産経新聞正論懇話会 麻生太郎元首相公演抄録 | 井上政典のブログ

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以下は、平成2423日にホテルオークラにて開催された産経新聞の正論懇話会で麻生太郎元首相の講演抄録です。

 メモと記憶を頼りに書いています、もしかして聞き間違いがあるかもしれませんが、文責は
歴史ナビゲーターの井上政典にすべてありますので、よろしくお願いします。

講演抄録 麻生太郎衆議院議員

 今日いただいている演題は、「日本のすすむべき道」ですが、これだけ大きいと何でもしゃべれるからいいなと思っております。偏っているN新聞など私は新聞がきらいですが、産経新聞だけはちょっとまともなようで、こういう新聞がもっと売れないと日本は良くならないと思っております。

 

 今の日本が置かれている立場ですが、3.11の大震災、地震による被害よりも津波による被害が圧倒的に多く、けが人よりも死者の数のほうが圧倒的に多いという前代未聞の大惨事であります。地元の消防団員も242名が亡くなり、行方不明が12名という犠牲者がでました。

 

 福島県相馬市に3日目にアメリカ軍が16000名の将兵がトモダチ作戦と名づけて救援に駆けつけてくれました。その際に海上自衛隊の艦船は夜間、ガレキが浮き照明もない岸壁に大きな船体を一発で横付けしました。アメリカの艦船は本当はしたくなかったそうですが、自衛隊の艦船が見事接岸したものだから、自分たちができないと沽券にかかわるということで、決死の思いで接岸を試みました。しかし、一度ではうまくいかず、今一度、そして三度目にやっと接岸できました。乗組員たちは固唾を呑んで潜んでいましたが、接岸に成功したというアナウンスが流れるといっせいに拍手が起きたというほど緊張していたそうです。アメリカ軍をはるかに上回る自衛隊の錬度・士気は旺盛なものでありました。

 

 そしてアメリカ軍が上陸してみると、アメリカではハリケーンカトリーヌの時に暴動や略奪がおきたのですが、日本人は救援物資がもらえるとわかったら、自然に列ができたのです。それに自国の実情を知っていたアメリカ軍はびっくりしました。この日本人があの大惨事の直後に見せた秩序正しさは賞賛の的でした。これを珍しく朝日新聞がきちんと書いてあったのにちょっとびっくりしました。

 このように、国民や隊員はすばらしいのに、指揮命令系統が悪いためにいまだに復興に手がつけられていない状態だとは嘆かわしいものです。

 

 阪神大震災発生当時、内閣は社会党の村山富一が総理大臣でした。彼はこういうことはわからんと潔く自民党の河野洋平総裁に丸投げしました。河野洋平もわからんと震災復興担当大臣を小里貞利氏にすべての権限を与え、国会に出る必要なしと言う事で被災地に張り付き復興の陣頭指揮に当たりました。小里大臣は皇居へ報告の為に2ヶ月間で7回ほど帰京しただけだと記憶しています。炭鉱でもそうですが、このような大事故が起きた時は、指揮系統を単純化しスピーディーに物事が運ぶようにするのが鉄則です。村山首相はすべてを任す、すべての責任は俺が取ると言い切り、そのとおりにしました。そのおかげで、二ヶ月で必要な予算を纏め上げることができました。

 しかし、今の民主党政府は10ヶ月たっても何もできていません。このように兵が優秀でも指揮する将が良くないとだめなのです。

 

 日本がどう進むべきかという問題についてまず世界で日本が置かれている立場を考えて見ましょう。

1960年代、カメラはライカ。車はアメ車。映画はハリウッドというように一流品はすべて欧米のものでした。トヨタカローラが始めてアメリカへ上陸した時、急な坂を上がらないために当時留学していた私と東京日産の御曹司で一緒に車を押した思い出があります。その友人は『俺は日産なのにどうしてトヨタの車を押さなければならないのか』と嘆いていたのが昨日のことのようです。

 

 1975年サイゴン陥落、日本の鉄鋼・家電が怒涛のように世界に出て行き、経済摩擦という言葉が毎日新聞やテレビでよく耳にしました。

 1980年代になると、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相は先進国であり続けるためにいろいろな手を打ち始めました。それが今のパーソナルコンピュータやインターネットに繋がってきます。情報通信技術が発達し、それに伴って金融工学などという怪しげなものも盛んになってきました。

 

 このように10年もあれば、世界は変わるものだということを考えなければなりません。

 

