昨日と今日にかけてどの放送局も、北朝鮮の金正日総書記の死亡のニュースを伝えていました。
私は金正日が好きではありません。たくさんの我が同胞を拉致し、家族にとたんの苦しみを与えた極悪人とも思っています。直接特定失踪被害者(拉致認定をされていないが北朝鮮が濃厚に関与したと思われる失踪者)の家族の方の手記を預かっており、来年には本にして出版しようと思っているため、普通の人よりも強くこの思いがあると思います。
テレビの画像に出てくるのは、悲しみで泣いている人々。号泣している人もおり、将軍様の遺徳をしのばせるものがあるのかなと思わせる映像が多々出てきます。
しかし、よく見てください。その映像の後ろには誰も映っておらず、その人が普通の一般市民かどうかもわかりません。ところが、昨晩と今朝のニュースでその人の泣きながらのインタビューが3回流されるのを見ました。
これって本当に正しい報道なのでしょうか?
以前、サッカーの国際試合でゴールを決めた香川選手が胸の日の丸にキスを史ながら、感謝と喜びを表しているシーンを一回だけ見ましたが、その後その映像は二度と出てきませんでした。その前でカットされるのです。
テレビは、とても便利で有効な情報収集手段ですが、そこにはかならず作り手の意図があることに気付かなければなりません。
NHKの番組では、出てくる人たちがみな喪服をきてしゃべっていました。???どこの国の人が亡くなったの?と思いたくなるようなシーンです。ダークスーツで出演するならわかります。派手な服装をしないのも常識から見れば当然です。でも、日本の国営放送が喪服の出演者を出すの?
私は産経新聞を購読しています。この産経新聞の論調とNHKを見れば、明らかな違いが見えてきます。
もし、朝日新聞や毎日新聞を読みながらNHKをみたら、それが世界のすべてと思えるでしょう。もし、そんな方がいらっしゃったら今すぐ、産経新聞を購読してみてください。世の中の動きが違うように見えてきます。
そういう風に新聞社で明らかに記事の構成内容が違うのです。新聞を読まない人が増えています。ネットでニュースが見れるからという理由で。しかし、興味のある見出ししかクリックしていませんか?
紙面に書いてあれば、否応なく目がそこに行くのです。そのために、興味のあるものだけでなく、別なものまで見えてきます。これが、新聞を読むことの意義です。
ネットで言われていることはあまり信用できません。それは、個人の意見が直接反映してしまうからです。私は新聞に寄稿していますが、原稿を送って掲載されるまで数日かかります。それは、新聞社で記事の内容の裏を取っているからです。きちんと数人の目で確認されたものが新聞に載るのです。そこがネットの投稿と違うところです。
ただそのときに新聞社や放送局の恣意的な思惑が存在するのです。
このように単独のニュースソースにたよると、思想も情報も偏ります。テレビ局や新聞社はそのように製作しているのですから。だから、テレビ・新聞・ネットを複合的にみて自分で判断せねばなりません。
そして時には実際にその場に行ってみることが大切です。すると、テレビの四角の枠では見えなかったものが見えるからです。
百聞は一見にしかずということわざがあります。テレビはその百聞に入るものだと心得ておけば、歪曲された報道にごまかされることはないでしょう。