CHINAが日本に「強烈な不満」を表明する。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 CHINA政府が、日本に「強烈な不満」を表明しました。

 これは、インドにあるチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相が訪日していることについて、「日本が訪問を放任していること」が我慢ならないらしい。

 もともとチベットは独立国であり、CHINAによって侵略された国です。私もひょんなことから、チベット問題ついての支援する立場をとっています。

 熊本玉名の蓮華院誕生寺の川原貫主さまなどのお手伝いをさせていただいて、先日も書きましたように登山家の野口健氏の講演会のお世話などもさせていただきました。

 おかげで、マスコミの報道では絶対に見られないようなすさまじい現実を目の当たりにしています。

 CHINAにやさしい民主党政権がどうしてチベット亡命政府の首相の入国を許可したかは知りませんが、自由の国日本に日本を友とみなす国の代表がこられることを拒むことはないし、CHINAからとやかく言われる筋合いもありません。


 こうやって「いつもCHINAと書いているのはどうして?」と友人から聞かれました。

 それは、隣の大陸にある国の名前は昔からころころと変わっていました。皆さんもご存知のように唐、漢、清、宋、元、金など王朝がころころ変わり、支配者も漢民族だけでなくモンゴル民族や満州族が支配していた時もある雑種国家です。

 それを「中国」と日本だけに呼ばせ、あたかも4000年以上続いている国のように見せかけているプロパガンダに歴史を知っている私は乗りたくないのです。

 中国とは日本の山陰・山陽地方のことで豊葦原の中つ国(とよあしはらのなかつくに)が語源です。つまり古事記の時代には既に存在している名であり、都がある場所を「畿内」といい、福岡の大宰府を「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼び、大陸半島との外交交渉を一手に引き受けていました。

 その中間の国、それが中国地方なのです。

 大陸の雑種国家が「中国」と国際法上の国家として名乗ったのは、1842年の「アヘン戦争」後の南京条約が最初といわれており、歴史上ずっと使用してきた日本の中国地方というブランド名を勝手に使っているというのが現状です。
 
 今になって商標登録などで問題になっていますが、CHINAは日本の「中国」という地域の名を勝手に国号に使い、それを日本に使うように押し付けているのです。これをしってまでもまだ「中国」と呼べますか?

 さらに数年前の「天洋食品」毒餃子事件をおこしたCHINAの会社によって、CHINA産の食品問題が大騒ぎになった時に、まったく関係のない日本の岡山市にあった中国食品は風評被害で倒産しました。

 ここから私は、日本だけに「中国」と呼び名を押し付けているCHINAのことをぜったいに「中国」とは呼ばないことに決めました。

 そこで、本来ならば「支那」と呼んでも良いのですが、友好的な性格の私は人が嫌がることをあえてしないということから、「CHINA]と書くようにしています。

 英語ではCHINAで問題ないのです。でも、戦後日本だけに「中国」と呼べと強要しているのです。おかしくないですか?

 そしていつのまにか「中国4000年の歴史」というようになりました。あるCHINA人がこの「中国4000年の歴史」というフレーズを使ったので、すかさず「何を言っているんだ「中国」が「中華人民共和国」の略称なら、たかだか60年だぞ」といってやったのです。

 すると、彼女は真っ赤な顔をして「しかし、4000年の歴史が・・・」といい始めたので、「国家というものは国家の中心が一緒であれば連続性を認めるが、大陸では漢民族、モンゴル民族、満州民族」といろいろ代わっているではないか。そんなのを統一国家と認めることはできない」というと下を向いて黙ってしまいました。

 日本は皇室という2672年続く日本の中心というべき存在がおわします。これが日本の価値であり、日本が日本たる由縁であるのです。

 反日勢力は、本当によく日本のことを熟知しており、ここをないがしろに思わせることが日本解体を容易にすることに繋がるとわかっているのです。さすがに今上陛下の悪口はいえないので、東宮を非難して国民と皇室の離反を図っています。

 言葉というのは、これほど深い意味があるのです。

 「中国」という言葉を安易に使うことなく、支那またはCHINA・チャイナを使うことをお勧めします。

 中国とは、まぎれもなく日本の山陰・山陽地方を表す言葉なのですから。