名文で書かれており、凄い内容ですが現代の若者には難解すぎて理解ができません。よって、ネットの資料を参考にしながら、細かいところに手を加えて私なりの訳文を作成しました。ここに掲載したいと想います。
終戦の詔勅
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、支、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾するよう下命するに至った理由なのである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
私は、ここに国体を護持し得えたので、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強くおそれるところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
いかがでしょうか?
これを一緒に聞いた友人がひとこと、『この文章はGHQの干渉を受けていない最後の文章だ』と。
そうです、この後の政府の文章は占領軍であるGHQの思惑の入った文章になっていますが、この終戦の詔勅だけは、当時の日本のありのままの姿を先帝陛下がお話になりました。
たとえば、「非常の措置」というのは、大日本帝国憲法下に置いても天皇陛下は国民に命令ができませんでした。だからあえて非常の措置で戦争をやめるように命令されたのです。ここを誤解している人ばかりであり、先の大戦は天皇陛下が始めたのではなく、国民の総意で始まったのです。
たとえば、米英支蘇(アメリカ、イギリス、CHINA、ソ連)の宣言を受け入れるとしながら、「先に米英二国に対して宣戦した」とあり、米英にはきちんと宣戦を布告して戦いを始めたが、ソ連の火事場泥棒的行為やCHINAとは戦争をしていないことをはっきりといわれています。
こう書くと「おかしい!」と指摘を受けそうですが、当時の大陸は、汪兆銘の南京政府、蒋介石の重慶政府、そしてゲリラの毛沢東の三つの勢力が存在していました。
日本は南京政府(汪兆銘首班)と和平協定(1日訂正)を結んでおり、平和を約束していました。蒋介石率いる国民党とも和平交渉をしていましたが、ゲリラ的な共産党によってそのつど邪魔をされていました。
そのゲリラの掃討作戦は大陸で行っていましたが、当時のCHINAを代表する政府である南京政府とは戦争をしておらず、ゲリラの掃討作戦、治安維持活動をしていただけです。
現在大陸を支配している共産党軍は日本軍とまともに戦ったこともなく、歴史を捏造しているために、平気で30万人も南京で虐殺されたとうそを言っています。
南京入城の二年後には親日政権が汪兆銘を首班として成立しており、30万人も虐殺したところでどうして親日政権ができるのか誰か説明して欲しいと思います。
この汪兆銘政権のことはタブー視されて歴史から消されようとしていますが、孫文の正式な後継者として民のために和平を願ったきちんとした政治家であり、私欲に走った蒋介石よりも立派な政治家だと想っています。
戦後、国民党と共産党が内戦を始めた時、蒋介石には世論が集まらず共産党から台湾に追い出されたことを考えれば、すぐにわかると思います。もし、蒋介石が立派な政治をしていれば、対日戦の代表であった人間が国を追われるはずがありません。
蒋介石の棺は最近まで本土に埋めることができるように、置いてあるだけでした。決し台湾に骨を埋めるつもりなどなかったのです。
ほんの数行でも、書いても書き足りないくらいの説明が必要となります。それがこめられているのがこの終戦の詔勅です。
今後も中身の解説を載せていこうと思っています。