今こそ被害者の権利に光を! | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 京都府亀岡市の無免許の少年による殺人事件の加害者の父親に、被害者の個人情報を警察が漏らしていたというお粗末なおまけがつきました。

 昨日のニュースを見ていてびっくりしたのですが、加害者の父親がお詫びをしたいという気持ちはわかるにしても、被害者の遺族の気持ちを考えず、そしてその了解も取らずに携帯電話の番号を教えるとはあまりにも心配りの足りない警察の対応は非難されても仕方ありません。

 私も以前、交通事故を目撃し、けが人の収容を手伝ったときに、そのけが人からお礼を言いたいとの申し出が警察にあり、警察から電話番号を教えてもいいかという確認が入りました。もちろん、大丈夫かどうか聞きたかったので、『いいですよ』といって電話番号を教えることに同意しました。

 福岡県警はこうやっていましたが、京都府警は違うのでしょうか。

 被害者のお父さんが記者会見で、こうやって顔をさらし個人情報までもみんなにさらされている。そして、悲しみにくれている時にたくさんの報道陣が来て同じ事を何度も聞いていく、葬式をして送り出してやろうとしていた矢先に、加害者の父親からの電話が入るなんて、いつ私たちは心を安らかにすればいいのか」というようなことをおっしゃっていました。

 この事件は、妊婦やその胎児、そして罪もない集団登校をしていた子供たちを一瞬にして地獄に落とした痛ましい事件で世間の関心も高いのですが、あらためて浮き彫りになるのは、被害者の人権よりも加害者の人権が不当に守られすぎているということです。

 個人情報保護法は、守るべき個人情報は生きている人の情報であり、亡くなった方の情報は保護する対象ではありません。

 裁判でもいつも不可思議なのは、特に未成年の場合は「加害者の更生の機会を与えるために」という文言です。

 光市の母子強姦殺人事件でもそうでした。長い間、裁判をして途中から『どらえもんが何とかしてくれると思った』など、私が被害者の家族ならば法廷で怒鳴り散らしたいほどのふざけた意見を難関の司法試験を受かって弁護士をされている人権派と呼ばれる先生たちの口から出てきました。

 光市といい丸岡市の事件といい、これほど残虐で悲惨な事件を起こしておいてまだ更生の余地を残すなんて考えられません。なくなった被害者及びその家族は今からずっと悲しみとともに生きていかなければならないのです。

 未成年だから、氏名は公表できません。

 未成年だから、更生の機会を与えなければなりません。

 未成年だから、死刑は適用されません。

 車の事故だから、道路交通法が適用されます。

 飲酒運転ではないから、危険運転致死傷罪は適用されません。

 法律を突き詰めればこうなるのですが、納得できないのは私だけではないでしょう。

 秘書がやったことで、自分は知らないからと小沢氏は無罪になりました。監督責任とはまた別問題だそうです。なんかこの二つの事件では司法の限界を感じます。

 でも、光市の母子強姦殺人事件では被害者の夫の本村氏の勇気ある行動と発言により、世論が動き死刑判決が確定しました。飲酒運転で子供を亡くした母親の涙の訴えで、厳罰が書せられるようになりました。

 いまこそ、こういう未成年でも悪質な違法行為に対して社会が処罰する仕組みを作らねばなりません。

 ぐれたのは社会のせい? 同じような境遇にある子供たちがみんなそうならば私も認めますが、一所懸命に逆境を跳ね返そうとしている人を一杯知っています。 そしてその人たちを少しでも助けようと懸命に活動している人もたくさん知っています。

 車の事故だから道路交通法?でも、運転免許を持たない不適格者が運転していた場合は道路交通法で裁くのはいかがか。何のための免許制度なのか?危険だから、つまり他の人に危害を与える可能性があるからでしょう。それをわかって運転していたならば、明らかに故意でしょう。

 未成年であっても、死刑判決を下されるようになりました。

 ならばこれらの問題も私たちが声を大きく上げることにより、解決できるはずです。

 飲酒運転の事故に厳罰をという運動をされた被害者の親御さんや拉致被害者の家族が街頭で署名を集め始めたころは、世間の目は冷たいものがありました。でも、やっとそれが大きな間違いだと世間も気付いたのです。

 今こそ行き過ぎた加害者の人権の保護を是正し、普通の人間が普通に暮らしていける社会に早くすべきです。すると、限りなく黒に近い小沢が白になることもなくなると思います。