妥協案。 | 零細企業の闘魂日記

【卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心】
https://www.sankei.com/article/20211020-X3UJYBQUXJMSDPJJBJ3EYKPT6Y/
『古代史最大の謎として江戸時代から続く邪馬台国(やまたいこく)の所在地論争。「女王・卑弥呼(ひみこ)は、北部九州吉備(岡山)を中心とした勢力によって擁立され、奈良・纒向(まきむく)遺跡を首都として国を治めた」との説が打ち出された。』
 
『有力候補地の纒向遺跡(奈良県桜井市)などを調査してきた寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長が、県内で行われた講演会で披露した。「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも、九州勢力の関与を指摘。「畿内VS九州」という二者択一ではない、新たな見解に注目が集まる。』
 

小学生の頃、奈良県明日香村を散策したときは石舞台古墳の中にも入れた。
至る所に歴史上、重要な古墳や遺跡があり、太古、この地で国が統治されていたのだろうと察することができた。
 
二十代後半、福岡県に移住すると、ここはここで、どこを掘っても遺跡が出てくる。
仕事の合間に古墳巡りをしたものだ。
 
近くの花立山に登ると、その頂上は当時の三輪町、夜須町、小郡市の分岐点になっていて広く平野が見渡せる。たまたまだが現在の社屋は平塚川添遺跡の入口にある。
今は、邪馬台国=北部九州説に魅力を感じている。