に知ることが重要です。

 その情報を知ってもまだ日本軍部の暴走だといえるのでしょうか?