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野ざらし1人旅~漂泊への憧憬~

西行の漂泊の旅に憧れ、主に青春18きっぷを使い、いろいろな景色を巡って1人歩き続ける旅の記録

相模湾点描の日帰り旅の後半です。大磯の鴫立沢を訪問するのが目的ですが、その前に小田原城へ行きました。

 

小田原城といえば、戦国大名北条氏の本拠地。天下統一の最終局面で豊臣秀吉が攻めた城として知られています。

 

北条氏は秀吉の兵糧攻めの前に戦うか、降伏するかの結論が出ず、後に小田原評定は結論の出ない会議の例えになりました。

 

最終的に北条氏は降伏し、城主北条氏政が切腹、息子氏直は高野山に追放され、ここに秀吉の天下統一が完成しました。

 

小田原城は小田原駅から徒歩10分ほど。朝早く来たこともあり、敷地内は散歩する人の姿が見られました。

 

思い出すのは2019年の夏。ムーンライトながらに乗るため小田急線に乗って小田原に向かいました。

 

ところが途中踏切事故があり、電車がストップ。1時間以上足止めされ、小田原には1時半ごろ到着しました。

 

ムーンライトながらは0時半に出発しており、間に合わず、始発まで駅入り口の階段で待ちました。

 

ついでなので、小田原城を見ておこうかと思いましたが、疲れてしまい、行けませんでした。

 

それから4年の年月が流れましたが、こうして訪れることができ、どこか念願が叶った気がします。

 

さて、小田原駅に戻り、大磯へ。まず駅近くにある旧島崎藤村邸を見に行きます。駅から歩いで約10分ほどです。

 

島崎藤村については、著作を読んだこともなく、ついでみたいな感じで寄ったので、ほぼ素通りです。

 

邸宅に関する詳しいことは下記サイトに載っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

大手町に立ち寄ることがあったので、駅の出口近くにある将門塚に行ってみました。

 

平将門といえば、平安時代中期に関東で反乱を起こし、朝廷を騒然とさせた人物。

 

最後は部下を帰農させたところの不意を突かれて非業の死を遂げましたが、新皇と称したことで歴史的インパクトは大きいです。

 

ちょうど他の人が塚の前で手を合わせていました。あやかりたくなるようなカリスマ性は今も健在といった感じです。

 

それにしても高層ビルの狭間に建てられている様はどことなく異様な感じがして、ものものしい雰囲気を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

頼朝の墓一帯を後にして、次は鎌倉宮へと向かいました。ここには護良親王の土牢があります。

 

護良親王は建武の新政で有名な後醍醐天皇の皇子。鎌倉幕府打倒で功績をあげ、征夷大将軍となりました。

 

しかし尊氏との対立に敗れて、鎌倉に幽閉され、中先代の乱の最中、尊氏の弟直義によって殺害されたといいます。

 

これが土牢で、特に奥深いわけでもないのに、暗くじめじめした雰囲気が漂っていました。

親王は土牢に9カ月もの間幽閉されたと書かれています。その間どういう精神状態だったのか、想像もつきません。

 

ちなみに土牢を見学するには、入場料がかかります。私が行ったときは300円でした。

 

鎌倉というと、古都のイメージが強く、静かで落ち着いたところと思いがちです。

 

しかし頼朝の墓や護良親王の土牢を見ると、そういうイメージとは異なる裏の歴史に触れたような気がしました。

 

この後、北条高塒の「腹切りやぐら」に行ってみましたが、落石の恐れがあるため進入禁止となっており断念。

 

早朝から歩き通しで足が動かなくなってきたため、ここで終わりとし、引き揚げるとしました。

 

久しぶりに来ましたが、中世の都という雰囲気とは違う陰の部分が見れて興味深かったです。また行きたいと思います。