いろんな政治家やそれを志す人と会う際に必ずする質問が、
「あなたにとって日本人の定義とはなんですか?」です。
全員といって良いほどこの質問をされると、目を丸くして考え込みます。
今まで考えたこともなかったようです。日本人は日本人だろうという考えです。それも良いのですが、概念は人によって違うものです。
政治家や政治家を志す人は日本のためにとか、日本の未来の為にとか言うのですが、その「守るべき日本人の定義とは」と聞くと、みんな「???」なのです。
議論をする際は、鍵となる言葉をきちんと定義づけしなければ始まらないのが、欧米流の議論の仕方です。
いままで、共通の概念を多くの日本人が持っていたために、あまりこういう定義づけはひつようとされていませんでした。
しかし、日本人同士で議論をする際に、これをやらないために延々と議論をしてやっと出た結末が 命題の定義の違いがわかったことだったりよくします。
全体の総意を確認して進む時代はこれでよかったのですが、速度が要求される現代にはちょっと通用しなくなってきています。
それと、日本人もいろんな人たちが存在するようになり、同じ「日本人」という共通の概念がもてなくなってきています。
たとえば、鳩山由紀夫氏や菅直人氏は同じ日本人とどうしても思えません。
鳩山由紀夫氏がなぜか今でも政界に生存し、意見を言っている映像を見ることがありますが、どうしても同じ国の政治家と思えないのですが、皆さんはいかがですか?
それを許している民主党の政治家も同じ空気があるように思えてなりません。
産経新聞のN記者が一言私にこういいました;
「民主党の国会議員は信用ならない」
私が「以前民主党にも良いのがいるって言ってじゃない」という聞くと、
「あれは間違いだった。あの民主党に属しつづけることのできる精神状態を持った政治家にまともなやつはいない」と言ったのです。
きっと、信頼していた民主党のタカ派と呼ばれる政治家に失望したのです。二人の会話の際には具体的な名前が何人か出ていましたが、差しさわりがあるといけないのでここでは伏せておきます。
日本人は普通求心力を求めます。なにかあると自分のことはさておき、みんなと協同してことにあたろうとします。しかし、だんだん、「個」ばかりを主張している人たちが増えてきています。
これは求心力の反対で「離心力」だと思います。このやからの集団が民主党なのです。
つまり中心となるべきものがないのです。これは、民主党をよく見られている人にはよくわかると思います。
さて、前置きが長くなりました。
日本人の定義とは何か?
ぜひ考えてみてください。
私の答えは明日書きます。
あっ、それから明日は大牟田で田母神閣下の講演会があります。
光栄にも実行委員長から私に司会の大役と閣下の案内役をおおせつかりました。もし、大牟田の田母神閣下の講演会にこられる時は、声をおかけください。閣下と握手やサインをしてもらえるように取り計らいますよ。
私たちは、沖ノ島へ一緒に行った特別な仲間なのです。