四日前のこと、福岡郷友連盟のHさんからメールが届きました。その内容とは、『天皇陛下のご病気の平癒を祈願したいと思いますが、福岡県内のどこの神社に行くのが良いかアドバイスをください』という内容のものでした。
このメールを見た瞬間、胸が熱くなり、涙がこぼれました。
やはり、日本人って良いな。そして、本当にたくさんの人たちが天皇陛下を尊崇されておられる事実に気付いたのです。
私は、すぐに宗像大社をお勧めしました。
それは、天照大神様が宗像三女神様に皇室をお守りするようにとお申し付けになり、この宗像の地に鎮座されたという古事記の一節を引き合いに出しました。きっと宗像の三女神様が金城様をお守りされるはずですという気持ちからです。
どこの神社でも、皇室とつながっており、たとえ神社や宮内庁の記帳所に行かなくても、自宅で心静かに天皇陛下の手術の成功をお祈りしてもいいのですが、この「行く」という行為は自分の時間やガソリン代などのお金を使うという行為でこれは積極的に祈るということにつながります。そしてその願いはより深いものとなって今上様をお守りされている神々に伝わると思います。
今朝のテレビでも人々のインタビューで天皇陛下のご病気の心配をされている姿が映し出されていました。その中で印象に残った言葉が、『こんなときだからこそ、天皇陛下にはご無事でいておられないと』というものでした。
いかに天皇陛下のご存在が一般の国民にとって重要な存在であるかがわかると思います。
野田総理大臣が何を言おうと、国民は何も関心を示しません。小沢一郎が心臓の病気であろうが誰も心配もしません。でも、こういう時期だからこそ、天皇陛下に置かれましては、健やかにそして息災にお過ごしいただきたいと思うのが大多数の日本国民の真意だと思っております。
友人のアメリカ人に『どうして日本人は、毎年総理大臣がころころ変わるのに、平気な顔をしているのか』と聞かれたことがあります。その時の私の答えは『天皇陛下がおられるからだ』と答えたところ、理解しがたいという顔をされました。
そこで、すかさず『プライムミニスターというのは、日本語は総理大臣つまり、天皇陛下の臣下の代表という意味であり、誰がなろうとさほど大きな意味合いはない。ただ、天皇陛下の存在は、日本国民にとって変えがたき尊いお方なのだ』というと、いっそう理解できないような顔をしていました。
私はもし自分が心臓の大手術をするとしたら、前日まで普段どおり仕事ができるだろうかと考えました、いや、普段どおりできる人なんてだれかいるのか?と思います。
それを陛下は淡々と国事行為に臨まれました。
大勢の人々がその日の為に準備と期待に胸を膨らませているということがお分かりになられているために、「私」事よりも、「公」事を優先されたのです。
もし、自分が自分の体の為にその会を欠席されたらどれだけの人々が落胆するかをご存知なのです。だから、何事もないようにすずやかなお顔でご公務に臨まれたのだと推察します。
ご自分のことよりも、他人のことを優先される陛下、それが国民の美徳の基準となってすばらしい日本人があるのだと再認識した瞬間でもありました。
これが国民に対するお手本であり、みずからこのお示しになったこの姿を私たちは少しでもまねをして生きなければならないことだと感じております。
今上様の手術の成功と少しでも早いご回復を祈念しております。