ふざけるなロシア人 シベリア抑留者を捕虜と呼ぶ | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 大東亜戦争が終わる寸前、8月9日にソ連が突如日ソ不可侵条約を反故にして、満州に進攻してきました。


 まったくの不意打ちですし、条約を一方的に反故にするのも問題があります。でも、100歩ゆずって、連合国同志の話し合いの下にそうしたと言うのなら、なぜ、日本がポツダム宣言を受諾した後でも戦闘を継続したのだろう。


 8月18日には千島列島の占守島(しゅむしゅとう)に、上陸作戦を敢行し、武装解除中の日本軍将兵が一命を賭して守ったため、ソ連の北海道占領を未然に防げました。ソ連の作戦意図は千島列島沿いに兵を進めて、北海道の占領だったのです。そうすることによって、ソ連は太平洋への門が開かれ、東西冷戦ももっと違う形になり、いまごろ日本は・・・。


 でも民主党内閣は極左の集まりか・・・。


 これが運命か?


 この火事場泥棒のロシアはその後、65万から80万人といわれる日本軍の将兵をポツダム宣言に反してソ連領内に連れて行き、強制労働に従事させ、そのうちの15%が厳寒のシベリアで祖国帰る夢を見ながら、栄養失調と疲労や病気で亡くなりました。


 これは、完全な国際法違反で、日本ではシベリア抑留と呼んでいます。


 しかし、本日の産経新聞のコラムでロシア人たちはこの抑留者のことを不当にも「捕虜」と呼んでいるため、産経の記者が其れは違うだろうといちいち訂正をするように言っていることが載っていました。


 不遜にもほどがある。


 私の叔父さんも5年ほどシベリアで抑留され、どうにか帰ってきましたが、猛烈な赤化教育(共産主義に転向したら早く返してやるといわれて、天皇や日本の伝統を破壊させる教育)を受けたにもかかわらず、終生ソ連の非難をし続けて天寿を全うしました。20代の大切な時期を強制労働という過酷な条件の元に送ったたくさんの日本人を「捕虜」と呼んでいることに、大変憤りを感じました。


 政府はきちんとこのことを抗議し、用語の訂正を求めるべきでしょう。


 でも、今の民主党内閣の顔ぶれを見たら、極左の連中の集まりなので、到底無理なことだと思います。でも、普通の日本人はきちんと知っておくべきです。


 「岸壁の母」という歌がありましたが、あれこそがソ連に不当に抑留されかえってくるのが遅い息子の帰りを待つ母の魂の叫びの歌です。


 日本の戦争犯罪ばかりを戦後の日本人は教育されてきましたが、これらはすべて連合国の戦争犯罪を隠すための偽装のために使われていることを知らなければなりません。


 それを呼び覚まさないために、靖国神社の英霊に参拝させないようにマスコミもしているのです。


 おかしい!


 腹立たしい!


 日本人よ、目覚めて、誇りを持って立ち上がれ!