あの悪名高い五百旗頭氏の講演を聞いてきました。それも毎日新聞の主催です。
接点は、地方放送局に勤務する友人から誘われたからですが、行ってびっくりしました。いつものように一番前に座ったのですが、後ろを振り返ると誰一人知らない顔ばかり。
『なに言ってるのこいつ』と思われるかもしれませんが、大体色んな会合に行くと少ない時で四・五人、多い時は数十人知った顔があるのですが、今回は誰も知らない顔ばかりでした。やはり、層が違うのだなと得心しましたが、講演の内容にはちょっと期待していました。
あれだけ、保守系から叩かれる人の話だからどんな突っ込みどころがあるのか楽しみにしていました。
でも、一時間の講演を聞いて正直なところ『何だこれは』というよう内容でした。
突込みどころのない、当たり障りのない、言い古されたことばかりで、別に集まって話を聞かなくても良いだろうという内容でした。
ただ、松島基地が津波でやられた時に、『飛行機が3分で飛び上がれるのに、どうしてみすみす津波で流されたのか憤った』と自分が防衛大学の校長をしてるのに部隊の運用に関してはまったくの素人さを暴露していました。
ジェット戦闘機は、猛烈な勢いで空気を吸って、それを圧縮機で酸素の比率を高めて、効率的に燃焼させて強力な推進力を得ます。そのために滑走路に小さな石や破片が散らばっていると簡単に吸い込んでしまいエンジントラブルの原因となります。そのために約1000mの滑走路を人の目で確認する作業が発生し、もし、それをしていたらたくさんの松島基地の隊員が津波に飲み込まれていたことでしょう。
それを後で聞いて納得したと自慢げに話されていましたが、そんなことも知らない人が防衛大学の校長をしていたのかと思うとびっくりしました。
松島基地の司令官の全員高いところに上がれという命令は、的を得たもので、機体は一機数十億しますが、それよりもそれを整備する人材を亡くす方がどれだけ大きな損失かを理解したすばらしい判断だと思っていたので、この程度の認識しかなかったのかと思いました。
まあ、後にきちんと説明を聞いて理解したということで、田中防衛大臣よりましだということはわかりました。
いつものように講演抄録を作成しようとメモを取っていましたが、あまりにもインパクトが薄く、メモと記憶で書くのですが、その作業もできないような薄さでした。その他のことは突っ込めないような当たり障りのない内容でした。
実は、その前日田母神閣下に電話したところ、ちょうどお時間が合ったみたいでお話することができました。
私 「明日、五百旗頭氏の講演を聞くのですが、どんな人ですか?」
閣下 「彼は、左巻きの体制べったりの学者だよ。今は民主党政権だから民主党に擦り寄ってうまく立ち回っている。私が幕僚長の時はヘコへ越してお話に来ていたのに、追われた後は攻撃に回るような人だよ」
私 「なるほど、強いものに擦り寄るタイプですか?」
閣下 「まさにそのとおり、彼の復興推進委員会なんか、道端で人が倒れているのに、医者を集めてどのような治療方針を立てようかと話しているもので、応急復旧をしなければならない時に、本格復旧のことばかり話し合ってピントがずれているんだよ」
というような話をしました。まだまだ実際は過激な内容があったのですが、ちょっとオブラートに包んでいます。
なるほど、こうやって敵をできるだけ少なくしてうまく泳いできたのかと思いました。現在は熊本県知事のお誘いで熊本県立大学の理事長になっておられ、日月火を熊本、水木を東京、そして金土を家のある関西で過ごしておられるそうです。
ひとつだけ、大きな違和感を感じたのが、「この列島の住人は」という表現をされていたことで、どうして日本民族はとか日本人はといわないのかが不思議でした。
普通は講演を聞くと元気になるのですが、たった一時間なのにどっと疲れて、産経の連載の打ち合わせもあり、夜の竹田研究会をサボってしまいました。
ただ、こんな人をどうして防衛大学という国防の基幹教育組織の長にしたのか疑問でした。これは自民党政権のころです。やはり、自衛隊生え抜きの制服組が校長もすべきだと強く思うようになりました。
あっ、今日の産経新聞九州山口版には、「稀代の思想家 吉田松陰」の二回目が載っていますよ。ぜひ、産経新聞を購入して読んでくださいね。