いやー昨日の日曜日はどっぷりとビデオを見てすごしました。朝の10時から夜の11時まで。
「イ・サン」という李氏朝鮮第22代の王様の物語です。日曜日の11時からNHKで放送されている分を見ていたのですが、先週放送が飛んだのを気にDVDを借りて見るようになりました。確か17巻からだったのですが、昨日6本(つまり11時間)をみて第39巻まで制覇しました。
終わったという達成感ともう見れないという惜別の念が同時に存在しているためちょっと不思議な気分ですが、どうしてこの韓国歴史ドラマがこうも私をひきつけるのかを考えました。
そして歴史ナビゲーターとして次のようなことがわかりました。
1.韓国歴史ドラマは、荒唐無稽、時代考証もずさんだが、ストーリー展開があまりにも奇抜なので面白い。
韓国歴史といいながらも、大枠はあるもののその中身は荒唐無稽です。たとえば、イサンで小銃が出てくるシーンがあるのですが、元込め銃となっています。ところがこのイサンは1750年から1800年までの物語であり、このころは戦国時代の火縄銃のようなものしかなかった時代です。それが、銃身を支える部分も鋼鉄製になっており、これは明らかに1920年以降のライフル銃(単発式)でしかありえません。
さらに、鎧(よろい)にいたっては太王四神紀(広開土王がモデルのため4・5世紀ごろ)に出てくる鎧と同じようなものです。これは、太王四神紀のほうがおかしいのですが、中心人物はかっこよくなっています。
もともと記録が少ないため作家が自由に創作できる素材があるのですが、イサンの時代に問題になったキリスト教は現在の韓国のキリスト教事情を受けて、さらっと流してあるのもいかがかなと思います。
もっとひどいのは、貨幣の鋳造で、当時の李氏朝鮮は清国の属国で貨幣の鋳造権はないはずです。そのため清国の質の悪い貨幣を導入して経済が破綻したという場面があるのですが、それはもっと違う問題だろうと突っ込みたくなります。
さらに、闇取引に向かう王の護衛官がこともあろうか、紙を差し出し貨幣の代わりに「為替(小切手)」で払うといったシーンには噴出してしまいました。「そんなことがあるかい」とついテレビに向かって叫んでいました。自国の貨幣流通量も統制できない経済体制で為替が発達できるわけがありません。
2.義理人情という日本人との共通部分が多く、琴線に触れる部分が同じなため共感を多く寄せることができるため。
といいながら、王様と身分の低いソンヨンとの恋愛シーンは涙なくしては見れませんでした。何でこんなにいい人がいじめられ、差別されなきゃいけないの?と純粋な気持ちになるのです。
ソンヨンが王様の母親の差し金で清国に追いやられる場面で、清国に旅たつ前の日に王様と秘めたる気持ちと身分を隠してお祭りで楽しく遊ぶシーンや、ソンヨンを側室にするために王様が迎えに行くシーンは見る人にハンカチを持たずには見れないところです。
でも、「あれれ?こんなけなげな韓国人見たことないぞ」と思いました。韓国人や元韓国人の友人に聞くとああいう古風な韓国人女性がいたらいいなということでドラマは作ってあり、実際にはいないよとあっさりといいます。このドラマをみて韓国人女性に憧れを持つと大きく裏切られると思いますよ。
3.日本人が嫌う「うそ」の使い方が良くわかる。「うそも方便」が人間関係を保つ大きなポイントとなる。
どうしてあそこで本当のことを言わないんだ!と突っ込みたくなる場面が満載です。正直に言えばすぐに解決できるのにうそをついて相手を傷つけないようにする思いやりを持つことが韓国人の美徳のようなものですが、当たり前にうそをつく習慣がついてしまって、それが日本人が韓国人を侮蔑する原因でもあります。
でも、私の周りの韓国人はそんな人いません。ずけずけと正直に言う人が多いのはなぜ?