昨日の続きの前に、前原氏に一言。
個人的に産経を嫌うのは自由であるが、個人の前にあなたは国民の税金で禄を食んでいる国会議員で、さらに税金でまかなわれている政党助成金を受け取る政党の幹部だ。その公人が一新聞社を自分の記者会見から締め出すのは、その新聞の購読者に対する冒涜であり、政府の言論統制に他ならない。
どこまでおごり高ぶっているのか?何様のつもりなのか?
それとも、河村氏の発言で問題が提起された捏造された南京事件の真相を国民が知ろうとしていることをそらすための援護射撃か?あなたはどこの国会議員で、誰のための国会議員なのか?
いままで前原氏の言動を振り返り、「言うだけ番長」という言葉に怒りを覚えたのなら「口先番長」といった渡辺みんなの党党首とも絶交したのですか?
ついでに、みのもんた氏にも一言。
『「南京虐殺」があったという証拠はたくさんある』とテレビで堂々と発言しました。なんという無知なのでしょう。その数々の証拠と呼ばれたものがすべて捏造だったことが研究者の努力によって明らかになっているのです。もっと勉強しろといいたい。
さて、ここから本題です。
「南京事件」は1937年12月13日に日本軍が60万の国民党軍を破って南京市に入城した事から始まったといわれています。
第一の疑問です、60万の国民党軍はどこに行ったのでしょう?
土の中にでももぐったのでしょうか?いいえ違います。一般市民の中に紛れ込んだのです。それを日本軍は見つけ出し、国際法上軍服を脱いだ兵士は、スパイとして処刑して良いのです。そのとおりにします。なぜなら、そのままにしておくと住民にまぎれてゲリラ活動をするからです。すると一般市民まで巻き込む危険性があるから、国際法で許されています。
見つけ出す方法も直接元兵士から聞いたことがあります。それは手を見れば明らかだそうです。農民の手はごつく、日焼けして汚れていますが、兵士の手はそれに比べるときれいなのだそうです。だから農民ではないとすぐにわかるそうです。また一般市民と比べると、手はごつく体の筋肉も鍛えられているので裸にするとわかるそうです。
もともと戦争というものは、国の軍服を着て正々堂々とするから殺し合いが認められているわけで、こそこそやるのはテロ行為です。それまでに昨日も書きましたが、テロ行為でたくさんの日本人や一般市民が亡くなっているのです。
どうして60万の軍隊が消えたかというと、その司令官が逃げ出したからです。組織的な東征能力を失った軍隊は、武装した山賊と一緒です。とくにCHINA軍の場合はロシア軍と並び軍規が著しく劣った軍隊でした。負け戦になるとすぐに軍隊が反乱を起こし、司令官を殺害してしまうこともありました。そのため、国民党軍の唐生智司令官は逃亡しています。
この唐生智という国民党軍の司令官は、共産党政府になって復権しているのです。それがちょうど東京裁判の時期とかぶります。
第二の疑問です。どうやって30万人も殺したのでしょう?
南京事件があったという人にぜひ次の質問をしてみてください。
「どうやって30万人の人間を殺したのですか?その方法は?」と。
ほとんどの人が機関銃でと答えます。この時点でこの人は何も軍隊のことがわかっていない人だということがわかります。
陸軍部隊が持っている軽機関銃では、人は殺せません。機関銃は相手に怪我をさせる道具なのです。兵士が撃たれて怪我をすると、仲間を助けようと、最低二人の同僚が汚した兵士を後方に運びます。すると、敵の正面から3人の兵力がいなくなります。
戦闘は数と数との交戦ですから、数が多い方または、正面にある銃の数が多い方が地形的なもののありますが、優位になります。だから一人殺すより、三人の兵隊をその正面から遠ざけた方が、作戦がうまくいくのです。
さらに、当時日本軍使用して軽機関銃の銃弾の補給は馬の背に乗せて運んでいました。そのため、一頭の馬には2000発の機関銃弾しかつめません。30万発では足りませんから、その十倍の300万発。そのために必要な馬は1500頭、そのまぐさを運ぶ馬が300頭要りますので最低でも1800頭の馬が機関銃弾を運ぶためだけに必要です。
他の物資の補給も必要なのに、これだけの馬を使用することは不可能ですし、当時はこの馬の数もいませんでした。どうやって弾薬を運んだのでしょう。
このことは荒木肇先生という自衛隊のCGS(指揮幕僚過程昔の陸軍大学)で教えておられる先生の研究によって明らかになっています。ご興味のある方は先生のメルマガをお読みになると良いでしょう。ただし、結構マニアックです。
こうやってどうやって殺害したのかと問い詰めていくと誰も答えられなくなります。きちんと数字で問い詰めることが必要なのです。
まだまだこのような具体的な反論はありますが、ちょっとマニアックになりますので、結論に入ります。
いままでも勇気ある政治家が「南京事件は捏造だ」と発言してそのたびにマスコミを始めとする日本人の同胞から袋叩きにあって辞任させれあれました。
今回はそんなことをさせてはなりません。河村氏の発言を支持し、次の発言者が出ることを促すのです。それが橋下市長になってくれればもっと良いと思います。
私たちは小さな力しかありません。でもその力を結集させると大きなものになります。できれば、この小論を拡散して欲しいと思います。そして正しい歴史認識をまずは日本人がしっかり持って、歴史カードをCHINAや朝鮮から取り上げなければなりません。
私たちの大切な税金は、東北で支援を待っている人たちのために使うべきです。そのためには一円の無駄なお金をCHINAや朝鮮にやる余裕はないのです。
河村市長、がんばれ! 次に続く勇気ある政治家はいないのか!