大手町に立ち寄ることがあったので、駅の出口近くにある将門塚に行ってみました。
平将門といえば、平安時代中期に関東で反乱を起こし、朝廷を騒然とさせた人物。
最後は部下を帰農させたところの不意を突かれて非業の死を遂げましたが、新皇と称したことで歴史的インパクトは大きいです。
ちょうど他の人が塚の前で手を合わせていました。あやかりたくなるようなカリスマ性は今も健在といった感じです。
それにしても高層ビルの狭間に建てられている様はどことなく異様な感じがして、ものものしい雰囲気を感じます。
頼朝の墓一帯を後にして、次は鎌倉宮へと向かいました。ここには護良親王の土牢があります。
護良親王は建武の新政で有名な後醍醐天皇の皇子。鎌倉幕府打倒で功績をあげ、征夷大将軍となりました。
しかし尊氏との対立に敗れて、鎌倉に幽閉され、中先代の乱の最中、尊氏の弟直義によって殺害されたといいます。
これが土牢で、特に奥深いわけでもないのに、暗くじめじめした雰囲気が漂っていました。
親王は土牢に9カ月もの間幽閉されたと書かれています。その間どういう精神状態だったのか、想像もつきません。
ちなみに土牢を見学するには、入場料がかかります。私が行ったときは300円でした。
鎌倉というと、古都のイメージが強く、静かで落ち着いたところと思いがちです。
しかし頼朝の墓や護良親王の土牢を見ると、そういうイメージとは異なる裏の歴史に触れたような気がしました。
この後、北条高塒の「腹切りやぐら」に行ってみましたが、落石の恐れがあるため進入禁止となっており断念。
早朝から歩き通しで足が動かなくなってきたため、ここで終わりとし、引き揚げるとしました。
久しぶりに来ましたが、中世の都という雰囲気とは違う陰の部分が見れて興味深かったです。また行きたいと思います。
鶴岡八幡宮を後にして、頼朝の墓へ向かいました。鶴岡八幡宮から1㎞くらいのところにあります。
鶴岡八幡宮周辺は多くの人が見られましたが、そんなに離れてないのに人気はなくなり、ひっそりとした佇まいです。
何かの本に「武家の棟梁の墓にしてはあまりにも質素」という説明があったように飾り気のない墓です。
もともとここには頼朝の法華堂があったそうで、島津重豪によって整備された今の姿に整備されたそうです。