京都 亀岡市の無免許暴走事件の加害者少年の反省文 | 井上政典のブログ

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 今年の4月に京都亀岡市で起こった無免許の少年による登校中の子供や父兄を10人死傷させた事件の公判で、この少年が書いた反省文が遺族を激怒させています。

 提出された反省文は2通で、8月20日付の文章では「事故を忘れたことは無い。今後は悪い人とかかわらず、仕事についてまっとうに生きる」とした上で、「将来、子供が産まれ親となり家庭を持ったら、子供に『無免許運転は絶対するな』と言いたいと」などと綴られていたそうです。
 
 この少年は、この文章をどのような気持ちで書いたのでしょう?

 本当に自分の起こしたことを理解しているのでしょうか?

 大切な子供や奥さんや家族を亡くした遺族の気持ちをどこまで理解しているのでしょうか?

 細やかな心の情というものは、健全な家庭で無いと育まれないと思っています。当然例外はありますが、きちんとした生活習慣を持つ家庭で育ち、できるだけ家族と一緒に食卓を囲み、一家団欒をする家庭に育たないと親子や家族の大切さは理解できないかもしれません。

 もちろん、単身赴任で家族から遠く離れているお父さんに感謝の意を捧げつつ留守宅で暮らす家庭の食卓や、食事のときにまず仏壇に上げてからみんなで食事をする家庭もそうです。

 とにかく食事とは栄養を取るだけのものではなく、家族が今日会ったことを話し、笑いあい、時々喧嘩をし、帰りが遅かったら心配をする家庭が普通の家庭と思っていますが、皆さんいかがですか?

 朝起きたら「おはよう」と声をかけ、トイレの順番を争い、おいしいものを分かち合う家庭。

 少年はきっとこういう家庭では育っていないのではないでしょうか?

 この事件が起こったときに、私はこの少年に厳罰をと書きました。今でもそれはまったく変わっていませんが、少年法で篤く守られているのなら、その代わりに親が責任を取っていいのではと思うようになりました。

 人が車であろうが、刃物であろうが重大な故意によって人を殺した場合、殺意がある無しにかかわらず、被害者の人生とその遺族の人生に対し多大な損害を与えた場合は、きちんと償いをすべきです。

 それを少年だからという理由で無免許運転、それも何度も繰り返しているから免許が取れない状況だったそうです。こういう信頼の関係で成り立っている社会の秩序を乱す行為を許すわけには行きません。

 少年が5年ほどの懲役で済むのなら、一般人の懲役年数との差を親が取るようにすべきではないかと考えます。

 人権派と呼ばれる弁護士がいつも使う手に、少年の生育環境をあげつらいます。それによって刑が軽くなるのならば、その原因を作った親がその罪を変わりに受けるべきではないでしょうか?

 遺族にとっては、今まで大事に守ってきた家族をこの少年と、この少年に運転をさせた車の所有者によって破壊されました。それは遺族の「かたきとってやる」と言葉に良く現れています。

 私も同じ状況だったら同じことを言うでしょう。

 皆さんも、もしこれが自分のだったらと考えてみてください。

 最近、交通道徳が乱れてきていると思います。運転が荒いと有名な福岡の私が言うのもなんですが、平気で赤信号で突っ込んできたり、自転車を乗りながらメールをしたり、横断歩道でもないところを横断する歩行者がいたりしています。

 いちいち細かい規則を作るのではなく、みんなが安全に快適な生活をするために必要な道徳の見直しが必要でしょう。道徳や人権というとなんだかわかりにくいのですが、「人として正しく生きる道」をみんなで学ぶ必要があるように思えてなりません。

 子供たちが小さいころ、食事のときはテレビを消して食事をしていました。仕事柄夜が遅く、朝しか時間が無かったので、朝食をみんなで食べるように心がけていました。そのため、できるだけ前の日に次の日の仕事の算段を終わらせるようにしていました。

 元気に食事を食べる姿を見ながら、運動会やお遊戯会の練習の模様を聞いたことが頭の中に蘇ってきました。

 こういう思いを遺族の方はあの子供さんや奥さんとはできないと考えただけで目頭が熱くなります。だから、人を傷つけないように思いやりの心を持たねばならないのです。

 でも、それができていない人間が社会に放置されれば、またこの悲しみを突然味合わなければならない普通の家庭の人たちが出てきます。

 だから、厳罰に処すべきです。初犯ならともかく、いままでさんざっぱら悪いことをして警察にも捕まっているのだから、それらも加味して判断すべきだと思います。

 この亀岡市の事件の被害者のためにも、そしてこれから被害にあうかもしれない私達のためにも。