神道と日本人の講演を聞いて | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 昨日、福岡県の総鎮守筥崎八幡宮の参集殿で政治ジャーナリストの山村氏の講演会がNPO夢・大アジア(石井英俊理事長)の主催で開催され、懇親会及び二次会まで参加してきました。

 日本文化の持つ、「一即多 多即一」の考え方が日本を救うという内容のもので、反日勢力はその反対、一つにまとまろうとする日本人をばらばらにしようとする勢力であるということを明言されていました。

 私とまったく同じ考え方です。

 戦後の教育で日本は、「命が一番大事」と教えてきました。しかし、日本人は、自分の命が自分のものではないのを知っている民族です。自分の命によって他を救うことが自分の命を救うことだということを普通の人まで知っていました。

 そのために、特攻隊のような自己犠牲をしながら、日本を救うという行為が生まれました。自分の命が他の命とつながっていることを知っているからでした。
 キリスト教ではイエスキリストが「永遠の命」を説いています。それは、人が生まれて死ぬまでのものではないと神道的な考え方を持つ日本人には充分には理解できるものですが、そうでない人には理解できないものです。

 人間一人の命が一つのものではなく、多数の命の集合体が命であって、それを私たちは預からせていただいているのです。

 そのため、普段はばらばらで生活しているものも、いざという時には一つにまとまっていくものですが、普通の日本人以上にこのことを知っている日本を日本で内容にしようとする勢力はこの機能を破壊しようとしています。

 それは日教組や自治労などの組合が個の権利ばかりを主張して、個の命を強調しているのです。

 個の命は大切ですが、個の命だけでは誰も生きられません。自然界でも個の命が犠牲となって他を生かすことで、個の命は次の世代に受け継がれます。

 神道では、八百万の神々がおられます。一つ一つの神々は大本の神に集約されます。

 これが「一即多、多即一」なのです。
 
 それぞれの役割を果たしながら私たちは生きているのです。その機能を止めてしまったら、大本の命まで止まってしまいます。

 つまり日本が滅びてしまうことです。

 これを政治の世界に適用するとどうなるでしょう。

 国民の為に動くべき政治家が自分のためだけに動くのです。日本国や日本国民のためには何もしようとせずに、私腹を肥やしたり、自分の名誉や地位を守ることに汲々とする政治家ばかりが横行しているのです。

 政治ジャーナリストの山村氏は、民主党の議員はばらばらであるといわれていました。

 党という集団ではなく、ただの個々の集まりだということでした。

 だから民主党にはもう日本を舵取りする能力はありませんというか、始めからなかったのです。

 日本は新党の考え方をきちんと復活すれば再生します。

 これは、山村氏も私も同じ意見です。古事記をきちんと理解し、日本人の本質をみんなが知れば、もっと良くなるのです。

 そのためにも、日本古来の文化を学びましょう。すべての伝統文化にその精神が息づいています。