 1980年代は日本の時代でした。ジャパンアズナンバーワンなどといわれ、世界のトップを走っていました。19859月にはプラザ合意と言う事で、一ドル240円だった円が一気に倍の120円に跳ね上がりました。「円高不況」「バブル」など言う言葉を良く聞かれたことだと思います。でも、円高不況というのもおかしな言葉です。どこに自国の通貨の価値が上がっているのに不況になるのでしょう。そんなことは一向に起きず日本は好景気を迎えます。

 

 そして19891229日の平均株価は38,915円の最高値をつけたのが、今は8600円くらいまで下がっています。3万以上の資産が飛んだのです。失くしたのです。お金を持っている人はストックで経済を見なければなりません。

 

 でも、1991年になっても土地の値段は上がり続け、土地本位制の銀行はお金を貸し続けました。そして翌年橋本龍太郎首相が土地取引にいろいろな規制をかけたのです。というのも、ろくに勉強もしないで土地を転がしている人が金持ちになって勉強に明け暮れた浅春時代を送った大蔵省の役人は嫉妬したのです。浦安なんかは、ディズニーランドができたおかげで、300倍に土地の値段が上がりました。

 そうやって膨らみきったバブルに穴を開けたものだから、83%も一気に下がりました。平たく言うと100万のものが17万になってしまったのです。

 銀行は担保価値の下がった土地を持っている企業の追加担保を要求しました。企業は一瞬にして債務超過に陥ったのです。そして一気にデフレになりました。

 ダイエーの中内さんは、死んでしまっているから言ってもいいと思いますが、それを見誤り、売り上げを伸ばしたからつぶれました。その時に強かったのが無借金のトヨタです。昭和25年に一度トヨタは倒産しています。そのために固い経営をしていたおかげなのです。

 

 1992年に企業は売り上げを伸ばすことをやめ、借金を圧縮するために、50兆円あった借金を一斉に返済し始めました。銀行に企業がお金を返すため、銀行は貸し出すよりも返済される金額のほうが多くなりました。

銀行といえば聞こえはいいですが、早い話が金貸しですから借りる人が少ないと倒産します。そのために金融危機が生じ、北海道拓殖銀行を始めとする銀行が倒産していきました。それを政府が救ったのです。それは国債購入という形で市場が借りないために、国債という形で国が銀行のお金を借りてあげました。それによって銀行が救われたのです。しかし、今も銀行の貯蓄が余剰を抱えています。

 

当時の武村正義大蔵大臣は、450兆の借金で500兆のGDPしかないため、財政破綻宣言をしましたが、現在は900兆の借金で500兆のGDPです。ドルに換算するとどちらも   5兆ドルです。売り上げと資産が同じならば借金が増えれば金利が上昇するのが当たり前ですが、金利は下がっています。どうみてもおかしい状態です。円で考えると借金は増えていますが、ドル建てで考えると借金の額は増えていません。

 

ギリシャやイタリヤの借金と日本の借金の金額を比べてこちらが多いからといって大騒ぎしていますが、規模の違う町の鉄工所の借入金と新日鉄の借入金を比べても何の意味もないでしょう。それを複式簿記を理解していない日銀の役人が発表して、またそれを理解しない新聞記者が書いているが、こんなにバカらしいことはない。

 

問題点を整理すると、借り手は政府で貸し手は国民でそれも自国の通貨です。いざとなったら紙幣をどんどん印刷すればいい。

ギリシャは国債をユーロ建てで自国の通貨ではありません。というのもギリシャ国民自体がギリシャ人を信用していないからです。だから国債の3割しかギリシャ人は持っておらず、残りの7割は国際市場つまりユーロが買っているのです。

それに反して94%日本人が買っており、残りの6%は外国ですが、すべて円建てです。イタリヤやスペインなどと一緒にすべき問題ではありません。

 

日本が今することは、土地は安い、原材料は安い、工期は早いこの時期に設備投資をすることです。それが優秀な経営者がすることです。GDPはそのパイを大きくすることが大切なのです。

景気を上げるためには、1.個人消費を伸ばす。2.民間の設備投資を増やす。3.政府の支出を増やすことです。1と2が落ち込んでいるのなら、政府が率先して大きくしないとGDPは増えません。

そのため今は社会資本の充実の為に政府がお金を使うべきなのです。たとえば、仙台港の水深を14mから18mにするのです。日本の一級港湾は水深が14mの為に10万とクラスの大型コンテナ船は日本に入ってこずに韓国や中国で横積み、つまり荷を積み替えて小型のコンテナ船で日本に持ってきています。18mの水深を持った港を仙台港に作れば、輸送コストが下がるのです。大量の荷が仙台に入ってきてそれに対する道路や鉄道などのアクセスを考えてやれば、後は民間の資本が入ってきて復興特需がでてきます。このような公共工事を政府がすると、そこに仕事が生まれ、雇用が生まれます。

