一流レスラーたち。 | 零細企業の闘魂日記

【「オマエ、平田だろ!」事件の翌日にアントニオ猪木も「オマエは平田だ!」】
https://www.bbm-japan.com/article/gallery/19045/2
『「オマエ、平田だろ!」』
 
1985年5月17日、新日本プロレス熊本大会で藤波辰巳(現・藤波辰爾)がスーパー・ストロング・マシンに叫んだマイクアピールはプロレス史に残る名言となっている。実はその翌日にもドラマがあった。』
 
『同年5月18日、新日本プロレス後楽園ホール大会。前日の「オマエ、平田だろ!」事件を受けて、ファンの関心はマシンがマスクを脱ぎ捨てるかどうかだった。』
 
『マシンは第5試合でトニー・セントクレアーと対戦。場内から沸き起こる大「平田」コール中、テクニックに手を焼いたものの、最後はジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。試合後、前日に続いて、将軍KY若松が乱入してきたが、これをマシンは返り討ち。若松は「貴様をオレたちの軍団から追放だ!」と捨てゼリフを吐いて控室へ消えていった。』
 
『マシンはメインイベントのアントニオ猪木&藤波組vsボブ・バックランド&アイアン・マイク・シャープ組の一戦をリングサイドで観戦。試合後にリングに上がった。』
 
『藤波は前日同様に「オマエは平田だろ! ファンもそう思ってるぞ!!」とマイクで絶叫。直後、マシンはマスクに手をかけ、場内がどよめく中で銀色のマスクを脱いだ。』
 
『しかし、マスクの下から現れたのは素顔でなく、なんと黒のマスク。マシンは初めてマイクを持ち「なぜオレがオマエに言われるままにマスクを脱がなくちゃいけないんだ」と反論した。』

このシーンは最高だった。
 
プロレスラーのほとんどがそうであるように藤波も滑舌が悪く、何を言っているのか聞き取れなかったが、マイクを持って指さしながら藤波が叫んだ「平田」の名前だけは際立った。
 
実況の古舘伊知郎から聞き取れなかったセリフと両者の心境を解説されてもイマイチ流れがつかめなかったのだが、古舘伊知郎が名アナウンサーなのは、視聴者が分かりにくい部分を古舘流のアレンジを交えて歴史に残るような表現にしてしまうことであろうと思う。
 
その後、プロレス雑誌のインタビュー記事では、当の平田が藤波に観客の前で正体をバラされたことをいぶかしがっていた。とっくに知られているのに何故、今、バラすのかというような内容だったと記憶する。
 
ともあれ、私は今も、このフレーズを常用し、自社に電話をした際に「ヒラタ」という事務員さんが電話に出ると、決まって、「オマエ、平田だろ!」の第一声から会話を始めている。