今日は先帝陛下のお誕生日です。 | 井上政典のブログ

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 在位64年間、途中に大東亜戦争という日本史上最大の敗戦を経験され、戦後、戦前という世の中の価値観が大きく変わった昭和の時代の天皇陛下のお誕生日が今日です。

 昭和天皇について今日は少し書きます。

 先帝陛下の幼少のころの乳母が、終戦時の首相であった鈴木貫太郎の夫人になります。鈴木は日露戦争の時に水雷艦隊の司令官としてその勇猛果敢な指揮振りが有名ですが、その後226事件で青年将校の襲撃で体に数発の銃弾を受けて血だるまになります。止めを刺そうとした青年将校に『もう充分でしょう』と体を張って止めたのが、この夫人でありました。

 何とか一命を取り留めた鈴木貫太郎は、終戦工作の密命を受けて総理大臣として組閣します。その際にいろんな人が候補に挙がりましたが、昭和天皇は鈴木貫太郎に組閣を命じます。鈴木も終戦工作をしたら、陸軍から命を狙われるのがわかりきっているのですが、あの時に永らえた命はこのためにあるのだといって大命を引き受け、見事その任を果たします。

 大日本帝国憲法下でも天皇陛下に権力はなく、権威だけでした。簡単に命令を出せるものではありません。組閣も元老院が陛下の心中を忖度しながら名前を出していくのですが、鈴木以外の総理はないという強い意思を表されたそうです。

 戦後、空襲で荒廃した全国を行幸され、国民を励まされました。当時この申し出にGHQ(進駐軍司令部)は、きっと天皇に石でも投げつけられたらいいのに思う気持ちで許可したそうですが、それとは裏腹に全国各地で天皇陛下の行幸を歓迎しました。

 全国各地を回られた陛下が崩間近の時に、病床でポツリと『もうだめか』とおっしゃられたそうです。だれもが、もうご自分のお体のことをいわれていると思ったそうですが、陛下のもうだめかというお気持ちは、その後に「沖縄には行けないのか」というお言葉が続いていたのです。

 ほとんど動けなくなった病床においても戦禍にあった沖縄を心から心配されていたのです。

 この話は自由社の歴史の教科書に載っていました。私はこの歴史の教科書で子供たちに学んで欲しいと心から思いました。

 天皇陛下のお心を少しでも学び、国民と一体化した日本独特の日本的民主主義つまり、君臣一如の国体をしっかりと後世に伝えて行きたいと思います。それを少しでも思い出すのが今日ではないでしょうか。