もうすぐ一年になります。
2011年の3月11日、知らせを聞いてテレビをつけると、目に飛び込んできたものは黒々とした波が人を車を家屋を次々に飲み込んでいく姿でした。
たくさんの命が、財産が、伝統が、歴史が押し流されていきました。まさに地獄絵です。
大勢の人が天を仰ぎ、『神も仏もいないのか』と嘆き、悲しみの声を上げました。
現地に行く財力もすべも持たない私は、せめてもの罪滅ぼしに義捐金をいろんなところで申し訳なさそうに箱に入れていきました。
日本全国で「絆」という文字が溢れ、全世界からたくさんの義捐金が送られてきました。
でも、それから一年がたとうとしますが、福島はゴーストタウン化した町や村が点在し、東北各県も瓦礫の山があちこちに存在し、被害の大きさや悲しみの壮絶さを現地に行くと目と耳とそしてそこから放たれる異臭によって感じると現地に入った数人の友人から聞かされました。
京都では、五山の送り火を放射能を撒き散らすのかという一部の「市民」によって妨害され、私の住む福岡でも、東北の物産展をしようとしたらまた「市民」の反対にあって福島のものを締め出すという愚挙を行いました。
これが本当に絆のある国民だといえるのでしょうか。
ガレキの処理こそが、東北の痛みを全国で分かちあえることではないでしょうか?
さすが石原東京都知事です。早々とガレキの受け入れを表明し、受け入れを開始しています。神奈川県でも知事が受け入れようとしたら、「市民」が反対したと報道にありました。
どこが、「絆(きずな)」でしょうか。
痛みを分かち合い、耐え忍んで、一緒に立ち上がるまでを過ごすことが「絆」ではないでしょうか。
自分の県や市のガレキ受け入れの状態はどうなっているのか、市議や県議などに聞いてみましょう。町議でもかまいません。直接知らなければ、自分が投票した議員の事務所に電話を一本入れてみましょう。
とても小さな運動だと思います。でも、たくさんの人々がこれを行えば議員が動き、市や県が動くのです。これが民主主義です。
東北の痛みを少しでも分かち合うのは、復興の邪魔になるガレキを受け入れることではないでしょうか。
放射線の危険を言う人がいれば、きちんと検査して怖がる必要性はないと証明すれば良いことです。これは国が全額費用を出すといっています。
もともと低放射線は体に良いのです。それが世界の常識なのです。放射線は重金属などと違って体に蓄積しません。ラッキー教授の論文が世界の放射線障害の基準になっています。
耳のない兎が産まれたなどデマです。
高放射線の物質が見つかった東京の家の住人は、90歳以上までぴんぴんしていたとわかったとたんにマスコミから消えました。
善意でガレキを受け入れたところに怨霊も住みません。そこにはちゃんと魂を鎮める神社を建てれば良いのです。これが日本人ではないでしょうか。
マスコミは「きずな」を連発し、出演者もそう言っています。
政府の議員さんたちが自分たちの地元での受け入れを休みのときにお国入りして頼んで回ることをするほうが低迷する支持率を上げる方策ではないですか。
口先ばかり「きずな」と言ってももはやすまなくなっています。全国でわが町が受け入れることを早急に手を上げるのが、一周年に向けてのはなむけではないでしょうか。
私は先週から懇意にしている市議数人にこのことをお話し始めました。そういう日本が郷土が好きな「国民」が声を上げれば、必ず大きな動きになるでしょう。
皆さんも、市議や県議に働きかけてください。これが本当の日本国民の絆です。私たちは市民ではなく、日本国の国民であることを思い出して欲しいと思います。