このように雇用が生まれるようなものに政府は投資すべきなのです。そうすれば経済のパイが大きくなってきて景気が回復するのです。

 

景気が良くなる前に増税をしてはいけないのです。1997年消費税を3%から5%に値上げしました。その際に2%増えた税率で5兆円の税収が増えると試算されていました。しかし、ふたを開けてみると97年に42兆円の税収が38兆円にと4兆円も下がったのです。結局試算より9兆円も税収が下がったのです。

この歴史を学習して、景気が上がってから税率を上げなければいけないのですが、何も歴史から学んでいません。

私は選挙で3年後に景気を上げてから消費税を上げると言ったら選挙に負けてしまいました。でも民主党は4年間は上げませんといって選挙に勝ち、そして政権交代を果たした後に、消費税を上げるといっています。

 

このように「政権交代」とか「郵政解散」とかシングルイシューで選挙を戦ってはならないのです。民間に設備投資をさせて景気が二・三年続いた段階で増税すればいいのです。

 

NHKの「坂の上の雲」でも登場した高橋是清は、7回も大蔵大臣をしました。その時に就任の記者会見で、「デフレにはデフレ対策を実施します」といって日銀に金を刷らせ、すべてを政府が買い取ります。日銀から政府しか借りることができません。これにより公共投資を実施して増税せずに景気を戻しました。

それをじっと見ていたフランクリンルーズベルトが高橋の経済政策をそっくり真似してニューディール政策をとり、大不況を乗り切りました。どうして高橋是清の業績は評価せずにアメリカのものばかり評価するのでしょう。私は爺さんからこういうことを良く効いていたから知っているのですが。

 

私が総理の時に80兆、75兆の補正予算を組んだのですが、まさにこれをしようとしていました。エコカー減税、エコポイントなどを実施し、効果を上げました。

エコカー減税は7000億使って49000億の自動車販売高になりました。これが政府による経済効果です。それを民主党はいったん止めてまた再開するなど馬鹿なことをしています。一度止めて復活するなどどれだけのコストがかかるのかまったく理解していません。

あくまでも日本の借金は政府の借金で、日本政府が国民に日本円で借りているのです。いざとなったらお札をすればいいのです。高橋是清の場合は、片方しか刷らないお札を作ってその対策に当てました。どうせ市中には回らないのだから裏側は要らなかったのです。今はそのお札はプレミアがついて高く売っているそうですが。そうやってデフレを対峙しました。

 

次にインフレの時代に蔵相になった時にはインフレにはインフレ対策をしますといって、歳出を思い切って削減しました。そのあおりをもろに受けたのが日本帝国陸軍で、軍事予算を大幅に削減しました。そのために226事件で暗殺されてしまいました。

 

今の世の中、絶望論があふれています。明日は真っ暗のように見えます。楽観論を述べるためには意志が必要です。デフレ不況にはデフレ対策で対抗しなければならないのです。そのためにも、財政出動をして、景気や雇用を上げることが先決なのです。その後で増税すればよい。よく日本経済は「のびしろ」がないという暗い人が多く、日本の先行きは真っ暗のように思えますが、金の値段を見てみると、1980年には一オンス当たり300ドルくらいつまり日本円で25万円くらいでした。ところが2007年には日本円で12万くらいになっています。円高のおかげです。

日本の個人預金だけで1480兆円あります。個人金融資産だけでこの金額です。すべてを考えればもっとあります。これが日本の金の力です。

韓国の経済がすばらしいと良く新聞なんかでもてはやされていますが、韓国には金がありません。ヨーロッパの銀行の支店で財務をしています。しかし、ユーロがえらいことになっている現在、ECの中央銀行が預金準備率を7%から9%に増やさなければならないために、増資どころか貸しはがしをアジアの各地でしています。

以前IMF10兆円貸しました。国債を買えば金利1%。でも、IMFに貸せば3%です。2000億の金利が入ってくるのです。これが金の力です。

 ヨーロッパが悪くなり、アメリカも景気が悪い今日、日本の経済力や日本の力をどうやって使うかを真剣に考えなければなりません。物作りに長けている日本、世界に作れないものをつくり円で売ればいいのです。そして円で貸して円で返してもらえばいいのです。信用はあります。震災後の姿でまた一段と信用が増えました。

昔1ユーロは250円でした。それが今は100円。悲観的に考えるのはやめて持っている力を理解して日本の地位を向上させなければならないのです。